安井息軒〈文論〉06

06-原文:然言之不文、不足以行遠。故本旣得矣、又必求之末。其字必鍊、其句必潔、其章必勁、而其篇必貫。權而衡之、以視其平。靡而切之、以察其句。若荊璞出於山、琢而成之、則存乎其人矣。

06-訓読:然れども「言」の文ならざるや、以て遠くへ行くに足らず。故に「本」旣に得れば、又た必ず之に「末」を求む。其の字は必ず鍊に、其の句は必ず潔に、其の章は必ず勁にして、其の篇は必ず貫たり。
 權して之を衡し,以て其の平を視る。靡にして之を切り、以て其の句を察す。若し荊璞 山より出づれば、琢して之を成すは、則ち其の人に存す。

06-意訳:しかしながら〔《春秋左氏伝・襄公二十五年》で、孔子が「古書(志)にこうある、『言辞(言)は思考(志)を補足し、修辞(文)は言辞を補足する』と。〔言葉にして〕言わなければ、誰にその考え(志)が分かるだろうか、誰にも分からない。その言葉に〔ヒトをハッとさせるような〕優れた表現(文)が無ければ、〔いくら内容が良くても〕遠くまで広まらない。晋国が盟主であるのに、鄭国は〔晋国の〕許可なく陳国〔領内〕に侵入して〔攻撃し、盟主たる晋国の面子を潰したので〕、もし〔申し開きの〕言葉が見事(文辭)でなければ功績とは認められなかっただろう。いや、鄭子産は言葉(辭)に慎重だったものだよ」と言っているように、いくら内容が道義にかなっていたとしても、〕言辞(言)が修辞法的に優れて(文)いなければ、遠くまで広まるには十分ではない【★】。だから「本」(道義)をすでにつかめば、次は必ず「末」(修辞法・文章技法)を追求する。単語(字)は必ずじっくりと吟味して選び(鍊)、一文一文(句)は必ず簡潔(潔)にし、一文と一文のつながりは(章)は必ず強くし(勁)、一篇全体は必ず一つの主題・観点で貫徹(貫)させる。
 〔書き上げた後は、自分で全体を〕比較(權衡)して、公平さを見る。押さえつけて斬るようにして(靡而切之)、文章(句)を推敲(察)する。もし「荊璞」のような原石が山から採掘されれば、それを磨いて(琢)、〔「和氏の璧」のような〕壁玉として完成させるのは、ヒトの役割である。〔つまり言辞(言)は、言わば思考(志)という鉱山から発掘された原石に過ぎず、それを磨き上げて修辞法的に優れた文言(文)として完成させる推敲作業を経なければ、人々に認めてもらえず、広く知られることもない。〕

補注:
★言之不文不足以行遠:《春秋左氏伝・襄公二十五年伝》仲尼曰く、「志に之れ有り、『言以て志を足し、文以て言を足す』と。言はずんば、誰れか其の志を知らん。言の文無くんば、行くも遠からず。晉は伯たりて鄭は陳に入り、文辭に非ずんば功を為さず、辭を慎まんや」と。

余論:息軒の修辞法。
 言辞はヒトの思考(志)より発する。(そうではなく、「言葉こそが思考を規定するのだ」という立場もあるが、いまは置く)。一部の作文指導では「思ったことをそのまま書けばいい」などということもあるが、息軒はそれではただ原石を切り出したに過ぎず、必ず修辞法・文章表現を駆使して推敲する必要があると主張する。
 作文に際して息軒が留意するのは、最適な語句の選択(練)、贅語の削ぎ落とし(潔)、論理のつながり(勁)、主題の一貫性(貫)である。


 「和氏の壁」は、《韓非子・和氏》に収録された有名な逸話。埋もれた才能が日の目を見ることの困難さを例える。もっとも息軒は、その意味では使っていない。

 長江南岸に位置する大国楚国に暮らす和氏という男が楚山で壁玉の原石を見つけ、楚厲王に献上した。楚厲王がこれを「玉人」という役職の技官に鑑定させたところ、その玉人は「ただの石です」と答えた。楚厲王は和氏を王に対して虚偽の罪を犯したとして、その左足の脛から下を切り落とさせた。楚厲王が死んで楚武王が即位すると、和氏はまたその原石を宮殿に持っていって楚武王に献上した。楚武王が玉人に鑑定させると、また「ただの石です」と答えたので、楚武王もまた和氏を虚偽の罪を犯したとして、残っていた右足の脛から下を切り落とさせた。
 楚武王が死んで楚文王が即位すると、和氏は今度はその原石を抱えて楚山の麓で慟哭した。三日三晩泣き通し、涙が枯れても泣き続け、ついに両目から血を流しながら、それでも泣き続けた。楚文王はその話を聞いて人をやって理由を尋ねさせた。「天下には、悪事を働いて足切り(刖)の罪を受けた者は数多い。〔みな、その罪を自覚して反省しているというのに、〕そなたはいったい何をそこまで悲しみ泣くのか。〔御上の裁定に不服でもあるのか〕」と。和氏が答えた「拙者は足切り(刖)にあったことを悲しんでいるわけではござらぬ。ただ、この宝玉が石ころと呼ばれ、それがしは嘘つき呼ばわり。それを悲しんでいるだけでござる」と。楚文王は、そこまで言うなら試してみようと、玉人に命じてその原石を磨かせてみると、果たして宝石が姿を表した。楚文王はこれに「和氏の璧」と名付け、国宝とした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?