安井息軒〈文会社約〉05

(05)

原文-05:一、會之題、主人必命二頁以上、以備後會結撰。
 文心之宣也、命題起筆、本屬繆舉。然吾槽淺學、不得不姑借之以肆業。
 若題果不入心、或則有緊急文字、不妨題外爲之、以通其窮。庶機不失文章本旨也。
 

訓読-05:一、會の題は、主人必ず二頁以上を命じ、以て後會して結撰するに備ふ。
 文心の宣するや、題を命じて筆を起こせば、本は繆舉に屬す。然らば吾曹は淺學にして、之を姑借して以て肆業せざるを得ず。
 若し題 果して心に入らず、或ひは則ち緊急の文字有らば、題外に之を爲し、以て其の窮を通ずるを妨げず。庶機(こひねが)はくば文章の本旨を失はざれ。

意訳-05:本会(會)の文題(題)は、〔会場責任者となる〕幹事役(主人)は必ず2頁以上書いてくるものとし、後日また会合して文章としてまとめる(後會結撰)準備をしておく。

 〔 劉勰《文心雕龍》は「文心」とは詩文の創作に心を向けることだと定義するが、そもそも詩文という創作活動は、まず〕創作意欲(文心)が〔詩文を創作せよと〕告げ、文題(題)を決めて書き始めるので、もともと〔感性の赴くまま、筆に任せて〕誤った説を雑駁に並べ立てる行為(繆舉)に属する。そうであれば、吾輩は浅学なため〔拙稿にはその手の誤謬が数多く含まれているはずで〕、この機会を借りて〔会員に批正してもらい、〕文章修行(肆業)をしないわけにはいかない。

 もし〔指定された〕文題(題)がしっくりこない、あるいはどうしても今すぐ書きたい文章が他にあれば、文題から外れていても書いてよいこととし、〔“どうしても書けない”という〕そのピンチ(窮)を抜け出すことを禁止しない。どうか〔“いかに優れた詩想を得ようと、書き出さなければ意味がない”という〕文章の本旨を見失わないようにしていただきたい。

補論:《読書余適》

 本段で息軒は「之を姑借して以て肆業せざるを得ず」といい、会合に際して会員たちに自分の原稿を批正してもらいたいと、述べている。実際、そうして完成したのが、息軒《読書余適》である。
 《読書余適》とは、漢文で書かれた旅行記である。天保13年7月から同年8月にかけて、息軒は江戸を出て東北一周旅行に出かけており、その道中で見聞きしたことや感じたことが、日付順に記されている。

 高橋智〈塩谷宕陰・木下犀譚批評安井息軒初稿「読書余適」〉によれば、慶応大学図書館斯道文庫には、息軒自筆の〈読書余適〉上下二冊の初稿が保管されているのだが、そこには木下犀譚が朱筆で、塩谷宕陰が藍筆で、それぞれ修正案を書き込んでいるという。
 恐らく先に犀譚が上巻を、宕陰が下巻を読んで批正を加えた後、互いに交換して、また批正を加えたと見られる。塩谷宕陰と木下犀譚が修訂を加えた上で跋文を寄せたのは、天保14年9月のことである。

 ちなみに本書には、黄遵憲(1848-1905)が息軒の高弟松本豊多に請われて序文を寄せている。また、明治33年(1890)に《睡余漫稿》(漢文)と合刊して出版され、後には中等教科書として採用されるに至る。
 この出版された《読書余適》と、上述の塩谷宕陰・木下犀譚の修正案が入った初稿では字句に違いある。息軒が、友人二人の助言に従い、本文を書き改めたからである。


 

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