安井息軒〈地動説〉00

(32頁表)

  地動說【①】
天者轉也【②】,象轉於上。故謂之天。地者止也【③】,形止於下。故謂之地。故凡動者天之徒也,而屬之陽。靜【④】者地之徒也,而屬之陰。陰陽之義【⑤】,動靜【⑥】之理【⑦】,聖人之所定名,而後人之所循守也。//至漢儒【⑧】見日躔【⑨】之相距於二至【⑩】也,謂地球升降於三萬里之中【⑪】。於是乎始有地動之說【⑫】。然其所謂動者,特動於靜【⑬】中。而天之轉於上,地之止於下,未嘗異其名也。///其異之,則自西洋始矣。案地動之說【⑭】,生阨日多【⑮】,而成於厄勒西亞【⑯】。謂天止而地

注釈:
①說:底本は俗字「説」に作る。今改。
②天者轉也:”「天」〔の語源〕は「転」である”の意味。
 息軒は、「天」と「轉」が同音(てん)であることから、意味が通用する(=同じ語源)と解説する。ただし、中国語の発音に従えば、「天」(tian 1声、他前切、十二部)と「轉」(zhuan 4声、知戀切、十四部)の発音は相当に異なっており、(たぶん)通用はしない。《説文解字》や《康煕字典》などにも「天≒轉」とする説は、管見の及ぶ限り、見当たらない。江戸儒者の著作に典拠がありそうな気もするが、未詳。独自解釈か。待考。
③地者止也:”「地」〔の語源〕は「止」である”の意味。
 息軒は、「地」と「止」が同韻(i)であることから、意味が通用する(=同じ語源)と解説する。ただし、中国語の発音に従えば、「地」(di 1声、徒四切。古音在十七部)と「止」(zhi 3声、 諸市切、一部)の発音は相当に異なっており、(たぶん)通用しない。《説文解字》や《康煕字典》などにも「地≒止」とする解説は、管見の及ぶ限り、見当たらない。江戸儒者の著作に典拠がありそうな気もするが、未詳。独自解釈か。待考。
④靜:底本は俗字「静」字に作る。今改。
⑤陰陽之義:陰陽消長変化の原理。《周易・繋辭上》廣大配天地,變通配四時,陰陽之義配日月,易簡之善配至德。
⑥靜:底本は俗字「静」字に作る。今改。
⑦動靜之理:動くか動かないかの基準。《孫子・虛實》 故策之而知得失之計、作之而知動靜之理、形之而知死生之地、角之而知有餘不足之處。
⑧漢儒:漢代の儒者。漢代には二種類の天動説が存在し、一つは著者不詳《周髀算経》の「蓋天説」、一つは後漢の張衡(78―139)の「渾天説」であった。以下は、渾天説の説明と思われる。
⑨日躔:底本は「日纒」(「纒」は「纏」の異体字)に誤る。今改。
 「日躔」とは、古代中国天文学の用語で“太陽の運行”を意味する。ここでは黄道(天球上の描かれる太陽の見かけ上の軌道)の意味で用いている。
⑩二至:夏至と冬至。ここでは夏至と冬至で黄道(天球上の太陽の見かけ上の軌道)が異なる現象、つまり南中高度の季節変化について、漢代の考え方を紹介している。
⑪謂地球升降於三萬里之中:”地球は、約3万里の幅で上昇と下降を繰り返している”の意味。「渾天説」の説明をしている。
★《尚書緯考霊曜》地有四遊。冬至地北而西三萬里,夏至地南而東復三萬里,春秋二分其中矣。地恒動不止,而人不知,譬如人在大舟中閉牖而坐。舟行而人不覺也。
★《礼記注疏・月令・孔頴達疏》〔鄭玄注《尚書緯考霊曜》云〕地蓋厚三萬里。春分之時,地正當中,自此地漸漸而下。至夏至之時,地下遊萬五千里,地之上畔與天中平。夏至之後,地漸漸向上。至秋分,地正當天之中央,自此地漸漸而上。至冬至上遊萬五千里,地之下畔與天中平。自冬至後,地漸漸而下。此是地之升降於三萬里之中也。
⑩說:底本は俗字「説」に作る。今改。
⑪靜:底本は俗字「静」に作る。今改。
⑫說:底本は俗字「説」に作る。今改。
⑬阨日多:エジプト
⑭厄勒西亞:ギリシア

(32頁裏)

動。月之與五星【①】,皆地類也。故亦皆不常其所。而大陽中處爲之心,所以激轉諸動,而使日新不已也。///延寶【②】中,西洋南懷仁【③】,如清獻其書。清主【④】以爲妖言惑眾,焚之東華門【⑤】外。儒者因而斥之【⑥】,不復究其說所由來【⑦】。我嘗試思之,其言極近於理【⑧】,而適見天動之可怪矣。請舉其最易見者一以證之。而其餘可類推焉。///蓋地球之徑【⑨】,約三萬五千里【⑩】。日之距地面【⑪】,三萬一千七百萬里【⑫】。自乘【⑬】加地徑,日躔【⑭】之徑【⑮】,六萬三千四百萬零三萬五千里【⑯】,以三一六乘之【⑰】,日之規於大空【⑱】,約二十萬萬餘里【⑲】,可謂至遠矣。且天下之物,大者遲,而小者

注釈:
①五星:太陽系の五つの惑星。水星・金星・火星・木星・土星を指す。
②延寶:江戸時代の年号。1673~1681年。
③南懐仁:ベルギーのイエズス会宣教師フェルビースト(Ferdinand Verbiest、1623-1688)の中国名。1659年に中国に渡り、布教のかたわら清朝の康熙帝(在位:1661―1722)に仕え、暦法の改革、天文観測や大砲の鋳造を指導した。また、世界地図「坤輿全図」、洋式観測機器の解説書「霊台儀器志」を著した。楊光先の誣告により投獄されるも、後に復職。
④清主:清朝皇帝。延寶年間(1673-1681)に在位していたのは康煕帝(在位:1661―1722)だが、フェルビースト(南懐仁)が清国に来て最初に仕えたのは順治帝(在位:1643-1661)。また、フェルビーストが投獄された「康煕暦獄」(1664-1665)は、康煕帝が幼少であったことから重臣4人による合議体制がとられていた時期のことであり、康煕帝の意志ではない。康煕帝は、むしろ西洋文化の受容に積極的であった。
⑤東華門:北京にある紫禁城(現在の故宮)の東門。
⑥儒者因而斥之:"儒者は西洋天文学を排斥した”の意味。
 ただし、清朝はアダム・シャール(Johann Adam Schall von Bell、湯若望、1591-1666)やフェルビースト(南懐仁)を欽天監監正(北京天文台館長)として登用し、彼らが西洋天文学に基づいて作成した「時憲暦」をその滅亡まで施行している。
⑦來:底本は俗字「来」に作る。今改。
⑧理:真理、ことわり。この「理」は"合理的”という時の「理」で、客観法則・自然法則の意味。「天理」や「義理」という時の「理」ではない。
⑨地球之徑:地球の直径。
⑩約三萬五千里:3万5000里。典拠未詳、1里が何kmに相当するかも未詳。
 現代天文学では、地球の直径は1万2742kmとされる。日本の江戸時代の尺度では1里=3.927kmなので、約3244里にしかならない。また中国の清朝でも1里=0.576kmなので、2万2000里にしかならない。古代中国(周漢)では1里=0.4kmなので、約3万1855里となり、これが息軒の挙げる数値と近い。 
 いま1万2742kmを3万5000で割れば1里=0.364kmとなる。唐代が1里=0.32kmだったという説があるが、息軒がこれに従ったとは思えない。
 なお息軒は、ミューヘッド漢訳《地理全志》を参照していたと思われるが、同書には「赤道徑長二万六千四百里、二極徑長二万六千三百里」とあり、あるいは、息軒はこの「三万」を「二万」に誤っていたのかもしれない。その場合、以下の数値をことごとく改める必要が生じる。待考。
⑪日之距地面:太陽の地表からの距離。現代天文学では、平均1億4960万km、地球の直径の約1万倍とされる。
⑫三萬一千七百萬里:3億1700万里。江戸時代の度量衡と見なせば、1里=3.927kmなので、12億4485万9000kmに相当するが、 古代中国(周漢)の尺度と見なせば、1里=0.4kmなので、1億2680万kmとなり、現代の学説にほど近い。また上述の通り、「三」字は「二」字の誤りであるかもしれない。そうすると2億1700万里となり、清代は1里=0.576kmなので、1億2499万2000kmとなり、現代学説に近い。ただし「三」字を「二」字に改めれば、次の「日躔之徑」の「六」字を「四」字に改める必要が生じる。
⑬自乘:"2倍する”の意味。
⑭日躔:底本は「日纒」(「纒」は「纏」の異体字)に誤る。今改。
⑮日躔之徑:〔天動説を是とした場合における〕太陽の周回軌道の直径。ただし息軒がここで挙げているのは、太陽-地球間の平均距離の2倍、すなわち地球の公転軌道の平均直径に地球の直径を加えた数値である。
 息軒の意図は、恐らく西洋天文学の太陽系モデルに立脚したうえで、もし地球が定点で太陽が動点だとした場合(=中井履軒が作成した天体模型図《天図》の構造)に生じる矛盾点を指摘することで、「天動之可怪」を論証することである。
⑯六萬三千四百萬零三萬五千里:6億3403万5000里。疑ふらくは、「四百萬」の「萬」一字は衍字であろう。この数値は、上述の「日之距地面」(太陽の地表面からの平均距離=3億1700万里=地球の公転軌道の平均半径)の2倍に、地球之徑(地球の直径=3万5000里)を足した数値で、地球の公転軌道の外縁の平均直径に該当する。天動説を是とした場合、太陽が地球を周回しているので、この数値がそのまま太陽の公転軌道の直径となる。
 なおミューアヘッド漢訳《地理全志》には「冬夏至、相距亦有六万三千餘万里」とあり、冬至と夏至で地球の位置は6億3000万里余り隔たるとするが、これは地球の公転の楕円軌道の長径に相当し、息軒が挙げた数値と近い。
⑰以三一六乘之:”円周率をかけると”の意味。「三一六」は316ではなく、円周率3.14の近似値3.16であろう。もし316であれば、息軒は「三百一十六」と表記したはずである。
 円周率は、後漢の張衡が √10=約3.162とし、三国時代に呉の王蕃が142/45=約3.1555、魏の劉徽は3.14 + 64/62500 < π < 3.14 + 169/62500とし、南朝の祖沖之が3.1415926 < π < 3.1415927としている。息軒は、張衡の円周率を採用したとみえる。
⑱日之規於大空:”太陽が天空に〔コンパス(規)で線を引いたように〕円を描く”の意味。息軒は本来地動説を支持しているが、ここでは終始“もし天動説を是とした場合どうなるか”という例え話をしている。
⑲二十萬萬餘里:20億里余り。上述の太陽-地球間の距離(半径)を2倍して円周率をかけた数値で、天動説を是とした場合における太陽の周回軌道の全長、すなわち地球の公転軌道の全長に該当する。
 ミューアヘッド漢訳《地理全志》は「地球軌道長二十一万六千三百万里」といい、息軒の挙げた数値と近い。

(33頁表)

疾。大陽之大於地球,一百三十八萬四千四百七十倍【①】。而一晝夜之頃,行二十萬萬里之遠,其疾萬倍銃子【②】,猶未能周。有此理【③】乎。儒者生而見聞之,習焉而不察【④】。故以爲當然,不見其可怪耳。///而說【⑤】則不然,地球之轉於空,猶車之輾【⑥】於地,東行一轉則爲一晝夜,三百六十有六轉【⑦】,則周於規而成歲【⑧】矣。今夫面嶽於西,全然見其形。南面而側於右,東面而沒於背,北面而生於左,西面則復見其全。東西南北轉於此,而全側生沒變於數十里之外,而嶽之卓然【⑨】不動者,自若【⑩】也。此可以喻其理【⑪】矣。///然則人處地球,而不覺其動者何也。

注釈:
①一百三十八萬四千四百七十倍:138万4470倍。現代科学では、太陽の直径は地球の約109倍、質量は約30万倍、体積は約130万倍とされる。ここで息軒は、体積比について言っているのだろう。
 この数値の典拠は、恐らくミューヘッド漢訳《地理全志》である。ミューヘッド(William Muirhead,慕維廉,1822-1900)は清国の上海租界(外国人居留区)で活動したロンドン伝道会宣教師で、1854年に英国の地理書を漢訳した《地理全志》を刊行した。同書の〈日属行星論〉に、太陽の大きさについて「其大于地球也、一百三十八萬四千四百七十倍」とある。
 《地理全志》は刊行後すぐに日本へ伝来し、上海で刊行されてからわずか5年後の安政6年(1859)、息軒の師友鹽谷宕陰(1809-1867)が訓点を施した和刻本が刊行されている。息軒が、この宕陰本《地理全志》を参照した可能性は極めて高い。
②銃子:銃弾、弾丸。
③此理:"こんな理屈”の意味。息軒の言わんとする所は、“もし地球が自転しておらず、太陽が地球を周回することで昼夜が生じているのだとすれば、太陽-地球間の距離は3億1700万里なので、太陽は24時間で約20億里(8000億km)を疾走していることになる。そんなことがあり得るか?むしろ地球が自転していると考えたほうが無理がないだろう”ということである。
④習焉而不察:”〔既成概念に〕慣れ切ってしまい、それについて詳しく再検討してみようさえしない”の意味。《孟子・盡心上》行之而不著焉,習矣而不察焉,終身由之而不知其道者,眾也。
⑤說:底本は俗字「説」に作る。今改。
⑥輾:ころがる、まろぶ。
⑦三百六十有六轉:366回転。正確には365と1/4回転だが、息軒もそのことは承知しており、安井息軒《睡餘漫筆》に「日の一晝夜に恒星に後る間を一度と云ふ、三百六十五度四分度の一遅れて、太陽元の處に返る、是一年の日數、即ち堯典の期三百有六旬有六日なり、堯典に四分一と言はずして、六日と言ひしは、成數を擧げたるなり」という。
⑧歳:年。
⑨其理:"その理論”の意味。息軒の言わんとする所は、“山は動かないが、観測者がその場で身体の向き(東西南北)を変えれば、観測者から見た山の位置(前後左右)は変わる。同様に太陽は動かないが、地球の自転に伴って観測者の身体の向きが変わることで、観測者からは太陽が位置が変えたように見えるのだ”ということ。

(33頁裏)

曰此西人巨船之說【①】也。乘巨船於江,唯見岸移於彼〔、〕而不覺船行於此。船行且猶不覺,又安能覺大地之爲動哉。故月以地爲心,地以日爲心,而運轉之際,一南一北,以蓄其勢,冬夏生焉,薄蝕【②】出焉。其精不違毫釐,則西人之說備矣。///然則聖人非矣乎。曰道不同也。聖人主於教,因眾人所耳目而立言,言旣立而道寓【③】焉。西洋主於理【④】,理之所在,雖涉【⑤】回僻,而必究之。孟軻曰,「堯舜之智,而不周物,急先務也」【⑥】。荀卿曰,「不急之務,無用之辨,君子不爲也」【⑦】。夫聖賢盡心究慮者,欲使斯民各得其所耳,故天地陰陽動靜之義,足以補世教

注釈:
①說:底本は俗字「説」に作る。今改。
②薄蝕:日蝕と月蝕。底本は「薄食」に作る。今改。
③寓:やどる。
④理:理屈、理論。朱子学の「天理」ではない。
⑤涉:かかわる、わたる。
⑥孟軻曰云々:孟子の言葉で、”古代の聖人は、緊急性を伴う事案から優先的に取り組んだ。何でもかんでも平等に並列処理していくようなやり方はとらなかった”の意味。《孟子・盡心上》孟子曰「知者無不知也,當務之為急。(略)堯舜之知而不遍物,急先務也」。
⑦荀卿曰:荀子の言葉で、”不要な問題を議論することや、緊急性のない問題を考察することはしない”の意味。《荀子・天論》無用之辯,不急之察,棄而不治。

(34頁表)

而資民用則止,否則雖易知如日食,易辨如彗孛【①】,猶且舍而不論。又何暇索隠捜賾【②】,以沒心於無用之理哉。///漢儒精於經【③】。而疎於理,見日之南北於上,以爲地升降於下。是特窺其緯【④】,而不知其經【⑤】也。後儒【⑥】則密於理矣。而其說【⑦】益鑿,不知月食【⑧】爲地影【⑨】。安問其餘。故聖人之道無以加焉。若以理而已矣,我寧從西說。是亦君子捨己【⑨】從人【⑩】之義也。

注釈:
①彗孛(すゐはい):彗星、ほうき星。
②索隠捜賾:隠れた真理を探し求めること。
③經:経書。漢代は経学の勃興期であった。
④緯:横糸。
 漢代には「経書」に対して「緯書」があり、その研究も盛んだった。「緯書」は儒教教義を神秘主義的に解釈し直したもので、易緯・書緯・詩緯・礼緯・楽緯・春秋緯・孝経緯の「七緯」があったが、隋煬帝が禁書としたことで散逸した。
⑤経:経糸。
⑥後儒:朱子学者。宋学の徒。
⑦說:底本は俗字「説」に作る。今改。
⑧月食:底本は「日食」に作る。安井息軒《睡餘漫筆》の記述にもとづき、「月食」に改める。
 安井息軒《睡餘漫筆》に曰く、「(西洋の)天文の説其理漢土渾天家の説に同じ、渾天家の説に地の天中にあるは、鶏子中の黃の如しと云ひ、月食は地影也と云ふが如き、皆西説と暗合す、地影のことを暗虛とも云ふ、虛空中の暗處と云ふ、地にて日の光を掩へば、其處は必ず暗し、月其暗き處を過ぐれば、日の光を受くること能はずして、月食となる意にて、月暗虛に陥れば月食と云ふ、兩京賦を作りし、後漢の張衡が著せし、渾天靈秘要と云ふ書に見ゆ」。
⑨不知月食爲地影:“月蝕が地球の影であることを知らない”の意味。安井息軒《睡餘漫筆》に「朱氏詩經の月食の所を注して、暗虛のことを引き、日中の黑點とし、日月正しく相對し、日中の黑點に射らるれば、月食すと云へるは、小兒をも欺き得ざる妄説なり」と。
⑩己:底本は「已」に作る。今改。
⑪捨己從人:“〔調和を重んじ、〕こだわりを捨てて相手に合わせる”の意味。 《孟子・公孫丑上》大舜有大焉,善與人同。舍己從人,樂取於人以為善。《尚書・大禹謨》稽於眾,捨己從人







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