中村正直〈記安井仲平托著書事〉03,04(完)

03-01

原文03-01:迨舟泊揚子江,即開行篋,則《纂詁》一部安然無恙。恍如對故人,使余頓慰旅况也。

訓読03-01:舟の揚子江に泊まるに迨(いた)り、即ち行篋を開けば、則ち《纂詁》一部安然として恙無(つつがな)し。恍として故人に對するが如(ごと)く、余をして頓(とみ)に旅况を慰めしむるなり。

意訳03-01:船が揚子江に停泊することになったので、旅行ケースを開けてみると、《管子纂詁》は無事でした。まるで古い友人と向かい合っているような気がして、〔すでに日本を遠く離れてしまったという孤独を忘れ、〕にわかに旅の慰めとなりました。

03-02

原文03-02:余意者清國學士如林,然自科舉盛而四子五經,末注紛多,人各有成書,至如諸子古書,其畢生至精者,不甚多見。然則如仲平是書,或亦清國學士之所不棄也。

訓読03-02:余意(おもへら)くは清國は學士 林の如し。然れども科舉の盛なるよりして四子五經は、末注紛多して,人各々書を成す有るも、諸子の古書の如きに至りては、其れ畢生精を至す者は、甚だ多く見ず。
 然らば則ち仲平の是の書の如きは,或ひは亦た清國學士の棄てざる所ならんや。

意訳03-02:私は考えたのですが、清国は〔学識の高い〕学者が〔大勢いて〕林のようです。しかしながら、科挙が盛んなことから四書五経については、「注疏」に対する更なる注釈(末注)までたくさんあって議論も紛糾しており、著書を完成させた人もいますが、先秦諸子のような古い時代の書物にいたっては、生涯をかけて詳しく研究している者は、それほど多くはいません。
 そうであれば、息軒(仲平)のこの書物(=管子纂詁)のようなものは、かえって清国の学者には無視できないのでないでしょうか。

03-03

原文03-03:今日將謁清國貴官【㉙】,贈以此書。因記其由者如此。

訓読03-03:今日將に清國の貴官に謁して,贈るに此の書を以てせんとするに、因りて其の由を記すること此くの如し。

意訳03-03:今日、清国の貴官に拝謁し、この書を贈ろうとするにあたって、その由来を以上のように記しておきます。

04-01

原文04-01:日本慶應二年丙寅十一月二日【㉚】。書於吳淞江【㉛】舟中。

訓読04-01:日本慶應二年丙寅、十一月二日。吳淞江舟中に書す。

意訳04-01:日本国慶応2年丙寅11月2日(太陽暦:1866年12月8日)。吳淞江に停泊中の船中にて書く。

(完)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?