安井息軒〈星占說〉04

04a

原文-04a:且夫天之與地、雖邈焉不相接、而元氣則充塞乎其間矣。是氣也、動而爲風、蒸而爲雲、和而爲雨露、逆而爲氛祲。寒溫燥濕、皆其所爲。而其原則出於天矣。

訓読-04a:且つ夫れ天と地は、邈焉して相ひ接せずと雖も、元氣則ち其の間を充塞す。
 是の氣や、動けば而(すなわ)ち風と爲り、蒸せば而(すなわ)ち雲と爲り、和せば而(すなわ)ち雨露と爲り、逆へば而(すなわ)ち氛祲と爲る。寒溫燥濕は、皆な其の爲す所なり。而して其の原は則ち天より出づ。

意訳-04a:そもそも天空(天)と大地(地)は、遠く隔たっていて(邈焉)互いに接していないけれども、「元気」がその間を詰めるように満たしている。
 この「元気」(氣)は、動けば風となり、立ち昇れば(蒸)雲となり、混和すれば〔大地を潤す〕雨露となり、撹乱(逆)すれば〔視界を遮る〕霧(氛祲)となる。気温と湿度の変化(寒溫燥濕)は、みなこの「氣」が起こしている。そしてその源は天地自然〔天〕より生まれ出でいる。

余論-04a:「気」の自然観
 息軒は天地の間を「元気」なる物質が満たしていると考える。
 「元気」とは、中国思想の用語で、万物を構成する基本物質であり、かつエネルギー体である。エネルギーをまとった素粒子のような概念で、その離合集散によって、物質が生成消滅し、生物が生まれ死ぬ。言うなれば、「元気」は砂粒であり、万物は砂浜に作られた砂像である。砂粒が集まって砂像を形成し、砂像が崩れても砂粒に還っても、砂粒自体は消え去らず、また再びどこかに集まって砂像を形成する。
 西洋哲学にも、”万物は、アトムという均一な最小物質で構成されている”という考え方があったが、18~19世紀にかけてラボアジェやドルトンによって「元素」という概念が提唱され、万物の最小単位は均一なアトムではなく、性質の異なる複数の元素だと考えられるようになった。
 この「元素」の概念が日本へもたらされるのは、慶応元年(1865)に薩長が大英帝国に派遣した使節団によってである。使節団はロンドン大学にて化学の実験を体験したという。

 この”「実験」という検証手法こそが「科学」である”、というようなことを、スティーヴン・ワインバーグ《科学の発見》が主張している。ワインバーグの定義に従えば、本段で息軒が開陳している「気」の理論などは、たとえ超越者の介入を排除していようが、機械論的な構造を取っていようが、客観的な「観察」にもとづいていようが、現代科学に類似する要素があろうが、「実験」による再現実証を経ていない、試みていない、試みようとさえしていない時点で、「科学」の名に値しない、ということになる。
 言われてみれば確かに、「気」の理論には定量実験の発想がない。様々な現象の発生過程を「気」の運動によって上手く説明付けはするのだけれど、その説明にもとづいて現象を再現してみようとはしない。


 この「気」が風となり、雲となり、雨となり、霧となる……と、息軒はいう。とすれば、息軒は「水分を含んだ空気」を「気」の実体と認識していたと考えられる。息軒〈鬼神論〉にも「氣の蒸々として升るや、朝陽の隙に浮ぶ」とあり、「気」という概念・名称は朝霧という実体に対して与えられたと説明している。
 動物は生きている限り呼吸をしており、呼吸が止まれば死ぬ、あるいは死ねば呼吸が止まる。ここから、呼吸によって出し入れされる空気を”生命の源”と考えるようになるのは、むしろ自然な発想と言える。実際、動物は空気中の酸素を呼吸を通して体内に取り込むことで活動しているわけだから、そこまで的外れでもない。

 「元気」によって満たされる”天地の間”とは、そこには太陽・月・星々をも含まれるので、現代でいう成層圏内ではなく、全宇宙を指す。息軒は、宇宙は「気」(=大気)で満たされていると考える。現代人にとっては突飛な発想だが、当時の科学水準としては、別に間違った考えではなかった。

 例えば西洋でも、宇宙は「エーテル」という物質で満たされており、地球の周りをエーテル風が吹いているというように考えられていた。これが「マイケルソン・モーリーの実験」によって否定されたのは1887年、息軒の没後11年目のことである。
  この時でさえ、アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーは、エーテルの実在(=光への干渉)を証明するために、この実験を行ったのである。ただ、予想通りの結果が出なかった、言ってしまえば、大失敗に終わったことで、逆にエーテルの非実在性を証明することになった。二人はこの実験により、1907年ノーベル賞を受賞する。

04b

原文-04b:人之生於是氣也、猶魚之居於水中。動靜云爲、不能不與之相觸。觸而順、則祥氣應。觸而逆、則孽氣應。氣應則天亦應也。故群呼於海、波浪大湧、檑鼓於山、雲雨立至。吉凶之應、亦猶是耳。

訓読-04b:人の是の氣より生まるるや、猶ほ魚の水中に居るがごとし。動靜云爲するに、之と相ひ觸れざる能はず。觸れて順なれば、則ち祥氣應ず。觸れて逆なれば、則ち孽氣應ず。
 氣應ずれば則ち天も亦た應ずるなり。故に海に群呼すれば、波浪大ひに湧き、山に檑鼓すれば、雲雨立(たちどころ)に至る。吉凶の應も、亦た猶ほ是くのごときのみ。

意訳-04b:人がこの〔天地自然(天)の「氣」〕より生まれるのは、ちょうど魚が水中にいるようなものだ。動いたり、じっとしていたり、しゃべったり、行動したりする(動靜云爲)たびに、これ〔すなわち「氣」〕と接触しないわけにはいかない。接触して〔、その時の言行が「氣」の流れに〕順じていれば、めでたい「気」(祥氣)が感応する。接触して〔、その時の言行が「氣」の流れに〕逆っていれば、不吉な気(孽氣)が感応する。

 〔ヒトの言動に〕「気」が感応すると、〔連鎖反応的に「気」の源である〕天地自然(天)もまた感応するのである。だから〔ヒトが〕海に向かって大勢が呼ばえば(群呼)、磯波が盛んにわき起こり、山で太鼓を叩けば(檑鼓)、雨雲がたちどころにやってくる。〔人生における〕吉凶禍福の応報も、やはりこれと同じ〔で、偶然でもなければ、神仏が下だす罰や褒美でもなく、自身の言動がめぐりめぐって返って来た〕にすぎない。

余論-04b:「気」の感応論
 水中に生息する魚が片時も「水」から離れることがないように、ヒトも周囲を取り巻く「気」と常に接している。だからヒトは「気」から影響を受けるが、逆に「気」へ影響を及ぼすこともできる。そして「気」の変化は、連鎖的に天地自然に影響を及ぼす。つまり「気」を媒介として、ヒトの言動は天地自然に影響を及ぼし得るのである。

 息軒の意図は、超越者の恣意的な介入、加持祈祷による吉凶禍福の招来を排除することにある。ただ、「気」の機械的な反応によって、ヒトと天地自然の相関は法則化できると説明しているのである。

 ただその具体例として、海に叫べば波が立つとか、山で太鼓を叩けば雨雲が起きると言われると、困惑せざるを得ない。確かに、たまたまそういうことも偶然あるのかもしれないが、常にそうなるという再現性に欠ける。

思想史を研究する者は、研究対象の思想家を偉大に見せたがるものである。そして、”彼は現代の思想・知見を先取りしていたのだ”と、いいたがる。私も例外ではない。戒めないといけない。

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