安井息軒《睡餘漫筆・西洋に地動の說あり》00

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○西洋に地動の說あり、日は中處して動かず、地西より東に向ひ、一晝夜に一轉し、晝夜旦暮となり、三百六十六轉し、元の處に歸り一歳となる、人其動くこと【①】を喩らざるは、大船に乗る者唯岸のあるくを見て、船の行くを喩らざるが如し【②】と云ふ、始めて聞かば驚くべし、静に之を思へば、其說極て是なり、///假りに地の周圍【③】を三萬里【④】と立て、日の一晝夜に行く路程【⑤】、千零九十八萬里【⑥】は、其行く事の疾きこと鐵砲玉に千倍すとも、恐くは行き盡すこと能はず、世豈此の如き速疾の物あらんや、此里數は地動の說に據て立たざれども、經一圍三の略算【⑦】にて之を求むに、周圍千零九十八萬里は、徑百八十三萬里【⑧】なり、日中處するに據れば、之を折半【⑨】して、九十一萬五千里【⑩】、地經【⑪】一萬里【⑫】を除きて、地面の日を距ること、九十萬零五千里【⑬】、大抵違はざるべし、///地動の說に據れば、地面日に面する處は晝となり、日に背する處は夜となる、故に日本

注釈:
①こと:底本は合略仮名に作る。今、フォントの関係で改める。
②大船に~如し:船の比喩は、息軒〈地動説〉に「西人の説」として紹介されているが、《太平御覧》所引の《尚書緯考霊曜》にも見える。
 ★《尚書緯考霊曜》地有四遊。冬至地上北而西三萬里,夏至地下南而東復三萬里,春秋二分其中矣。地恒動不止,而人不知,譬如人在大舟中閉牖而坐,舟行而人不覺也。
③地の周圍:地球の円周。現代の天文学では4万km。日本の尺度に換算すれば1万里、中国の尺度に換算すれば8万~10万里。
④三萬里:3万里。典拠未詳。尺度未詳。もし中国の尺度(1里=0.4~0.5km)なら、3万里は1.2万~1.5万kmで、短すぎる。日本の尺度(1里=4km)なら、3万里は12万kmであり、長過ぎる。なお、息軒〈地動説〉では「地球之徑、約三萬五千里」という。
⑤日の一晝夜に行く路程:天動説が是とした場合の、太陽が地球を1日1回周回するために必要な移動距離。
⑥千零九十八萬里:1098万里。典拠未詳。尺度未詳。息軒〈地動説〉は「日之規於大空、約二十萬萬餘里」(=20億里余り)とする。
⑦經一圍三の略算:直径1に対して円周3の関係、すなわち「円周率を3として概算すれば」の意味。「經」は「徑」の誤りか。息軒〈地動説〉では円周率を3.16としていた。
⑧徑百八十三萬里:直径183万里。典拠未詳。尺度未詳。ただし、円周1098万里を円周率3で割れば直径は倍の366万里のはずであり、息軒は計算を間違えている。
 この数値は、天動説を是とした場合の、太陽の公転軌道の直径を指している。すなわち地動説における地球の公転軌道の直径に相当する。息軒〈地動説〉では「六萬三千四百萬零三萬五千里」(=6億3403万5000里)としている。
⑨半:底本は正字体(最初の二画が「八」)に作る。フォントの関係で「半」を用いる。
⑩九十一萬五千里:91万5000里。典拠未詳。尺度未詳。注⑧で述べたように、直径366万里を半分の183万里に誤っているので、半径も183万里とすべきところを誤って91万5000里としている。
 この数値は、天動説を是とした場合の、太陽の公転軌道の半径を指している。すなわち地動説における地球の公転軌道の半径に相当する。
⑪地經:地球の直径。
⑫一萬里:1万里。典拠未詳。尺度未詳。息軒〈地動説〉では、地球の直径を「約三萬五千里」(=約3万5000里)としている。
⑬九十萬零五千里:90万5000里。息軒〈地動説〉では、地表から太陽までの距離を「三萬一千七百萬里」(=3億1700万里)としている。
⑭大抵違はざるべし:「だいたい間違いはないはずだ」の意味。だが、本篇に挙げる数値は、以前執筆した〈地動説〉に挙げた数値との乖離が大きすぎるし、注⑧と注⑩で指摘したように、単純な計算ミスも犯している。

(44頁)

の晝は「アメリカ」の夜なり、之を日月食に(参)〔參〕【①】考するに少しも違はず、一南一北し、春秋冬夏となる、鄭玄【②】が日夜の短長均しからず、日の高低同じからざるを見て、(天)〔地〕【③】三萬里の中に昇降す【④】と云へるは、北辰【⑤】の常に其處に居るを見て【⑥】、其誤りを(知べるし)〔知るべし〕【⑦】、///西人巧に天を說けども、堯典の、期三百有六旬有六日【⑧】の外に出ること【⑨】能はず、堯舜の智【⑩】にして、物の一晝夜に、千零九十八萬里を行くこと能はざるの理なし、然るに天動地靜の說を立てたるは、聖人は衆人の能く見能く聞く所に從つて教を立、世を治め民を相(たす)くるの道を主とす【⑪】、獨知【⑫】の明【⑬】を奮ふて人を驚かす如き小智【⑭】の爲所(しどころ)を務めず、先務を急にする【⑮】とは此事を謂ふなり、///衆人皆日月星の日夜に西に行くを見る、故に天は左旋と云ふ、地の靜にして動かざるを見る、故に地靜と云ふ、日食は明かに月の日を掩ふこと【⑯】を知れ共、孔子の春秋【⑰】を脩る、日有食之【⑱】と書きて、月掩日とは云はず、日の缺るは衆人の見る所、月の日を掩ふは、衆人の見ざる所なれば也、日食は月の日を掩ふこと【⑲】を古人知りたりと云へるは、左傳【⑳】に日食の事を論じて、二分は同道なり、二至は相過なり、故に害を爲さず【㉑】と云へり、二分は春分秋分なり、日月皆黃

注釈:
①參:底本は俗字「参」に作る。今、正字体「參」に改む。
②鄭玄:後漢の儒者である鄭玄(127-200)を指す。鄭玄は経学者であり、全ての経書に注釈を施した。特に《周礼》《儀礼》《礼記》の「三礼」の注釈は重要。
③地:底本は「天」字に誤る。いま、息軒〈地動説〉と《礼記・月礼》疏によって、「地」字に改める。《禮記注疏・月令・疏》鄭注考霊曜云(略)此是地之升降於三萬里之中
④三萬里の中に昇降す:「三万里の幅で上下に振動している」の意味。
 ★《尚書緯考靈曜》地有四遊。冬至地上北而西三萬里,夏至地下南而東復三萬里,春秋二分其中矣。
 ★《禮記注疏・月令・疏》鄭注考霊曜云、地蓋厚三萬里。春分之時,地正當中,自此地漸漸而下。至夏至之時,地下遊萬五千里,地之上畔與天中平。夏至之後,地漸漸向上。至秋分,地正當天之中央,自此地漸漸而上。至冬至上遊萬五千里,地之下畔與天中平。自冬至後,地漸漸而下。此是地之升降於三萬里之中
⑤北辰:北極星
⑥北辰の常に其處に居るを見て:「北極星が常に定位置にあるのを見て」の意味。《礼記・月礼・疏》に「今《禮記》是鄭氏所注,當用鄭義、以渾天為說」とあるように、鄭玄は渾天説の立場に立ち、黄道(太陽の通り道)の高度が季節変化する原因を解説して、天球上の黄道自体に変化はないが、大地が一年かけて三万里の幅で上昇下降しているため、地表から見上げた時の太陽の高度が変化するのだと言った。(例えば、夏至には大地が最も低くなるため、見上げる太陽の高度は大きくなる。冬至は逆に大地が高くなるため、太陽の見かけ上の高度は低くなる)。息軒は、もし大地が上下しているのであれば、太陽以外の全ての天体の高度も一様に季節変化するはずだが、北極星の高度は年間を通して大きな変化はしていないから、鄭玄の説は誤りだとしている。
⑦知るべし:底本は「知べるし」に誤る。今、「知るべし」に改む。
⑧堯典の、期三百有六旬有六日:「《尚書・堯典》の「朞三百有六旬有六日」という語句」の意味。
 ★《尚書・堯典》 帝曰:「咨。汝羲暨和。朞三百有六旬有六日,以閏月定四時,成歲。允釐百工,庶績咸熙」。
⑨こと:底本は合略仮名に作る。フォントの関係で改める。
⑩堯舜之知:「上古の聖王堯帝と舜帝の聡明さ」の意味。《孟子・尽心上》の「堯舜之知而不遍物,急先務也」を踏まえる。
 ★《孟子・盡心上》孟子曰「知者無不知也,當務之為急。(略)堯舜之知而不遍物,急先務也(略)」
⑪聖人は~主とす:ほぼ同様の内容が、息軒〈地動説〉に見える。
 ★安井息軒〈地動説〉聖人主於教,因眾人所耳目而立言,言旣立而道寓焉。(略)夫聖賢盡心究慮者,欲使斯民各得其所耳,故天地陰陽動靜之義,足以補世教而資民用則止。
⑫獨知:自分一人だけが知っていること。ちなみに西周は「conscience」の訳に「獨知」を当てた。
⑬明:明察、明晰さ
⑭小智:少しばかりの知恵、浅はかな知恵、僅かな才知。物ごとの本質を体得する大智に対して、テクニカルな知識を習得する小智をいう。
⑮先務を急にする:「緊急性のある事柄を優先する」の意味。
 ★《孟子・盡心上》孟子曰「知者無不知也,當務之為急。(略)堯舜之知而不遍物,急先務也(略)」
⑯こと:底本は合略仮名に作る。今フォントの関係で改める。
⑰春秋:《春秋》。五つある儒教経典の一つで、魯国の歴史記録を編集したもので、孔子の編纂とされる。記述があまりに簡略なため、戦国時代から前漢の終わりにかけて、《左氏伝》《公羊伝》《穀梁伝》の「春秋三伝」という三種の注釈が成立した。「春秋三伝」の立場は相互に異なっており、息軒(や日本の儒者の多く)は《左氏伝》を重視し、清末の中国では《公羊伝》が重視された。
⑱日有食之:「日蝕があった」の意味。《左伝》には52例見える。《春秋左氏伝・隠公三年》 三年春,王二月己巳,日有食之
⑲こと:底本は合略仮名に作る。今フォントの関係で改める。
⑳左傳:《春秋左氏伝》。孔子の直弟子である左丘明が作ったとされる《春秋》の注釈書。ただし古来より偽作が疑われ、前漢末期の劉歆が、王莽の帝位簒奪と新朝建設を正当化するために捏造したという疑いをかけられきた。息軒は伝承通り左丘明の著作だとする。(参照:安井息軒《左伝輯釈・総論》)。なお《左伝》研究の大家野間文史氏は、《左伝》の内容が全て劉歆の創作ということは考えにくく、何か既存の史料を材料としたはずで、たとえそれが《春秋》に紐付けられて《左伝》と称されるのが劉歆の作為に始まったのだとしても、その内容自体の成立は戦国時代にさかのぼると見てよいとする。
㉑二分は~爲さず:「春分と秋分の時は、常に日蝕が起こる。太陽と月が運行するにあたって、春分と秋分の時は、両者の軌道が重なり、互いにすれ違うからである。だから春分と秋分の日に起こる日蝕は、災いとは見なさない」の意味。
 ★《春秋左氏伝・昭公二十一年》 秋七月壬午朔,日有食之。公問於梓慎曰「是何物也、禍福何為」。對曰、「二至二分、日有食之、不為災。日月之行也、分同道也、至相過也。其他月則為災、陽不克也、故常為水。於是叔輒哭日食。昭子曰「子叔將死、非所哭也」。八月、叔輒卒。

(45頁)

道【①】を行くゆへ、同道と云ふ、二至は冬至夏至なり、日南北の極を行きて、月と相過る所、龍頭龍尾【②】に近し、故に月の日を掩ふこと、他月に比すれば常と云ふべし、故に害を爲す)〔害を爲さず〕【③】と云ふなり、又日食に定期あることも、左傳に引ける胤誓の文【④】に見ゆ、其義は中庸に引ける孔子の言に、隠を索め怪を行ふ、後世述べること有ん【⑤】と云へる是れなり、獨知の明を奮ふて人に伐る如きは、皆小人之事と知るべし///天左遷日月右行【⑥】と立てたる如きは、衆人の見ざる所なれ共、日の一晝夜に恒星に後る間を一度と云ふ、三百六十五度四分度の一遅れて、太陽元の處に返る。是一年の日數、即ち堯典の期三百有六旬有六日なり【⑦】、堯典に四分一と言はずして、六日と言ひしは、成數を擧げたるなり、///日月五星も人の目にて見る處は、東より西にいくこと明かなるに、天は左旋し日月は右と立たるは、衆人の耳目に違ひて教たれ共、是は暦を作るに算法の都合あしく、且日月の天と別體なることを知らせん爲めに、日月右行と立てたる也、聖人は衆人の耳目見聞する處に因て教を立る意は、中庸に孔子の言を引て、隠を索め怪を行ふ、後世述べること有ん【⑧】とあり、孟子に智に惡む所は、其鑿

注釈:
①黄道:天球上の太陽の見かけ上の軌道。
②龍頭龍尾:黄道と白道(天球上の月の見かけ上の軌道)の交差点。そのうち昇交点を龍頭(Dragon Head)といい、降交点を龍尾(Dragon Tail)という。日蝕は、太陽と月が同時にこの交差点に達した時に起こる。
③害を爲さず:底本は「害を爲す」に作る。今、文脈から「害を爲さず」に改める
④左傳に引ける胤誓の文: 「《春秋左氏伝・昭公十七年》に引用されている《尚書・胤征》の「辰は房に集(やはら)がず。瞽は鼓を奏し、嗇夫は馳せ、庶人は走る」という文章」の意味。「辰」は太陽・月・星など。「房」は28宿の一つ、現代でいう蠍座。
 ★ 《春秋左氏伝・昭公十七年》夏六月甲戌朔,日有食之。祝史請所用。昭子曰、「日有食之、天子不舉、伐鼓於社、諸侯用幣於社、伐鼓於朝。禮也」平子禦之曰、「止也。唯正月朔、慝未作、日有食之。於是乎有伐鼓用幣。禮也。其餘則否」。大史曰、「在此月也、日過分而未至、三辰有災。於是乎百官降物、君不舉辟、移時樂奏鼓、祝用幣、史用辭、故《夏書》曰,「辰不集于房、瞽奏鼓、嗇夫馳、庶人走」。此月朔之謂也、當夏四月、是謂孟夏。平子弗從、昭子退曰、「夫子將有異志、不君君矣」。
 ★ 《尚書・夏書・胤征》乃季秋月朔,辰弗集于房,瞽奏鼓,嗇夫馳,庶人走
⑤中庸に引ける孔子の言: 「孔子の直弟子ある子思が著した〈中庸〉で引用されている孔子の言葉」の意味。
 《禮記・中庸》子曰「素隱行怪,後世有述焉,吾弗為之矣。君子遵道而行,半涂而廢,吾弗能已矣。君子依乎中庸,遁世不見知而不悔,唯聖者能之。」
⑥天左遷日月右行:「〔北の方角を向いて〕天空は〔北極星を中心に〕左回転(=西行)し、太陽と月は右回転(東行)する」の意味。
★《白虎通・日月》天左旋,日・月・五星右行何。日・月・五星比天為陰,故右行。右行者,猶臣對君也。《含文嘉》曰「計日月,右行也」。《刑德放》曰「日月東行」。
★《論衡・説日》儒者說曰「日行一度,天一日一夜行三百六十五度。天左行,日月右行,與天相迎。」問日月之行也,繫著於天也。日月附天而行,不直行也。何以言之。《易》曰「日月星辰麗乎天,百果草木麗於土」。麗者、附也,附天所行,若人附地而圓行,其取喻若蟻行於磑上焉。
⑦堯典の期三百有六旬有六日なり:《尚書・堯典》 帝曰:「咨。汝羲暨和。朞三百有六旬有六日,以閏月定四時,成歲。允釐百工,庶績咸熙。」

(46頁)

する爲めなり【①】と見へ【②】、荀子にも不急の辨無用の說、聖人置て論せず【③】とあり、聖賢の心を用ゐること皆此の如し。

注釈:
①孟子~爲めなり:「智者が嫌われるのは、穿ちすぎ〔て、どうでもいいことに対して、無駄に細かいところまで説明しようとす〕るからである」の意味。
 ★《孟子・離婁下》孟子曰、「天下之言性也,則故而已矣。故者以利爲本。所惡於智者,爲其鑿也。如智者若禹之行水也、則無惡於智矣。禹之行水也、行其所無事也。如智者亦行其所無事、則智亦大矣。天之高也、星辰之遠也、苟求其故、千歲之日至、可坐而致也。」
②見へ:底本の「見へ」は、古典文法に従い、ヤ行下二段活用「見ゆ」の連用形「見え」に改めるべき。。
③荀子~論ぜず:「緊急性も必要性もないことは、言及しない」。《荀子・天論》無用之辯・不急之察、棄而不治。

余論-00:地動説の紹介
 内容は息軒〈地動説〉と変わらない。ただ挙げられている数値が大きく異る。

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