安井息軒《睡餘漫筆・地理のこと》04

原文-04:西人は彗星の如きも、出るに定期ありと言へるは、予未だ其の理を窮めざるゆへ詳らかに其の是非を云ふこと能はず。
 算は即ち漢土にて用う算木の法なり。其の異なる所は木を並べると、紙に書くとの違ひあるのみなり。今の珠盤(※ソロバン)は、算木の手間取を厭ひて明末に拵へし物なり。其の品と詞と運動の法は違へども其の理は同じ。

意訳-04:西洋人が彗星のようなものも、出現には一定の周期があると言っているのは、私はまだその理論をきちんと考究していないので、詳しくその是非について述べることはできない。〔だが、おそらく正しいのだろう。〕

 〔西洋の〕数学(算)とは、つまり〔古代〕中国で用いられた算木(さんぎ)を使用した計算方法〔のようなもの〕である。その〔西洋数学と〕異なる点は木を並べるか、紙に書くかの違いがあるだけである。今のソロバンは、〔卓上に幾つもの木片を広げるという〕算木の手間を嫌がって明代末期にこしらえた物である。その使用する品物(品)と用語(詞)と動かし方(運動の法)は違うけれどもその理屈は同じである。

余論:数学に対する評価
 彗星の周期性に関する西洋天文学の理論について、息軒はまだきちんと考察していないから、正しいか否か、述べることはできないという。裏を返せば、地動説や日蝕・月蝕に関しては、相当に検討を加えたという自負があるのだろう。

 数学について、西洋と東洋の理論に差は無いと断じる。和算など、江戸時代の数学が相当に高度であったことは、よく知られている。

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