安井息軒《睡餘漫筆・地理のこと》02

原文-02:地影のことを「暗虛」とも云ふ。虛空中の暗處と云ふ。地にて日の光を掩へば、其處は必ず暗し。月其暗き處を過ぐれば、日の光を受くること能はずして、月食となる意にて、月暗虛に陥れば月食と云ふ。《兩京賦》を作りし、後漢の張衡が著せし、《渾天靈秘要》と云ふ書に見ゆ。
 朱氏《詩經》の月食の所を注して、暗虛のことを引き、日中の黑點とし、“日月正しく相對し、日中の黑點に射らるれば、月食す”と云へるは、小兒をも欺き得ざる妄説なり。

意訳-02:地球の影(地影)のことを「暗虛」ともいう。“何もない空間(虛空)中の暗い所(暗處)”という〔意味である〕。地球で太陽光線(日の光)を覆えば、その〔覆われた〕ところは〔地球の影になって〕必ず暗くなる。月がその暗い所を通過すれば、太陽光世(日の光)を受けることができなくて、月蝕(月食)となるという意味で、“月が「暗虛」〔つまり地球の影〕に陥れば月蝕(月食)となる”という。〔この月蝕の仕組みについては、〕《二京賦》(《兩京賦》)を作った、後漢の張衡が著した《靈憲》(《渾天靈秘要》)という書物に見える。

 朱熹(朱氏)が《詩經》の「月蝕」の所に注釈して、〔あれこれといい、さらに《朱子語類・尚書二・康誥》で、張衡《靈憲》の〕「暗虛」の記事を引いて「太陽の黒点」だと説明し、“太陽と月は〔陰陽二気の感応による〕正確な相対関係にあって、太陽〔の表面〕の黒点を〔月面に〕反射することで、〔月面に〕月蝕(月食)が起こる”と言っているのは、小さな子供を騙すこともできない妄説である。

補注:
 執筆時の息軒は眼疾で視力を失い、すでに文字が見えなくなっていた。記憶頼りで書いたためか、誤謬と思しき点がある。以下の通り。

 ①(誤)両京賦→(正)二京賦。
 ②(誤)渾天靈秘要→(正)靈憲
 ③(誤)詩經→(正)尚書

①について。《両京賦》は後漢の歴史家班固の作品。張衡は、班固《両京賦》を真似て《二京賦》を書いた。単純な取り違えであろう。

②について。張衡の天文学関連の著作として伝わっているのは、《靈憲》《靈憲圖》《渾天儀圖注》である。《渾天靈秘要》という書物が存在して、息軒はそれを読んだのかもしれないが、張衡の著書名として挙げるのは適当でないだろう。

③詩經について。《詩経・十月之交》は日蝕を詠んだ詩として知られ、朱熹《詩集経伝》はこの詩に注釈して「凡日月之食」云々というが、息軒が言及したようなことは書かれていない。内容からいえば、むしろ朱熹《朱子語類・尚書二・康誥》の記事が一致している。息軒の記憶違いであろう。

余論:中国における月蝕の理解
 息軒は、その経典注釈において漢代に書かれた注釈をベースとし、朱子学がそれを捻じ曲げたと批判し、清代考証学が朱子学の曲解を正して漢代経説を復元したと評価する。
 同様のスタンスを天文学に於いても示し、”西洋天文学とほぼ同じ理論が、古代中国天文学にあった。ただ、中世以降(仏教や朱子学によって)失われてしまったのだ”という。
 その実例として月蝕の仕組みに対する理解の仕方を取り上げ、西洋天文学と一致する正しい事例として後漢の張衡の「月蝕は地球の影」とする説を紹介し、誤った事例として南宋の朱熹の”太陽の黒点が月面に反射したもの”とする説を挙げる。

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