安井息軒〈辨妄・五〉07(完)

原文-07:我聞前四十年而來、西土亦有悅聖人之教者曰、「治天下、莫孔夫子之道若焉」。輓近則梓行聖經、譯以國字。此將欲敷其教於國中也。況其人固聰明、非若北狄南蠻不可得而教誨之類、不久我道其將行於彼與。君子道長、則異端必消【①】、自然之數也。我若今日啓耶蘇、數十年之後、得無如浮屠滅於印度、而獨遺害於我國乎哉。在上君子、其可不再思焉乎。

注釈:
①君子道長則異端必消:《周易・泰・彖伝》「内は君子にして、外は小人なり。君子の道長じて、小人の道消すればなり」(内君子而外小人、君子道長、小人道消也。)

訓読-07:我聞くならく前(さきだつこと四十年而來(このかた)、西土にも亦た聖人の教えを悅ぶ者有りて曰く、「天下を治むるは、孔夫子の道に|若(し)くは莫し」と。輓近は則ち聖經を梓行し、譯すに國字を以てす。此れ將に其の教を國中に敷かんと欲するなり。況んや其の人固(もと)より聰明にして、北狄・南蠻の得て教誨すべからざるが若(ごと)きの類には非ず、久しからずして我が道其れ將に彼に行はれんとするか。君子の道長ずれば、則ち異端必ず消ゆるは、自然の數なり。
 我若(も)し今日耶蘇を啓(ひら)けば、數十年の後、浮屠の印度に滅びて、獨り害を我が國に遺すが如き無きを得んや。在上の君子、其れ再思せざるべけんや。

意訳-07:私が聞いたところによれば、40年前以来、西洋にも儒学(聖人之
教)を好む者がいて、「社会(天下)を治めるには、孔子の思想(道)に及ぶものはない(=儒学が一番良い)」と言っているそうだ。最近では、〔西洋人が《論語》など儒学の〕経典(聖經)を母国語に翻訳して出版したという。これは、〔西洋人自らが孔子の〕その教えを国中に広めたいと思っているということである。
 西洋の人々は〔その地理や天文に関する知識、優れた工業技術が示すように〕もともと聡明で、未開地の野蛮人(北狄・南蠻)のような教え諭すことができないタイプの民族(類)ではないから、久しからずして我々東洋の儒学(我が道)が彼の地(=西洋)で実践されるようになるのではないだろうか。〔孔子が説いた〕君子の道は〔真理であるがゆえに〕長久不滅なので、〔キリスト教のような〕異端が必ず〔儒学のような正統によって〕淘汰されて消え去るのは、自然の摂理である。

改訳:我が国が今日キリスト教(耶蘇)を解禁すれば、数十年後には、例えば仏教(浮屠)が〔仏教発祥地の〕インドでは滅んで〔、伝播先の東アジアで隆盛し、かろうじて中・韓では朱子学の普及によって仏教の封じ込めに成功したものの〕、ただ我が国にのみ〔仏教が生き残って〕その害悪を残しているような事態〔、つまり西洋では儒教によってキリスト教が駆逐されたのに、かえって日本ではキリスト教が残っているという逆転現象〕にならないとも限らない。政治を行う立場(在上)にある知識人(君子)は、〔キリスト教解禁令について〕もう一度よく考える(再思)べきではないか。

補足:以前は下記のように訳していた。差し替えたい。

旧訳:〔社会に警鐘を鳴らす知識人の端くれとして、〕私〔たち儒者〕が今日〔日本国内の〕キリスト教徒(耶蘇)を正道へと教え導けば、数十年後には、例えば仏教徒(浮屠)が〔仏教発祥地の〕インドでは滅んで〔、伝播先の東アジアで隆盛し、かろうじて中・韓では朱子学の普及によって仏教の封じ込めに成功したものの〕、ただ我が日本国にのみ〔仏教が生き残って〕その害悪を残しているような事態〔、つまり西洋ではこのさき儒教が広まることでキリスト教徒がいなくなるのに、かえって日本ではキリスト教徒が残っているという逆転現象〕が起こらないようにできるのではないか、いや、できるはずだ。政治を行う立場(在上)にある知識人(君子)は、〔キリスト教解禁令について〕もう一度よく考える(再思)べきではないか。

余論:東洋の価値観が西洋を席巻するという予測。
 息軒は、伝聞と断った上で、ここ40年、儒学に高い評価を与える西洋人が出現していること、また最近西洋で儒家経典の翻訳出版が行われたことを根拠として、遠からず西洋では儒学が主流となるのではないかという予測を立てる。


 息軒の”近代西洋は東洋の儒学を受容しつつある”という主張は、荒唐無稽に聞こえて、実は意外と的を射た意見だったりする。以下、井川義次《宋学の西遷/近代啓蒙への道》などを参照。

 16~18 世紀にかけて、イエズス会士は中国での布教に際して、キリスト教義を中国の思想・常識・社会通念に適合させる方針をとっており、士大夫(中国の知識人)の考え方を理解するべく、中国古典を研究し、ラテン語に翻訳していった。当時の儒学は朱子学が隆盛で、その「格物窮理」(自ら確立した絶対的主観に基づいて外物を把握していこう)の思想を反映した経典解釈が、ラテン語訳を通じて欧州に発信されると、折しも、ヒトの「理性」の力に注目し始めた西洋の知識人を惹き付けた。
 儒家経典の翻訳としては、フィリップ・クプレ(Philippe Couplet、1623-1693)の《論語》〈大学〉〈中庸〉、フランソワ・ノエル(François Noël、1651-1729)《中華帝国の6つの古典書籍》(Sinensis imperii libri classici sex)の《孟子》《孝経》《小学》がある。
 儒学(朱子学)が同時代の西洋知識人たちに提示したのは、”神の存在抜きに、ヒトの「理性」の自律的な働きは成立する”というアイデアである。これが、当時の西洋思想界で起こっていた”キリスト教の精神支配から脱して、ヒトの「理性」による哲学を構築する”という流れを加速した。
 たとえばライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz、1646-1716)《中国自然神学論》、クリスティアン・ヴォルフ(Christian Wolff、1679-1754)《中国人の実践哲学に関する講演》(Rede über die praktische philosophie der Chinesen)、ベルンハルト・ビルフィンガー(Georg Bernhard Bilfinger、1694-1750)《古代中国人の道徳・政治学説の実例》(Specimen
doctrinae veterum Sinarum moralis et politicae)などは、儒学(朱子学)のなかに自らの理想を見出した啓蒙思想家であり、彼らの後にカント《純粋理性批判》が続いていくことになる。
 往々にして西洋の近代理性主義は、古代ギリシア哲学に端を発し、西洋に於いて純粋培養され、19世紀の科学と結びつき、その普遍性ゆえに現在では世界中へ伝播していったと喧伝され、東アジア伝統の儒学などは西洋の理性主義と相対する(後進的な)価値観と見下されがちだが、実は、そうでもないのである。理性主義は、むしろ、東西思想文化交流の産物というべきなのである。

 息軒は、もちろん井川義次氏のように西洋事情に通じていたわけではないけれども、限られた情報を分析して、キリスト教に対する西洋知識人の認識の底流に東洋儒学と相通ずる観念が存在し得ると見抜いたのである。息軒の予言は表面的には外れるのだけれど、西洋における近代思想動向をピタリと言い当てていたわけで、息軒のIntelligenceの高さには敬服させられる。


 今日において、理性主義に疲れた西洋人が、東洋哲学に傾倒というか逃避するのは珍しくもない。ただその場合、「禅」、「道」(タオ)、「考えるな、感じろ」、「May the Force be with you」といったキーワードに象徴される、非言語的でスピリチュアルな精神世界に関心を示すケースが多い。
 その点、マイケル・ピュエット《ハーバードの人生が変わる東洋哲学/悩めるエリートを熱狂させた超人気講義》は老荘のみならず、孟子や荀子といった儒学にも注意を払っている。
 また、マイケル・サンデル《サンデル教授、中国哲学に会う》 も、社会道徳に強い関心を払う点で、禅や老荘ではなく、儒学(というより儒教か)に注意を払ったものといえる。

 息軒は、西洋におけるキリスト教の権威失墜を予測しつつ、仏教が発祥地のインドで衰退して日本で隆盛を誇っている現状を鑑みて、キリスト教もそうなる可能性を示唆し、警戒をゆるめない。
 確かに仏教は発祥地インドで廃れ、伝播先の東南アジアや東アジアのほうがかえって信仰が盛んである。キリスト教も、発祥地のパレスチナ近辺にはほとんど信者はおらず、伝播先の欧米でかえって盛んに信仰されている。儒教も、発祥地の中国本土では壊滅的で、伝播先の日韓のほうがよく残っている。マルクス主義も、発祥地のドイツでは忌避されて、今では伝播先の中国が最大の信奉国である。
 思想の中心地が発祥地からズレるのは、面白い。

 息軒の自然科学観について。総じて言えば、儒者の範疇に収まり、また江戸時代後半の知識人の共通理解と一致している。伝統的な儒家思想(朱子学)と相容れないのは、「五行説の拒否」と「地動説の採用」ぐらいであろうか。

①唯物主義:前世や来世、死後の世界、肉体から離れて存在する霊魂、有意志的人格神などの存在を全て排除して、形而下で現象の因果関係を完結させようとする。その動機は、キリスト教や仏教を排撃する目的から出ている。

②陰陽二気論:朱子学は「気」は一種であり、その状態によって相対的に陰陽という”立ち位置”に分ける。だが、息軒は陰気と陽気の二種の粒子的存在を仮定しているのかもしれない。また、朱子学が採用している五行説の存在は、認められない。(日本の古学者は陰陽説のみを取り、五行説は取らない)。
 五行説は現象の原因・背景を説明付けるのには適しているが、再現性を度外視する側面があり、科学”的”ではあるけれど、近代科学とは相性が悪い。

③地動説:西欧の地理学・天文学の受容。ひいては、西洋の科学技術の採用。息軒は、基本的に保守派(若い維新志士には「因循」とまで批判された)の知識人であり、幕末儒学界の頂点にいた老儒である。その彼が西洋の自然科学(地理学・天文学)を公然と支持していたという点に、思想史的意味があるのではないか。
 確かに西洋自然科学を公然と支持していた儒者としては、息軒に先立って渡辺崋山(松崎慊堂を師とし、息軒の兄弟子にあたる)とか佐久間象山とかいたけれども、処刑されたり暗殺されたりするような儒者が口にするのと、昌平黌儒官や皇族の侍講を打診される儒者が言うのでは、思想史的な意味合いがまるで違う(と、個人的には思っているのだが、なかなか賛同が得られない)。

④感応説:類似したもの同士は、接触なしに影響を及ぼすという呪術的思考。現代の科学知識では呪術だが、「量子テレポーテーション」という現象もあることだし……。

⑤自然発生説:地球上の生命は、超越者(神)の被造物ではなく、偶発的に自然発生したと見なす。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?