傷つけ方

私は、やはり自傷行為がやめられないのです。
※このエッセイは自傷行為を認めるものでもありませんし、推奨も致しません。また、行う場合は各自責任を自分でもってください。どういった結果になれど自傷をしたのは、あなたです。※

自分の人格たちにむけても前置きをいたしました。

誰か、必要だと教えてほしい。
そう思って剃刀を持ったのは小学生のころです。怖くて、少ししか切れませんでした、どこを切ったのかはもう思い出せないのですが。
次は、小学生の時に包丁を腹にあてて何度も押し込みました。でも怖くて、未熟な腹には包丁も埋まらず、誰にも自分を必要だと言ってもらえませんでした。
頭の中の住人達のことは、この時は自覚していたし、実際に何名かが手伝ってくれたことは覚えています。

次に、中学生の時に、ようやくカッターで長く切れました。
気持ちがスッとしたような、いけないことをしたような、それでも心地いい達成感と、もう言い逃れのできない異常さがひしめき合っていたのを覚えています。

それでも、誰も私を抱きしめて「必要だ」とは言ってくれませんでした。

大人になって、たくさんの人に必要とされました。どうしてなのかも理由はわからないで、ただ、必要だと声を掛けられ働いて、人と出会って恋に落ちて、痛い目に遭って、を繰り返し。
きっと、「必要だ」と言われたいような顔をしていたんでしょうか。

カッターが剃刀になって、次には長いタオルになって首を絞めて、次には掌いっぱいの薬になって、それから、家から飛び降りて――。

もう、行動できる自傷行為はすべてしたつもりでした。
大人になって、頭の中で自分をいじめることにしました。心地いいのです。私は、自分をいじめて、ようやく自分のストレスを頭で発散できるのです。
誰にも見えまい。こんな大勢の前で自分を痛めつけたって、誰にも見えまい。
そう、ずっと笑って、誰にも必要とされないということを思い出したくて、そんなことをしなくても、生きていいのだと分かりたくて。

今日は、久々に手に小さな傷を作りました。

少しだけ、呼吸がしやすくなりました。

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