安井息軒〈擬乞禁夷服疏〉03

原文-03:近者洋夷生心、乞通信互市、歲無虛月。執事洞見其情、而恐其激變、黽勉從之。徐視其所爲、因取其所善火技艦制、敎之海內、以備他日跳梁之變。亦可謂善取於人矣。

訓読-03:近ごろ洋夷心を生じ、通信・互市を乞ふこと、歲に虛月無し。
 執事は其の情を洞見して、其の變を激しうせんことを恐れ、黽勉して之に從ふ。徐(おもむ)ろに其の爲す所を視て、因りて其の善くする所の火技艦制を取りて、之を海內に敎へ、以て他日跳梁の變に備ふ。亦た善く人に取ると謂ふべし。

意訳-03:
 近年、西洋の外人どもが下心を生じ、〔例えば、嘉永6年(1853)に米国使節ペリーと露国使節プチャーチンが相次いで来日して〕国交(通信)や交易(互市)を要求するようになって以来、〔国内情勢の変化は急速で〕一年(歲)を通して”何もないという月”(虛月)がない。

 〔老中の阿部正弘や堀田正睦といった〕幕府の長官(執事)は〔、西洋諸国の軍事力や技術力といった〕その実情を洞察(洞見)して、〔開国した場合に攘夷派が引き起こすであろう擾乱よりも、開国を拒んで西洋諸国が軍事侵攻を仕掛けてきた場合の方が〕その事変(變)が激しくなるだろうと危惧し、〔むしろ〕精力的(黽勉)に〔西洋諸国の要求に〕従った。
 〔そして〕落ち着いて西洋諸国の動きを観察し、〔西洋諸国が〕その得意とする火器と軍艦の製造ならびに運用方式(火技艦制)を採用して、〔文久3年(1863)には洋学研究教育機関「開成所」を設置して〕これを国内で教え、他日〔、西洋人が日本の領内および近海で〕跳梁跋扈するという事変(變)に備えた。
 〔《孟子・公孫丑上》に、古代の聖王禹は“つまらないプライドやこだわりを捨てて他人の意見を聞き入れ、他人のよいやり方を取り入れて善行をなすことを楽しんだ”(己を舍てて人に從ひ、樂しみて人に取りて以て善を爲す)云々とあるが、幕府の判断も〕またよく「他人のやり方を取り入れる」(人に取る)と評価すべきである。

余論-03:幕府の「開国進取」路線に対する評価
 幕府の「開国進取」路線を、《孟子・公孫丑上》の聖王禹の「人に取る」姿勢に擬え、高く評価する。

 本段では「因りて其の善くする所の火技艦制を取りて、之を海內に敎へ」という。これが「開成所」の設置を指すのであれば、本篇の著述時期は文久3年(1863)以降ということになろう。


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