塾講時代に考えていたこと。数学と本質

大学生時代はいろいろアルバイトをしていたが、一番長かったのは4年間勤めた塾講だ。基本は1対1で数学、ときどき物理を教えていた。

1対1の塾を求める生徒の理由は様々だ。

聞きたいことをピンポイントで聞けて時間効率がいいから
とにかく勉強が苦手で集団ではついていけないから
隣に先生がいるとサボらないから

などなど、様々なタイプの生徒がいた。
だが多くの場合、その教科に苦手意識を持った生徒だ。

数学をどう教えるかは大きな課題だった。

ぼくが受験生のとき、高校でも浪人時代の予備校でも、
「本質を理解することが大事。暗記は最小限でいい。」
「小手先のテクニックに頼ろうとするな」
という考え方の先生は一定数いた。

ぼくは数学は99%暗記だと思っていたし、その考え方で常に事足りていた。
だから数学の問題を解くときは、「考える」というより「思い出す」のほうが近くて、それで全く問題なかった。

もちろん「本質が重要」は何となく言いたいことは分かるが、じゃあお前の言う本質ってなんだ?

「本質が分かっていれば覚えていなくても方針が立てられる。」

それはお前が日頃から受験数学だけやる人生で、思考の種となるピースを大量に持っていることが前提にあるだろ。

本質を理解しているというより、単に経験量だろ。

ぼくが思うに、本質とは経験だ。
実験で証明されたことが、本質と言われるじゃないか。

なぜそれが起こるかが問題ではない。仮説を立て、それに矛盾がない実験結果が得られたら、それが本質と呼ばれるではないか。

だから、本質と呼ばれていたことが長い年月をかけて覆されることだって、過去何度もあったじゃないか。

経験量が増えることで、多角的にその物事を捉えられるようになり、本質がぼんやり見えてくる。単にそれだけだろ?

そもそも、どこまでその物事を理解すれば「本質を理解した」と言えるのかの定義ももちろん無い。

だからぼくは「本質」という言葉を多用する先生を信用していなかった。
数学科を卒業した今でも、その考えは変わっていない。

なんかそれっぽい言葉を使って、レベル高いこと教えられますアピールしてるだけだろ?じゃあ一生1/6公式封印してろ。

そもそも受験生に、その物事の本質を理解させるまでに時間を使わせるのが正なのか?解法覚えるだけで十分じゃないのか?
やるべき教科は数学だけじゃねーんだよ

と、いうふうに思っていたので塾講時代には
「苦手でも大丈夫。解法のパターンを1個ずつ暗記しよう」
を理念にしていた。

塾に体験に来る生徒で、数学での暗記の重要性が分かっているが、「暗記しきれません」と言う人は結構いた。
恐らくその場合は、普段勉強に使っている問題効率が悪い。
例えばチャートの解法を全部暗記していくとか、ぼくなら絶対無理。
それか、事前知識が理解しきれていないために、暗記効率が落ちて、結果暗記量が増え、パンクしてるパターン。

だから教える時は、その生徒にとって必要最低限の問題を、ただしその問題に対してはそのまま解法を暗記してもらうよう、意識していた。
物理もだいたい一緒だ。

別のパターンの生徒で、そもそも苦手意識が強すぎて暗記どうこうのレベルではないという人には、とにかく細かいことでも褒めるようにしていた。
エンジンがかかっていない車に、ガソリンだけ入れても意味がない。
エンジンをかけてあげるには、褒めるのが一番いい。
逆にやる気が出れば、何もしなくとも勝手に進んでいく。
だから、「寄り添い」の気持ちは大事にしていた。

同じく塾講で数学や物理を教えたことのある人は、この記事に書いた僕の意見をどう思うのかな。

そんな色々語ってるお前の成績はどうなんだとなるので、開示する。
地帝を受けた2次試験の開示結果は、数学180点/250点 物理95点/125点 だった。(ボーダーはそれぞれ140点、65点くらい)

しかし今思うと、他人のエンジンをかけようと思える精神状態ってすごいな。
いまは自分自身のエンジンさえ全くかけられていないし、かけ方も分からん。

薬飲んで寝よ

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