富岳に洗脳されている?

コロナウイルスに対してマスクの着用は全く意味がないことは、事実や論文を見れば明らかなことである、と私は認識している。いくつか根拠を挙げてみる。

  1. アメリカ合衆国のノースダコタ州とサウスダコタ州は、とても似通った州であるが、知事の政策により、ノースダコタはマスクを義務化、社会活動制限を行い、サウスダコタはマスク義務化なし、社会活動制限を行わなかったが、コロナウイルス感染の発生頻度はほとんど変わらなかった。

  2. デンマークで行われたマスクの有効性に関する6000人のRCTで、マスクの有効性は示されなかった。その研究デザインが、マスクの有効性が出やすい条件であったにも関わらずである。(詳細はhttps://note.com/jinniishii/n/n98735cd0778d 参照)

  3. マスク着用率が100%に近い日本の医療・介護現場でさえ、クラスターが起きるという事実。

これらの事実、あるいは論文があっても、日本においてマスク着用率が下がらない理由は、おおきく3つあると思う。

  1. メディアから伝わる「マスクが感染を予防するというイメージ」が強く、それに反する事実があっても、考えを変える程のインパクトにはならない。

  2. マスクをしないことによる社会の目に耐えられない、マスクの有無が濃厚接触の判断に影響すると思うから、危ない橋は渡らない。

  3. マスク着用のデメリットが認識されていないため、「個人の選択の自由」という論点にいたらない。

1つ目の、「予防するというイメージ」については、圧倒的なメディアからの刷り込みが影響しているのではないか。世界一のスーパーコンピューター富岳が作る飛沫飛散シミュレーションを見せながら、「これだけ違う、マスクをしないのは迷惑」という結論にこじつけるのだ。だがこれは非常に近視眼的思考である。なぜなら、仮にマスクが飛沫をキャッチしたとしても、その後水分が飛んで、ウイルスが散乱し始めるだろうということが全く考慮されていない。マスクをしていても、時間がたって飛沫が乾燥すれば、そこからウイルスは放出され、むしろウイルスお持ち帰りパック状態になるのだ。浮遊するウイルスは、不織布マスクの網の目を余裕で通り抜けてしまうことは周知の通り。さらに付け加えるならば、コンピュータシミュレーションでは、実生活の中で物に付着するウイルスのことや、手に付着するウイルス、そしてマスクの脱着で口周りに付着するウイルスのことが、全く考慮されていない。まさに「富岳に騙されている」のだ。

2つめの「社会の目を気にする」「濃厚接触者にならないように」するという点は、特に日本人の国民性と大きく関わる。波風をたてない、迷惑をかけないという意識が少しでもあれば、いくら個人の信念が強くても、ノーマスクを貫くことはかなりの精神的ストレスをともなう。

3つめの「デメリットが認識されていない」ことは非常に憂慮すべきことである。私が考えるデメリットは3つある。一つ、マスクを利用した全体主義が子供を奴隷状態にする。一つ、酸素代謝が盛んな子供の脳への物理的影響と対人関係や社会性構築など心理的影響が危惧される。一つ、マスクをつけることで「ウイルスお持ち帰りパック効果」により、家族内感染が増えることは、デンマークのRCTでも可能性が示唆されている。

まとめると、やはり富岳のシミュレーション画像が作り出す圧倒的イメージが、御用学者の言質と相まって国民の大部分を洗脳していることが、マスクを外せない最も大きな理由ではないかと思う。

マスクの問題は、根拠を出して戦わせて解決する問題ではない。結局のところ、普段どんな情報に接し、誰を、何を信じるかという、「信仰」のような側面があるからだ。そこで私は、あえてマスクの問題を敢えて「信仰」と捉えて主張をしてみる。

大人も、子供も他人に「信仰」を強要するなと。

文部科学省、厚生労働省も、信仰を強要している現状を認識せよ。

子供にマスクを推奨するなど、「虐待」である。

日本国民には信仰の自由、選択の自由があるはずだ。


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