安井息軒〈辨妄・五〉04

原文-04:月亦一地球、本無自光、受日光以爲光。其所以能參成男女者何也。曰、鏡亦無光、執以暎日、可以照屋粱。謂之非日輝則不可。月之照地、亦猶如鏡之照屋粱耳。月以地球爲心、以二十九日有竒、一周其外。乃天之所以衛地也。故能感其陰類。互物之肉隨月盈虧,而潮汐進退從其出沒。是明證也。 婦人亦陰類也。故其經水月必一行,而其受胎,歲只四月,月只三日。以其齒與經行淨後爲之度,則月之能參成男女,亦何疑焉哉。


訓読-04:月も亦た一地球にて、本(もと)自ら光る無く、日光を受けて以て光を爲す。其の能く男女を參成する所以の者は何ぞや。
 曰く、鏡も亦た光無し。執りて以て日を暎(うつ)せば、以て屋粱を照らすべし。之を日の輝きに非ずと謂へば則ち不可ならん。月の地を照らすも、亦た猶ほ鏡の屋粱を照すが如きのみ。

  月は地球を以て心と爲し、二十九日有竒を以て、其の外を一周す。乃ち天の地を衛(まも)る之所以なり。
 故に能く其の陰類に感ず。互物の肉は月に隨ひて盈虧して、潮汐の進退は其の出沒に從ふ。是れ明證なり。

 婦人も亦た陰類なり。故に其の經水は月に必ず一行し、其の胎を受くるや、歲に只だ四月のみ、月に只だ三日のみ。其の齒(よはひ)と經行淨後とを以て之が度と爲せば、則ち月の能く男女を參成するも、亦た何ぞ焉(これ)を疑はんや。


意訳-04:月(Moon)もまた一種の地球であって、本来、自分自身で光ることは無く、日光を受けて〔それを反射することで、見かけ上〕光っている。〔自ら光と熱を発する太陽が万物の生育に影響を及ぼしているのは分かるとして、自ら光や熱を発することのない〕月(Moon)が〔ヒトの〕男女を分ける原因とな〔り得〕るのはなぜか。

 〔その問いに答えて〕言う。鏡もまた自ら光ることはないが、それを手にとって太陽を映せば、〔反射光で屋内の〕天上の梁を照らすことができる。これを“〔鏡で一度反射しているから〕太陽の輝きとは〔質的に全く〕違うものだ”と言うことはできないだろう。月(Moon)が地球を照らすのも、ちょうど鏡が天上の粱を反射光で照らすようなものに過ぎない。〔つまり月(Moon)の光は、万物を生育する太陽光を反射したものなので、月(Moon)の運行もまた万物の生育に影響を及ぼしているのである。〕
 月(Moon)は地球を中心として、29日余りで、地球の周りを一周する。〔月(Moon)は地球の衛星、つまり〕天が地球を守るための道具である。

 〔ところで万物は陰陽の「気」が配合して構成されるが、物によって陽気と陰気の配合比率は異なり、陽気が多いものを陽類、陰気が多いものを陰類と称する。なかでも月(Moon)は陰類の最たるものであり、〕だから地球上の陰類と感応することができる。〔例えば、亀・スッポン・ハマグリ・カニなど〕甲殻を持つ生物(互物)の肉は、月(Moon)の運行に同調して厚くなったり薄くなったりするし、〔水も陰類であるため、一日の〕潮の満ち引きも月(Moon)の出沒に従い〔、月が昇るに従い満潮となり、沈むに従い干潮とな〕る。これがその〔月(Moon)が万物に影響を及ぼしている〕明らかな証拠である。
 女性もまた陰類である。だから〔月(Moon)の影響を受け〕月経(經水)は一ヶ月に必ず一回〔、満月か新月の頃に〕あり、女性が妊娠可能な時期は、〔年齢によって異なるが、孟春・孟夏・孟秋・孟冬、あるいは仲春・仲夏・仲秋・仲冬、もしくは季春・季夏・季秋・季冬のいずれか、つまり〕一年の内たった四ヶ月だけで、〔しかも月経が終わってから三日、つまり〕一ヶ月の内たった三日だけだ。年齢(齒)と月経の終わりが周期(度)をなしているので、月(Moon)が〔生まれてくるヒトの〕男女を分けていることを、どうして疑おうか、いや、疑う余地はない(反語)。

余論:月(Moon)の生物への影響に関する諸論
 息軒は上段において、太陽が地球と地表の万物に強い影響を及ぼしていると論じた。本段では、月(Moon)もまた地表の万物に影響を及ぼしていることを論証せんとする。
 基礎理論は二つ。月(Moon)が太陽光を反射していることと同類感応。ただし二つの理論の相互関連性は低い。

 まず、太陽と違って自力で光熱(気)を発していない月(Moon)が、太陽同様、万物の生育に干渉し得る理由として、息軒は月が太陽光を反射している事実を挙げる。
 現代人としては、太陽光が理由なら、月(Moon)ではなく、太陽の影響ではないかと思うが、恐らく現代と近世では「鏡の反射」のメカニズムに対する理解が、異なっているのだろう。現代人には、鏡はただ表層で太陽光を弾いているだけというイメージだが、息軒たち近世以前の人々は、鏡は一度太陽光を吸収した上で内部から太陽光を返していると理解していたのではないだろうか。太陽を映した鏡に、太陽の何かしらが宿るというイメージがなければ、鏡が神器となることはないだろう。

 同類感応について。
 上段で、息軒が示した男女の産み分け理論は、“月(Moon)の満ち欠けと生物の生育は同調している”という経験則を根拠とする。この月(Moon)と生物にまつわる経験則自体は、世界各地の文化圏に共通して見え、大多数の人々が“確からしい”と信じているという意味では、「迷信」というよりも、「科学」に属すると見なしていいだろう。

 現代の科学者も、月(Moon)は潮の満ち引きのみならず、ヒトを含む生物全般の繁殖行動に影響を及ぼしていると考えており、例えばトヨタ紡績と名古屋大学は、月の満ち欠けに合わせて光量を変化させることで植物の成長を促進させるという研究を進めている。(参照:日本経済新聞(2018年10月17日)〈潮の満ち引きを起こす力、トヨタ紡織と名大が研究〉)

 ただし息軒と現代の科学者では、媒介に対する説明付けが異なる。現代の科学者たちは、媒介として月(Moon)の引力を想定し、月(Moon)の引力による潮汐効果や地上の重力変化が生物に影響を及ぼしていると説明するが、息軒は媒介として「気の感応」を想定しているという点で、大きく異なる。

 「同類感応」とは、音叉の共鳴に似た概念で、先秦文献には同じ型の二つの青銅器を隣り合った部屋にそれぞれ一器ずつ安置し、一方を叩いて鳴らすとと、もう一方が叩かずして鳴り出すという現象を紹介しているものがある。これを敷衍して、古代中国人は”「気」的に同じモノ同士の間では、物理的距離を越えて一種の共鳴現象(感応)が起こり得る”と考えた。
 たとえば、親と子や天とヒト、など、形状的には全く異なっていても、「気」的に同根であれば、共鳴(感応)は起こりうるとされた。

 西洋にも「共感」(Sympathy)という概念があり、例えば17世紀頃には「武器軟膏」といって、傷口ではなく、その傷を付けた武器の方に軟膏を塗るという治療法が広く行われていた。(実際は、当時は衛生観念が低かったため、雑菌まみれの手で傷口に軟膏を塗り込むより、水できれいに洗い流して放置しておくほうが自然治癒効果が高かった……というのが真相だが、結果的に「武器軟膏」を用いたほうが下手な治療より効果が高いという経験則が蓄積された。)また犬の血を付けた包帯に軟膏を塗ると、その血の持ち主である犬が痛がって鳴くという仕組みを利用して、航海中の船に時刻を知らせる方法が考案されたりした。

 この“類似したもの同士は、物理的距離が離れていても、互いに影響しあう”という発想は人類共通と見え、様々な文化圏で確認できる。フレイザードは、この発想にもとづく呪術を「類感魔術」と総称している。

 中国思想における「天人相関説」、すなわち為政者の不徳や政治の乱れが異常気象や自然災害を呼び込むという思想では、その仕組みに関して、上天(有意志的人格神)による譴責という理屈付けと、ヒトは「天」と同じ「気」で構成されているため、ヒト側の乱れと共鳴して「天」(機械論的自然)側の運行も乱れてしまうという説明付けが、並行して行われた。

 「気」の理論によれば、例えば月(Moon)と水は、形状的には似ても似つかないが、いずれも純度の高い陰気で構成されていることから、共鳴現象(感応)が生じ得ると考えられた。

 つまり、満月や新月になって月(Moon)の力が増大すると、水も月(Moon)に共鳴(感応)して増量し、河川の水位や海水面が上昇する。また、カニは(赤いので)陽類に属し、満月の頃は陰気が強まり陽気が衰えるため、満月の頃にとれるカニは身が痩せている。逆に、アサリやハマグリは陰類なので、大潮となる満月と新月のころは肉厚となり、潮干狩りは大潮の時が向いている。(潮干狩りが庶民の間で定着したのは、江戸時代)。
 これらを現代的に説明し直すと、河川の水位上昇は大潮によって海水が河口を遡上することが原因で、その大潮も月(Moon)の引力や遠心力によって地表面の海水が偏重しているに過ぎず、海水の絶対量が増大しているわけではない。また海洋生物は大潮となる満月・新月に産卵や移動などを行う習性があり、カニの場合は満月の時に脱皮するため、その時期のカニは脱皮直後で身に対して殻が大きく、相対的に痩せて見えるに過ぎない。また、アサリやハマグリの場合、満月と新月は大潮となって干満差が最大になるため、普段はずっと海面下にある沖合でも潮干狩りが可能になるため、結果的に普段よりも大物が採れるというに過ぎない。そこに「気」が介入する余地はない。

 ともあれ、息軒は月の運行・潮汐作用・海洋生物の生態に同調関係があると指摘し、それを月(Moon)が主体となった影響関係と解釈する。ここまでは現代科学と同じだが、その仕組みを「気」の同類感応として説明する点が現代とは異なる。

 息軒は、《易》に準じて、女性を陰類と措定する。また月経がほぼ月(month)に一回であることから、月(Moon)の周期と同調していると見なし、月(Moon)と女性の間に感応の関係がある証拠だとする。
 月の満ち欠けが女性の生理に影響するという考えは、現代でも広く見られる。だが、その後に続く男女の産み分け論は、やはり現代人には受け入れがたい。息軒が他の著作で見せるシニカルともいえる合理的思考と比較しても、あまりに異質である。

 息軒の高弟松本豊多の解説によれば、「其の胎を受くるや、歲に只だ四月のみ」とは、例えば人差し指・中指・薬指の三本指を立てて〔《易》の三爻に見立て〕、それぞれに女性の年齢に当てはめると、人差し指が1歳、中指が2歳、薬指が3歳となり、4歳は再び人差し指、5歳は中指、薬指が6歳となり、以下、10歳、13歳、16歳、19歳…が人差し指となる。そして、それぞれの指が何月に妊娠できるかを示しており、人差し指は孟春・孟夏・孟秋・孟冬、中指が仲春・仲夏・仲秋・仲冬、薬指が季春・季夏・季秋・季冬を示す。例えば、20歳の女性は中指に配当されるので、1年のうち、2月(仲春)・5月(仲夏)・8月(仲秋)・11月(仲冬)にしか妊娠できない。
 この年齢ごとの妊娠可能な時期と月経周期が月(month)を尺度としていることから、月(Moon)が男女の性別分化に関わっているのは疑いようもないと、息軒はいう……が、現代人にはそもそも“年齢別の妊娠可能な月(month)”云々が、受け入れがたく、説得力に乏しい。何か中国医学に典拠があるのだろうか。識者の教示を請う。

 思うに、この産み分け理論の異質さは、《周易・説卦伝》の解釈を起点としているからであろう。総じて息軒は、まず事実を観察し、その原因を分析して、推論を述べる。だが、産み分け理論については、実際に女性の年齢と出産月に相関関係が有るか否かを検証していない。存在しない事実にもとづいて空論を展開している。息軒らしからぬ態度である

 上述のように、息軒が論証として挙げる“月は太陽光を反射しているから”という理屈と同類感応の理屈は、それほど関連性がない。儒者は、自分に都合が良い理屈が有れば、相互の矛盾や全体としての一貫性は度外視して、それらを並べ立てたがる傾向がある。儒者にとって、それは「あらゆる観点から見て、自分の主張は正しい」事の証明になるからである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?