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バッハは自身が作曲科・演奏家であり、クラヴィアのみならずパイプ・オルガン、そしてチャーチ・オルガンの名手でもあった。だが一生を通じ彼が命じられたことは -- 神の威厳を民衆に誇示し続ける為の音楽にほかならず、それはバッハ自身が切望し続けた音楽とはおよそ遠い世界であった。
私には、今でも懐かしく思い出す音がある。それは音と言うより音響やSEに近く、空気の澄んだ冬の真昼にその現象が度々現れる。 当時の私はその現象に遭遇する度に予定していたその日の行動を全て止め、ただただ目の前に在る澄んだ空気と戯れることに集中したものだった。
バッハにとって屈辱的だったのはオペラ『コーヒー・カンタータ』の作曲、監修の作業だった。オペラは現代で言うところのミュージカルの走りであり、内容は悉くシンプルかつコミカルでなければならない。 要所・随所に「笑える」場所を作ってアゲアゲで観客を引っ張って行くことを余儀なくされ、威厳が少しずつ崩壊して行くことをも受け入れながらも私は大家族をそれなりに一生懸命に養うべく、各々のオペラ制作に着手したが、中でもこの作品は特に辛かった。
バッハがバッハとして完成する迄に、おそらく幾つかの過去世を辿っているであろうことについては、既に私の中で複数の可能性を感じつつある。
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