安井息軒〈擬乞禁夷服疏〉09

原文-09:方今眾庶困乏、而好奇走利之俗、日甚一日。彼以其狡黠之心、播奇幻之術、訹之以禍福、誘之以恩惠。民之從之、猶水赴壑、豈可禦哉。

訓読-09:方今は眾庶困乏して、奇を好み利に走るの俗、日一日と甚だし。
 彼は其の狡黠の心を以て、奇幻の術を播き、之を訹(さそ)ふに禍福を以てし、之を誘ふに恩惠を以てす。民の之に從ふや、猶ほ水の壑に赴くがごとし。豈に禦(ふせ)ぐべけんや。

意訳-09:今や、庶民(眾庶)は〔、開国が引き起こしたハイパーインフレによって、日々の〕生活に窮乏(困乏)しており、〔そこから逃れようとする余り、〕目新しい変わったものを好んで目先の利益に走る風潮は、日に日にひどくなっています。

 彼奴ら〔西洋人宣教師ども〕はその狡猾(狡黠)な心を働かせて、怪しく不思議な(奇幻)手品を見せて〔神秘的な力があると人民に信じさせ〕、庶民を誘い込む(訹)のに〔、イエスが死後3日にして生き返ったとか、神が大洪水を起こして世界中を水没させたといった荒唐無稽な話を聞かせ、〕奇跡や天罰(禍福)の話を用い、勧誘するのに〔西洋の品物や薬品を配るという〕恩恵を施す方法を取ります。
 人民が〔西洋人宣教師に〕従う様子は、まるで水が谷(壑)に流れ込むよう(※)です。どうして防ぐことができるでしょうか、いや、できません。

補注:
※誤訳を改めた。旧語「川の水が谷(壑)を流れて行く」

余論-09:幕末の基督教布教の様子
 開国後も、日本人が基督教を信仰することは禁止されていた。明治元年(1868)の「五榜の掲示」でも禁止されており、解禁されたのは明治6年(1873)2月のことである。もっとも、”横浜の外国人居留区に居留する欧米人のため”という名目で、宣教師たちは訪日しており、当然のごとく、周囲の日本人への布教を始めていた。

 「浦上四番崩れ」ーー慶應3年(1867)に長崎で起きた隠れキリシタンの大規模摘発。信者らは捕縛され、厳しい拷問を受けたーーが示すように、幕末最末期になっても国内の基督教への弾圧は苛烈を窮めたが、息軒の目には宣教師がおおっぴらに布教を行っているように映ったと見える。
 息軒は、基督教に興味を示す庶民の勢いを、急峻な渓流に喩える。息軒の分析によれば、純粋な宗教的動機から基督教に心惹かれたというよりも、人民は「奇を好み」がちだからだという。現代でいえば、さしずめ「反ワクチン派」であろうか。
 

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