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人が疲れ果てた先に訪れる世界

 こんにちは。今日は、僕が体験した不思議体験(僕は、元来ADHD傾向強く、恐らく妄想癖があるタイプですので、その前提ではありますが、人が疲れ果てたときどのような幻想を抱き、どのような行動をとるのか)を一つ面白事例として書き記すことにします。

 疲れ果てた3月 

 重要で責任の重いミッションにアサインされていた僕は、1月~3月にかけて、寝る間も惜しみ、自分の時間を取ることも惜しみ、ただ失敗しない様に、迷惑をかけないようにという思いで、仕事に邁進していました。それこそ全身全霊、命を懸けていたと思います。
 そのミッションは3月末と5月GWが完了予定でした。3月末時点で、3月末完了分と5月GW実施分の業務ピークが重なり、僕の業務は崩壊していました。僕は元来、マルチタスクが苦手ということもあり、本ミッションを遂行するスキルも不足している状況でした。そんな中で、周囲のサポートを上手に仰ぐこともできず、心身共に疲弊し消耗していきました。
 3月末完了分をなんとか収め切った時点では、完全に疲れ果て、何も考えられなくなっていました。

業務遂行困難になった4月初旬

 3月末完了分を無事乗り切ったにもかかわらず、僕の心は重かった。納めることが出来たにもかかわらず、達成感を感じることはなく、体は重く、思考は回らず、”ただ何もしたくない”という感情だけが体中をめぐって、まるで血が緩やかに固まっていくかのような、まるで重力が2倍に増えたかのような、心身の重さを感じていました。
 4月中旬時点で僕の気持ちは完全に途切れ、業務が何も手につかなくなりました。もちろん業務に関わる連絡はくるし電話はなるし、やるべきことはたくさんありましたが、僕にはそれに応える気力がありませんでした。
 この兆候があらわれたのが金曜日。まずいと直感した僕は、久方ぶりに得ていた土日休みで気晴らしをしようと、朝から晩まで活動する予定を立て、なんとか自分を奮い立たせようと試みました。土曜日は朝からゴルフ、仕事、ダンスの予定をいれ、日曜日は終日ドライブと木更津のアウトレット迄買い物に出かけました。
 この試みは、僕の想定を裏切り、まったく逆方向に振れました。行動すればするほど、やるべきことをせずにいればいるほど、心身は重く重く重くなり、最後には家に帰りたくなくなり、近くのコンビニで仮眠をしなければならないほどに落ち込んでしまいました。

友人からの救済の電話

 コンビニで仮眠をとっていると、普段ならないプライベートの携帯が鳴ります。見ると高校時代の友人からの電話でした。僕の状況を遠くから察してくれたのか、僕はすがるように電話に出て、彼女に今の状況や気持ち、正直に吐露していきました。彼女はすべて聴いたうえで、自分の過去の身の上の話をしてくれました。彼女がつらかった時、ある文章に救われたとの事でした。高校時代の卒業文集に載っている、担任からのメッセージを紹介されました。その文章の概要はこうです。

”最近、親から受け継いだ畑でジャガイモを育て始めた。1年周期で生えかわるその植物の循環を見ていると、人間の一生に似たものを感じる。
人間はよく、自身の命について、意味や意義、唯一無二の価値を求めがちだが、そんなことを考えるのは人間だけであり、ジャガイモはそんなことを考えず、ただ、自らの命を全うするのみだ。
もちろんあなたが人生における壁に当たった時、自らの命に考え悩むことはあるだろう。そんな時、気づいてほしい。唯一無二を求める、あなたのその傲慢さに。” 


 この教師はもちろん、僕たちを否定するために書いたのではない、彼自身も悩んできた末の救いの言葉だったと思う。この文章を読んで僕は傲慢だったのかと気づかされました。

 この電話を切り、僕は現実に引き戻される。午前4時半、コンビニで目を覚ました僕は、家に帰ることになります。

うつ状態で車を運転してはならない

 僕は家について、車を駐車しようとしました。もともと我が家の駐車場は変な形をしており、普段であっても駐車が大変難しい。そこに、睡眠不足かつ心が不安定な僕が駐車をして事故にならないわけがない。
 細心の注意を払い、バックで車を入れていくが、どうも状況が良くわからない。どうやら初手で間違えたようだが、どう修正すればいいかわからない。何度か出し入れを繰り返す中で、誤ってアクセルを強く踏んでしまう。
後ろで”どーーーん”と大きな音がしたのが分かりました。家が大きく揺れ、家から父親がすごい形相で飛び出てきて、焦った僕は急いで、ギアを入れ替えアクセルを踏む。”ガシャーン”と音を立て、見ると、サイドミラーが首をかしげていました。車は現在修理中です。
 当然でありますが、この後僕は叱責され、自己嫌悪と自己否定とあきらめとで僕の精神は完全に崩壊しました。

 ここまでが日曜のことです。翌日は、仕事であったが、深く深く落ち込んでいた僕は身を起こすことなく、責任もすべてを放棄し逃避しました。

思い立ったが吉日、とにかく植物になりたい

 その後3日間、僕は逃避し続けました。僕はすべての連絡を絶ち(無視し)、すべてのことを考えない様に考えない様にしていました。そんなさなか、ふと携帯を見た際に、親からの連絡が入っていることに気づきます。
 僕は直感しました。このままだと逃げきれない、捕まると。この時、正常であればまず連絡を入れ、安否報告と謝罪をするのが社会人としての当たり前です。もっと前にそうすべきでした。ただ、すでに常軌を逸していた僕の思考回路は、まったく逆方向に振れます。上着だけを羽織り、眼鏡もかけず、財布だけはもって、家を飛び出したのです。
 当時の僕の思考回路はこうです。

1.とにかく逃げよう遠くに 誰も行方を探せないところまで
2.交通機関は足がつく とにかく歩き続けろ
3.目的地は、、、そうだな、山にしよう そして山で僕は植物になろう

本気で山で植物になろうと思っていました。先生の文章にあるジャガイモのようにただただそこにあるだけの状態を求めていました。もうすべての人間らしいものから逃避したかった。本気でなれるとも思っていました。人工物のない誰にも邪魔されない、干渉されない、ただただ実存しているだけのものになりたかった。自分以外の一切を拒絶したかった。
 決して死のうとしたわけではない。ただただ、自然の中で、社会や人間らしい一切のものを断ち、ただそこにあるという状態をつくりたかっただけでした。この苦しみを傲慢であるというのなら、すべて断ち切って傲慢ささえも断ち切ってしまおうと、心の底から本当に思いました。

無我夢中の道中

 僕は本当に無我夢中で歩きました。携帯は置いて出てきたので、地図はないし、最短ルートなど分からない。どこに山があるかもわからない中でとにかく歩いて歩いて歩いて、歩きました。道中、僕はあることに気が付きます。歩くことにつかれ、足が痛くなりどこかで休みたいと思う矢先にだいたいコンビニと公園がセットで僕の体を癒してくれることに。体内時間では各公園で30分~40分くらい休んでいたと思います。どこまで行っても大体疲れ果てた頃にはオアシスがあるものなんだなと感じることができました。僕は17:30頃に小平を出て、立川を越えて歩いた。山に巡り合うまでは絶対に足を止めないと決めていました。徐々に日が昇り始め、気づいたら夜通し歩き続けていたがそんなことは関係ありません。とにかく山、山、山―。
 日が昇り、朝だとわかる頃に、ついに僕の視界が開け、いわゆる里感のある山の中にたどり着いきました。とてもうれしかったし、達成感を感じました。あれだけ仕事で得られなかった達成感を、山を目指して歩き続ける事では得られることを実感したのです。その時の時刻が6:30。約13時間に渡り、途中休憩しながらも歩き続けていたことになります。後で調べたらそこは青梅の山のふもとでした。13時間歩けば、小平から青梅のふもとまで歩いて行けることを僕は、江戸時代ぶりに証明したのではないだろうかと思ったりします(笑)

よし、植物になろう!! でも。。。

 山里にたどり着き、僕はさっそく山の中に繰り出そうと思いました。ですが、状況は僕の想像をまたも裏切ります。山についたのに山に入れる場所が一向に見つからない。今どきの山は、かなり人の手が入っていて、きちんと手入れがされ非常にきれいな状態を保っていました。こんな山の中に、不法侵入し勝手に寝転がり、ただただじっと動かずにいる状態をつくれるわけがない、絶対に人に見つかり、足がつく。。。と僕は絶望しました。13時間歩いて、それもこんな山奥まで歩いてきたのに、ここでもお前ら人間は僕の邪魔をするのかと。怒りを覚えながら、山道を歩き続けました。途中、橋の下など浮浪者として生活できそうな場所はいくつか見つけたが、僕のやりたいことはそうじゃありませんでした。死にたいわけでもなかったのでロープなども買っていなかった。とにかく誰にも邪魔されたくなかった。
 そんな気持ちを抱きながらも、僕が植物になれそうな適切な場所は見つからず、僕は道半ばにして、目的の変更を余儀なくされました。僕は行先を高尾山に変更し、山奥のお寺の前で土下座して頼み込めば、何も言わず何も聞かず、僕を弟子にしてくれるんじゃないかと本気で思いこむことにしました。高尾山に目的地を変更し僕は青梅から、日の出町を越えてあきる野市まで歩くことになります。

体の疲れが精神の疲れを超越した先の逃避行の結論

 僕の体は疲れ果てていました。あきる野市までたどり着くころには、足は棒になり、股関節は悲鳴を上げ、歩くことが困難になりつつありました。そんな中でふと、自分の歩いている道に目がいきます。その道路はきちんと整備され、タイルが貼ってあり、子どもたちが楽しそうにはしゃぎながら歩いて下校していました。こんな山奥で、きちんと人が整備した道路歩いて帰れることに、ひどく感動していました。はるか昔にどこの誰だか知らない人が作った道。その時の人たちは僕と同じような心境だったかもしれない。けれどその人たちの仕事のおかげで、僕はこの疲れた体で、でも限りなく疲労が少ない形で歩くことが出来ている。これが未整備の山道だったら、何も人の手の入っていない完全な自然だったら。そんな考えがふとよぎってしまいました。
 もっとシンプルでいい。”AをBにする”と誰かにとってそれは感動を与えられているのかもしれない。仕事ってそんなもんでしょ。って言われた気がしました。いろんなことを考えて、忙殺されて、意味や価値を考えることすら傲慢で、何にもしたくなくなっていた僕に、あれだけ逃げたかった、人工物で人の手によって整備された道路に、僕は考えを改めさせられてしまうのです。あぁ、逃げるのはもうやめよう。僕は、生きたいと思っているし、人の役にも立ちたい、なんなら仕事は好きだよね、ということに気づいてしまいました。体が精神を超越して疲れたことによる逃げかもしれませんが、僕は考えを改め、帰宅することにしました。ちょうど近くに武蔵五日市駅があったためそこから、拝島線を乗り継ぎ、小平まで電車で帰宅。帰宅して真っ先に各所に連絡し謝罪。すでに僕は与えられていたミッションからは外されており、タスクも周囲が巻き取っていました。僕は迷惑をかけた事実を受け止めることに今、必死です。
ただ、あの時、道中にコンビニがあって、山が手入れされていて、植物になる場所がなくて、道のありがたみに気づくことが出来て、戻ってこれて、周りに謝ることができて、本当によかったと今は思います。
全力で人らしいものから逃げた逃避行は、その道中で、あらゆる人らしいものに引き戻される旅となりました。

夢のような5日間

 と、ここまでが僕が体験した、人が疲れ果てた先にみる幻想・妄想・夢の話。妄想癖のある自分だからかもしれない。あとから読み返してみればツッコミどころしかないし、狂ってるとも思う。だけど、本当に真剣に考えて感じて行動して得た体験であったことは間違いない。僕はそれからうつ病を発症しています。まだ十分に働ける気はしていない。けれどこうやって文章に残したり、自分の不名誉をさらけ出して、自分ここにいるよーみたいな表現をしようと思える気持ちを今は大切にしたいと思っています。
 この文章は人によっては不快感を与えるものかもしれないけれど、今の僕にはこれを公開することが自分に必要だと思っています。僕の不思議体験をちょっとだけでも面白いと思ってもらえたら、有難いです。

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