飛び出せ!佐久間探検隊
第十六回 遊園地はなくなったけれど、富田林の地に塔は健在だった!
ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。
かつて富田林の地に、
「PLランド」
という遊園地があったのをご存じであろうか?
実はココ、世にも珍しい宗教法人が経営していた遊園地であった。
国家転覆を企んだオ〇ム真理教ですら、
経営してたのはパソコンショップや弁当屋。
それが遊園地ですよ。
スケールが段違い。
経営母体はパーフェクト リバティ教団、通称PL教団。
そうです。
PL学園高校を経営し、
野球部が日本の野球史に残る数々のスター選手を輩出した、
あのPL教団。
南大阪の人には毎年8月1日の夜に行われる、
教祖祭PL花火芸術(通称:PL花火)でも有名な教団。
PLランドに話を戻しますと、1957年に開園。
春になると「一万本のPLざくら」が有名だったが、
1980年代になると東京ディズニーランドの開園などで来場者が減少。
「桜ケ丘遊園」と名前を変更し営業努力を続けたものの、
残念ながら1989年9月に閉園となった。
1975年、遊園地に隣接して大平和祈念塔(通称:PLタワー)が建設された。
非常にインパクトのある造形の塔で、遊園地と共に親しまれてきた。
実は閉園後20年以上経ったの今も、大平和祈念塔は健在なのである。
そこで今回は今はどーなってるか?と探検してみた。
南海高野線北野田駅の西口を出発する。
西口のペストリアンデッキにある階段を下りる。
北野田駅といえば駅前のゲーセンの機械が故障して電磁波が発生し、
そのせいで駅の信号機が誤作動する事件があった。
当時駅近くの高校に通っていた隊長は
「あぁ! 頭を狂わせる毒電波が!」
と頭を押さえ友人にふざけていたものであった。
それから駅前の再開発事業が開始され、
その頃とは同じ場所と信じられくなったが。
下りた先はバスターミナル。
殆ど南海バスが占領して我が物顔で走っているが、
ひっそりと停車してる近鉄バスの富田林駅前行きに乗車する。
車内はまばらな乗車具合。
バスは駅を出発して東へ進み、
途中木材団地に寄り道しPL教団の前を経て富田林駅前に至る。
探検隊がバスを下車したのは、PL病院南という名のバス停。
運賃は300円だった。
ここは国道309号線と170号線を結ぶ府道35号線。
主要道路なので、クルマの通行量は結構多い。
探検隊は踵を返すように来た方向へ歩き始めた。
歩いてすぐにPL病院の看板が。
実は別系統の近鉄バスが病院の玄関前まで乗り入れており、
玄関前のバス停に備え付けの乗車証を利用すれば、
病院から富田林駅前までは無料になるのである。
病院入口先の横断歩道を渡る。
横断歩道に信号機は設置されてない。
だから車が来てないのを見定めて慎重に横断する。
横断したら体の向きを富田林方面に戻し、
すぐ先の分岐路を右折する。
案内板が示している通り、ここが大平和祈念塔へのアクセス路となる。
その看板には懐かしいキャラクターの写真が。
1983年から1989年にかけてNHK教育テレビで放送された教育番組、
「おーい!はに丸」の主人公、埴輪の王子のはに丸である。
声を担当なさってたのは、田中真弓さん。
「ワンピース」のルフィや「ドラゴンボール」のクリリンで有名だが、
「彼女といえばはに丸!」と言う人もいるほどの人気キャラである。
何故はに丸が大平和祈念塔の道案内をしてるかは、後ほどに判明する。
右折してすぐに現れるゲート。
もう背景に大平和祈念塔は姿を見せている。
大平和祈念塔は午前9時から午後4時半までの営業。
毎週水曜日と教団行事の日が定休日。
実は探検隊はこの時点で重大なミスを犯していたのである。
緩やかな坂道を下る。
実にのどかな風景である。
しかし誰一人として人影はない。
その事がある種の不気味さを醸し出している。
カーブを曲がって道は直線となる。
道のわきには桜の木が。
おそらく「一万本のPLざくら」の生き残りなのであろう。
春なら見事な花が咲くのでしょうなぁ。
桜の木が姿を消したところに現れた、謎の建物。
探検隊は調査すべく、接近した。
この建物は、劇場ぷらっと。
等身大ぬいぐるみ劇で有名な、劇団カッパ座の常設劇場である。
劇団のホームページによると、
『「いつでもだれでもぷら~っとこれる」がコンセプトの劇場です。』
との事である。
実は劇団カッパ座、「おーい!はに丸」を担当していたのだ。
だから先ほどの看板に、はに丸が登場しているわけなのである。
しかし入口を見てみると、何か変である。
人の気配が一切ないのだ。
ドアの貼り紙に寄ると、
緊急事態宣言の発令延長に伴い休業中のようである。
演劇、しかもメインの観客は子供たちである。
感染を防ぐため、関係者の方々の苦渋の決断がしのばれる。
劇場を後にして、再び大平和祈念塔へ絵と接近する。
ここまで近づくと、かなり大きな塔であることが分かる。
大平和祈念塔の全景。
改めてまじまじと眺めると、その存在感に圧倒される。
ゲートにたどり着くと、本日は休塔との事であった。
どうやらこちらも緊急事態宣言の発令延長に伴い、
休業中のようである。
改めて先ほど撮影した入口の写真を見返すと、
しっかり貼り紙で通知されていた。
仕方ない。
探検隊はここから先の探検を断念した。
ゲートのギリギリから撮影した大平和祈念塔の全景。
大きさにも圧倒されるが、そのデザインにも圧倒される。
大平和祈念塔と呼んでいるが正式名称は、
超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔
なのである。
高さは180メートル。
歴史上のあらゆる戦没者を理由を問わず慰霊と鎮魂する為、
1970年8月1日に落成した。
デザインはPL教団二代目教祖の御木徳近氏。
設計は日建設計、施工は東急建設によって行われた。
大平和祈念塔の細部を見てみる。
まずは先端部から。
一番上に取り付けられているのは、避雷針のようである。
高さ180メートルといえば塔としては高い部類ではないが、
何せ周辺には高層建築物が皆無の土地である。
必要不可欠の装備であるのは、間違いないだろう。
上部のこぶ状になってる部分は、展望台。
内部にエレベータがあって、昔はここまで上がることが出来たそうだ。
今は非公開となってしまい、
信者の方でも下の神殿までしか入れないそうである。
高層建造物が周辺に皆無なので、眺望はかなり良かっただろう。
下部のこぶ状の部分も、展望台であったようだ。
しかし建築物としては、かなり複雑な造形である。
施工した東急建設は、かなり苦労したに違いない。
個人的にはこの部分の造形がこの塔のハイライトであろう。
複雑に交差した柱、そしてぽっかり空いた穴。
型枠工のおじさん、ご苦労様でした。
一階部分は前述の通り神殿になっており、
今も信者の方が使用されている。
土台部分の階段を見ると、そこそこの段数が。
休塔で近付くことが出来なくて、幸せだったのかもしれない。
塔の土台部分に近付くことは出来なかったが、
造形美を十分に堪能出来た。
探検隊は満足し、大平和祈念塔を後にするのであった。
「遊園地はなくなったけれど、富田林の地に塔は健在だった!」
おわり。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?