安井息軒〈星占說〉

解題

 〈星占説〉は、安井息軒(1799-1876)が、ヒトは彗星や日蝕といった異常現象に対してどう向き合うべきかを論じた一篇である。
 周知の通り、東洋の天文占では彗星は凶兆と見なされてきたが、息軒は西洋天文学を根拠として”彗星もまた周期的な天文現象に過ぎないので、特に恐れる必要はない”と断言したうえで、”ただ、これを機に自分の言動を見直すといいだろう”と提言する。これは、西洋天文学に触れている点に新味を覚えるものの、非常にスタンダードな儒家的言説といえ、基本的に《春秋左氏伝》における鄭子産の発言を越えるところが少しもない。儒学は古来より合理的なのである。

 本篇は、まず冒頭で、天保14年(1843)2~4月にかけて世界中で観測された「1843年の大彗星」(C/1843 D1)の様子を描写する。この描写部分は、明治政府が編纂した日本唯一の官撰百科事典《古事類苑》に収録されている。

 続いて、中国における「天人観念」の変遷を、夏書・孔子・戦国諸子・漢儒の順で論じていき、東洋で成立した目的論的自然観と近代西洋の機械論的自然観を対比させる。そして西洋天文学を引いて、日蝕や月蝕同様、彗星もまた周期的に起こる天文現象に過ぎないと断言し、そこから超越者の意思(天意)を排除する。
 ただしその際に、「氣」を媒介とした機械論的天人感応論が展開され、その実例として、”ヒトが海辺で大声で呼ばえば波が立つ”、”ヒトが山頂で太鼓を叩けば雷雲が生じる”が挙げられていることについては、いささか面食らう。
 だが、これらは「迷信」や「エセ科学」というよりも、単に「誤った科学知識」というべきであろう。当時の人間にとっては、”ヒトが海辺で大声で呼ばえば波が立つ”ものだし、”ヒトが山頂で太鼓を叩けば雷雲が生じる”ものだったのである。昔の人は、我々とは異なる宇宙法則の中を生きていると、認識すべきであろう。重要なのは、”超越者の意思(天意)”が全く想定されていないということである。

 続けて、対応方法が述べられる。彗星が単なる天文現象であり、凶兆などではないにせよ、何もしなくていいことにはならない。息軒は、過去の聖人を見習って、異常現象を一つの契機として、修身に身を入れることをすすめる。息軒のいう「修身」とは、《救急或問》によれば「臭穢ノ行」を除くこと、つまり日頃の言動を改めることである。(山ごもりなどではない)

 最後に、彗星は「維新」(惟新)の象徴であるとして、むしろ吉兆と捉えるべきだといって締めくくる。

 本篇が冒頭で取り上げる「1843年の大彗星」(C/1843 D1)についてはも、日本各地に目撃記録が残っている。
 東洋の天文占では彗星は凶兆とされているが、例えば、宮内庁書陵部所蔵の土御門《彗星出現一件》もこれを凶兆と解釈し、地震や火災が起こり、社会不安が高まるだろうと警告を発している。また同書収録の〈彗星辨斷〉では、彗星の頭部が南半球にあって日本からは観測できないことから、日本で災害が起こる心配はないが、南米では地震・火災が起こるだろうと予測している。
 その一方で、幕府天文方〈白氣に付天文方より御報之大略〉は、西洋天文学に言及した上で、今回の彗星は吉凶の兆候などではないと報告している。息軒の立場は、幕府天文方のそれに近い。

 本篇の執筆時期について。
 本編は、息軒の内孫安井千菊と外孫安井小太郎によって、息軒没後2年目(1978)に刊行された《息軒遺稿》に収録されている。本篇そのものの執筆時期は例によって未詳だが、「1843年の大彗星」について言及がある以上、上限は天保14年(1843)となる。
 下限について憶説を述べれば、本篇のテーマからして、息軒が安政5年(1858)のドナチ彗星(C/1858 L1)と第13代将軍徳川家定逝去・日米通商航海条約締結・安政之大獄に言及しないのは、いささか不自然に感じる。あるいは、本篇はそれ以前に執筆されたものかもしれない。
 本篇の「然れども海内熙煕として、兆民方に惟新の化を仰げば、尚ほ何ぞ叛亂を之れ慮るに足らんや」という楽観的な現状認識は、「黒船来航」以降に執筆された《救急或問》や文久年間に執筆された《時務一隅》に漂う切迫感とは一線を画している。本篇は「黒船来航」(1853)以前に執筆された可能性が高い。なお「維新」という表現は、藤田東湖が水戸斉昭による天保年間の藩政改革を称えて使ったことが始まりで、必ずしも明治維新を指すものではない。


凡例

一、本稿は、安井息軒〈星占説〉の釈文(原文)・書き下し文(訓読)・現代日本語訳(意訳)ならびに余論である。
一、底本は、《息軒遺稿》(東京:安井千菊、1878年、1卷29頁裏-32頁表)を用いる。
一、「原文」の字体は、フォントの許す限り正字体で統一する。底本の俗字・異体字は、正字体に改める。
一、「訓読」(書き下し文)は、底本に付された読点と返り点とに従う。
一、「意訳」(現代語訳)は、訓読(書き下し文)と対応するよう心がける。補足説明は〔 〕でくくって訳の一部として読めるようにし、かつ〔 〕部分を隠せば訓読(書き下し文)の直訳となるよう工夫する。
一、段落分けは、底本にはないため、訳者が文脈から判断して行う。
一、底本は読点(、)のみで句点(。)がないため、訳者が文脈から判断して、一部の読点を句点に改める。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?