安井息軒〈地動説〉06

原文-06:而說則不然。地球之轉於空、猶車之輾於地。東行一轉則爲一晝夜、三百六十有六轉、則周於規而成歲矣。今夫面嶽於西、全然見其形。南面而側於右、東面而沒於背、北面而生於左、西面則復見其全。東西南北轉於此、而全側生沒變於數十里之外。而嶽之卓然不動者、自若也。此可以喻其理矣。

訓読-06:而して說は則ち然らず。地球の空に轉ずること、猶ほ車の地に輾(まろ)ぶがごとし。東行して一轉すれば則ち一晝夜と爲り、三百六十有六轉すれば、則ち規を周りて歲を成す。
 今夫れ嶽に西に面し、全然として其の形を見る。南面すれば而(すなわ)ち右に側(そばだ)ち、東面すれば而(すなわ)ち背に沒し、北面すれば而(すなわ)ち左に生じ、西面すれば則ち復た其の全きを見る。東西南北此(ここ)に轉ずれば、而(すなわ)ち全側生沒數十里の外に變ず。而るに嶽の卓然として動かず、自若たるなり。此れ以て其の理を喻ふべし。

意訳-06:しかしながら〔「地動」の〕說はそうでは〔なく、「天動説」のようなあからさまな論理破綻は〕ない。〔「地動説」によれば、〕地球が空間内で回転するのは、ちょうど車輪が地面の上を回転するようなものだ。東周りに一回転すれば一昼夜となり、366回転すれば〔ーー正確には365と1/4回転だが、ここでは端数を切り上げて整数にして366回転とする。ちなみに《尚書・堯典》が1年を「三百有六旬有六日」というのも同じ理由であるーー〕、公転軌道を周回して1年(歲)となる。

 今、西面して山岳と向き合っており、〔正面に〕その形が完全に見えているとする。〔身体の向きを変えて〕南面すれば〔山岳は〕右側に屹立し、東面すれば〔山岳の姿は〕背後に消え、北面すれば左側に現れ、〔再び〕西面すればまたその全体が見える〔ようになる〕。その場で〔身体の向きを〕東西南北〔の異なる方角〕へと転ずれば、〔山岳は〕数十里離れた地点で全貌を見せたり、側面に屹立したり、背後に隠れたり、再び姿を現したりと〔見える方向が〕変化する。しかしながら山岳自体は周囲から抜きん出るように屹立したまま動かず、落ち着いた様子である。これによって〔、静止しているはずの太陽の方が移動して見える〕理屈に喩えられるだろう。

余論-06:地動説の解説。
 地球が自転していること、そしてなぜ静止しているはずの太陽が動いて見えるかについて、比喩を交えて説明している。
 ここで述べていることは、《睡餘漫筆》にも見える。


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