安井息軒〈星占說〉05 (完)

05a

原文-05a:聖人知其然也、特歷象天之可知而有益於人者、敬授民時。而其不可知者不復強求其理、畏而敬之、以爲修身之資。

 雖烈風迅雷、不敢以惰容接之。況於彗孛非常之變乎。

訓読-05a:聖人其の然る知るや、特だ天の知るべくして人に益有る者を歷象して、敬して民に時を授く。而して其の知るべからざる者は復た強ひては其の理を求めず、畏れて之を敬ひ、以て身を修むるの資(たすけ)と爲す。
 烈風迅雷すと雖も、敢へて惰容を以て之に接せず。況んや彗孛の非常の變に於ゐてをや。

意訳-05a:聖人はそういうことだ〔、つまり一見すると異常に思える現象も自然現象の範疇であり、人生における吉凶禍福も多くは当人の過去の行動に起因する〕と分かっていたので、ただ天文現象や気象現象(天)で〔、夏至や梅雨のように周期性が明らかで、事前に発生することが〕分かっていて、人々〔の暮らし〕に役立つ現象を目安にして農事暦を作成し、〔農作業の時期を人々が間違えることのないように、〕厳かに人民に〔農作業工程ごとに最適の〕時期を教えた。
 そして、〔日蝕や彗星といった周期性が複雑な天文現象や、旱魃や冷夏といった原因不明の異常気象など、事前に発生することが〕分からない現象については無理にその法則性(理)を追求せず、〔発生すれば、〕ただかしこまって(畏)態度を慎んで(敬)、〔日頃行っている〕修身〔に一層身を入れるため〕の一助とする。

 たとえ激しい雷と猛烈な風(烈風迅雷)〔という有りふれた異常気象〕であっても、気を緩めた様子(惰容)で対応したりしない。まして彗星(彗孛)のような〔数十年に一度しか発生しないような〕極めて珍しい異常現象(非常之變)の場合はいうまでもない、〔より真剣な態度で対応する〕。

余論-05a:怪奇現象への対処法
 「鬼神は敬して遠ざく」に代表される、儒家らしい合理的な対処法である。

05b

原文-05b:故桑穀妖也、懼以修德、殷道復興、麟鳳祥也、誇以黷武、漢社殆屋。是故暴君無祥、而仁主無妖。然則彗之出於今日、其亦天之所以眷昭代也夫。

訓読-05b:故に桑穀の妖(わざわい)するや、懼(おそ)れて以て德を修めて、殷道復た興り、麟鳳の祥(さいわい)するや、誇りて以て武を黷して、漢社殆ど屋(お)はる。
 是の故に暴君に祥無くして、仁主に妖無し。然らば則ち彗の今日に出づるも、其れ亦た天の昭代を眷する所以ならんか。

意訳-05b:だから〔殷代に〕「桑穀」が不吉を成し〔て、宮殿内に桑と楮(こうぞ)の樹が一晩で生えるという怪奇現象が起こっ〕た際に、〔殷王太戊は自身の日頃の態度と言行を見つめ直し、〕恐れ慎んで德を修め〔ることに努め〕、〔結果的に〕殷朝の支配(殷道)は再び盛んになったが、〔漢代には、〕鳳凰〔が庭木に止まり、〕麒麟が〔庭を歩いて、漢の治世を〕祝福した際、漢の皇帝は自惚れて〔西方の異民族に対して〕武力を乱用して自ら徳を汚し、〔結果的に、異民族から手痛い反撃を受けて〕漢朝の命運はほどんど終わりかけた。

 こういうわけで、〔暗君の場合、瑞祥と思しき現象が起これば、すぐに調子に乗ってしまい、結果的に国を危うくするため、〕“暴君〔の治める国〕には瑞祥(祥)が起こらない”し、〔明君の場合、不吉に思われる現象が起これば、すぐに気を引き締めて善政に努め、結果的に政治が安定するため、〕“仁主〔の治める国〕には不吉な怪奇現象(妖)が起こらない”のである。
 そうであれば、彗星が今日(天保14年)出現したのも、〔今の12代将軍家慶公が聡明で、先代家斉公時代の三悪人を幕政から排除し、水野忠邦に「天保の改革」(天保12~14年)を実施させ、これが頓挫するや直ちに24歳の阿部正弘を抜擢するなど、明君であるのは疑いようもないから、上述の”仁君に妖無し”という言葉に照らせば、〕上天(天)が〔、「化政文化」が隆盛した先代に比べて、〕清廉なこの御代(昭代)を祝福した(眷)からではないだろうか。

余論-05b:吉兆・凶兆と捉え方。
 バブル崩壊や金融危機、コロナ禍に際して、徹底的に無駄をカットし、経営体制の抜本的な見直しを図ることで乗り切りった結果、組織として強くなったという企業もあるだろう。逆に、苦し紛れで売り出した新商品がまぐれ当たりしたことで運良く急場をしのげた結果、組織改革が先送りされ、最終的に倒産の憂き目を見たという企業もあるだろう。
 またおみくじをひいた受験生にも、凶兆に危機感を抱いて発奮して合格する者もいれば、吉兆に安堵してサボって落ちる者もいよう。逆に凶兆を目にしてやる気を失って成績を落とす者もいれば、吉兆に励まされて奮起して成績を上げる者もいよう。
 吉兆は必ずしも幸福という結果と結びつかないし、凶兆も必ず不幸という結果を招くわけではない。結局のところ、事の正否を分けるのは兆候そのものではなく、それを受け止めたヒトの選択と行動である。

 漢代の「麟鳳祥」が具体的に何を指すのか、分からない。
 「麟鳳祥」が広く瑞祥を意味するとすれば、前漢末期に、西方から白雉が朝廷に献上されたり、赤い文字で「告安漢公莽爲皇帝」と刻まれた白石が井戸から出てくるといった瑞祥が、立て続けに起こっている。この瑞祥を理由に、王莽が漢皇帝から禅譲を受けて、新たに「新」王朝を建設した。王莽は周代の制度に倣って異民族を「王」から格下げして反発を買い、「新」は30年で滅ぶ。その後、光武帝が漢朝を再建する。いわゆる後漢である。
 また「誇りて以て武を黷して、漢社殆ど屋はる」といえば、高祖が匈奴討伐に失敗した「白登山の戦い」が思い浮かぶ。

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