安井息軒《睡餘漫筆・序》00

(1巻1頁)

睡餘漫筆序
 兼好法師【①】がつれづれなる【②】まゝ、机に向ひて思ふこと【③】言はざらんは、腹ふくるゝなり【④】と云はれしは、げにさる事にて、己七十六歳の春より、目を病て物を見ること叶(かな)はず、起きては食ひ食ひては臥すこと【⑤】、二年の久しきを經(へ)れ共愈(い)へず、つれづれのあまり日を暮らしかねて、七十七歳の冬思ひ立ち、字行(じのかたち)の僅かに見ゆるをたよりとして、心と手にまかせ、思ひ出づることをヤタラ書きに書く、日數積りて紙かずも重なりければ、幼けなきうま子ども【⑥】の心得の片はしとも成ること【⑦】有らんかとて、聚めて一巻の書となし、睡餘漫筆と名付けぬ、詞にあや【⑧】

注釈:
①兼好法師:吉田兼好(1283?-1352以後?)。鎌倉時代から南北朝時代にかけての随筆家。日本三大随筆の一つ《徒然草》の作者。
②つれづれなる:することもなく手持ち無沙汰だ。「徒然なり」の連体形。
③こと:底本は合略仮名に作る。フォントがないので改める。
④思ふこと言はざらんは、腹ふくるゝなり:思っていることを言わないでいるのは、腹の中に物がつかえているようで、落ち着かない。
 ★吉田兼好《徒然草・第十九段》:言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
⑤こと:底本は合略仮名に作る。フォントがないので改める。
⑥幼けなきうま子ども:幼く無邪気な孫たち。思うに、「うま子ども」は「馬子(うまこ)ども」=「馬子(まご)ども」=「孫(まご)ども」ではないか。待考。
⑦こと:底本は合略仮名に作る。フォントがないので改める。
⑧あや:①論理・理屈・道理。②修辞。ここでは②の意味か。

(1巻2頁)

なく、章のついで【①】も立たざるは、思ひ出づるまゝに書きし故なり、尚餘命あらば、年毎に書き添ふること【②】も有らんかし【③】。

 明治八年十一月朔 七十七歳翁 安井息軒 土手三番町三番地の宅に書す

注釈:
①ついで(序):順序、順番。
②③こと:底本は合略仮名に作る。フォントがないので改める。
③かし:~たらいいなぁ。願望の終助詞。

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