詩: 4

 さしあたり 何だっていいのだけれど
 たとえば
 これはあくまでたとえばの話だが
 自分がいまそれに指を触れているというだけの理由で
 キーボード
 とひとまずここに打ちこんでみる
 キーとは鍵のことだろう
 ただ
 玄関の扉を閉ざし、まもっているあの鍵
 すなわち錠前とも呼ばれるものと
 キーボードのひとつひとつのボタンとは、一見
 似ても似つかない
 鍵盤楽器の鍵 [けん] と鍵 [かぎ] が
 なぜ どちらも同じ漢字で
 なぜ どちらもキーと呼ばれるのか
 その由来をぼくは知らないが
 わざわざ知ろうとする気もない
 さしあたり それはどうでもいいことだ
 ところでボードのほうはといえば
 これはもちろん 板のことで
 たとえばサーフボード
 スケートボード ホワイトボード などがある
 濁点をひとつ取ってボートにしてみてもよいし
 そこからさらにコート
 とかソード とかノート を連想してもよい
 ノートは言語と親和性がつよいから
 多少惹かれる気持ちがないでもないが
 でもここはひとつ、しりとりで行ってみようか
 つまりキーボードのドを取って、はじまる言葉を繋げてみるということで
 すると即座に土管 という語が思い浮かぶ
 あるいはドラゴン であってもいいけど、いずれにせよ
 もし世界がしりとりだったらいまここで世界は終わってしまったわけだ
 とはいえこの世はしりとりではないし
 そもそも、ん がついたら負けというのは
 たぶん日本語のなかでだけ通用しているルールに過ぎないのだから
 (外国にしりとりがあるのかどうか知らないが)
 ん からはじまる言葉があったって 何もいけないことはない
 たとえば、チャド
 だかどこだかわすれたけどアフリカ
 のある国には、
 ンジャメナ
 という名の都市があったはずだ
 その国についてぼくが知っているのはたったそれだけで
 このことからもあきらかだろうが
 ひとりの人間がこの上なく真摯に一生を費やしたところで
 この世界のことを塵ひとつ分も知ることができないのはまちがいない
 それはぼくの兄貴がむかし言っていたことだ
 もちろん、だからといって
 絶望する必要などあるわけがなく
 そうでなければ人間など 生きていられないに決まっている
 退屈があっという間に彼らを殺しにかかるだろう
 何しろ退屈
 というやつは神をも殺しかねないほどに強力なので
 人の身で打ち克てるはずもないし
 神さまだって要するにきっと
 その退屈をなぐさめるために人を生み出したのだろう
 だからぼくらは せいぜい愉快に踊りまわって
 ひとりぼっちの創造主さま
 を楽しませてやらねばならないが
 そういうぼくらだって手なぐさみに
 たとえば鍵盤楽器を弾いたり
 あるいはしりとりをして遊んだり
 ときにはこんな言葉の連なりをつくってみたりもするわけで
 こうして退屈しのぎの創造は反復される
 ところで一応言っておくが
 こんなものはもちろん詩
 なんてものじゃあまったくない
 ある詩人に言わせれば
 詩 なんてものには詩 でないことが書いてあるらしい
 ということは ほんとうの詩は
 詩 でないもののなかにあるのか?
 どちらにしてもこんな言葉は
 もちろん詩 ではないわけなので
 だからタイトルをつける必要もぜんぜんない
 詩に題をつけるのは俗物根性
 べつのある詩人もそう言っていた
 それでももしつけるならすべて とつけるか
 それかこんなところだ今のところ とか
 そんなはなしをしていたけれど
 「詩」 という言葉もひとつの題さ
 言葉はすぐに、やすやすと捺しつけられて
 捺されるものがすべてそうであるように
 呪いと祝福 ふたつの風をはらむ
 風のなかにはいつでもなにかのにおいがあって
 春の夜道みたいにさめざめと
 涼しく薫ればよかったのにね
 肌から去りつづけることで愛着を
 ほどいてくれればよかったのにね
 こんなたんなる言葉のながれは
 ただのながれでよかったのにね
 でもたぶんこれは詩 だっていわれるんだろうし
 ぼくもだんだんそんな気がしてる
 不出来か 上出来かは わからないけれど
 ここでやめたほうがいいのかな?
 まだ進めるのかそうでないのか
 誰もおしえてくれやしないし
 遠くで川の音がきこえるけど
 そのなかに比喩も見つかりゃしない
 つづけねばならぬ理由もないが
 止まる気配も見当たらない
 これはまだ たいした長さじゃないけれど
 もう終わるのか 終わらないのか
 締めくくり方はいつも難儀で
 不可解で 神話じみている
 ほんとうに終わることなどできないのだろう
 主題はなくても言葉はあるし
 ましてや 存在はつねにあってしまう
 たとえば 蛍光灯が
 たとえば 鉛筆が
 たとえば トイレの換気扇が
 たとえば 路傍の石ころが
 たとえば ユリの花のひと揺れが
 たとえば 電線にのこった雨粒が
 たとえば ビルの上のパラボラアンテナが
 たとえば 夜空にかくれた飛行機の音が
 たとえば 明日の天気の前触れが
 たとえば 宇宙のかなたの星の死滅が
 音楽が
 たとえば 蠟燭と炎の接触点が
 たとえば たそがれの道に埋まった顔が
 たとえば テールランプの真っ赤な群れが
 たとえば 雨とアスファルトの混合物が
 たとえば 都市の下水の腐ったかおりが
 たとえば 猫のふりをしたビニール袋が
 たとえば ねむりを覚ます子どもの声が
 たとえば 朗々とひびく追悼のうたが
 風が
 花粉にまみれたフロントガラスが
 暮れきる前後の空の緑が
 嘘と不幸と三日目の月が
 右肩上がりの労働時間が
 酒に呑まれて懲りない勇者が
 道徳知らずのハシブトガラスが
 炎天の下の屋根の苦労が
 あたまのおかしい創造主さまが
 生を支えてくれる不安が
 占いだよりの自己決定が
 毎日おなじ朝のメニューが
 床に散らばったポテチのカスが
 戦争が
 クレーンの先の赤色灯が
 二階建てバスの上の景色が
 工業地帯を照らす朝陽が
 堂々巡りの自殺志願が
 行方知れずの折り畳み傘が
 動物園から逃げ出した熊が
 ロックンロールの申し子たちが
 希望押し売りの第一人者が
 疑心暗鬼の国際平和が
 いまはむかしの楽天主義が
 休み知らずの神の悪意が
 千年前からつづくさだめが
 金が
 本屋を介して生まれる恋が
 事実か夢かわすれた記憶が
 放蕩息子の半端な挫折が
 寿司と涙の午前一時が
 公園を歩くだけの休暇が
 返ってくるのが困るメールが
 路上にころがるサッカーボールが
 恨みばかりの家庭事情が
 髪の毛のせいで汚れた枕が
 インターネットの果ての隠者が
 まがいものの思い出どもが
 笑顔が
 ヘッドライトの切りとる雨が
 水たまりを舞う妖精たちが
 野良猫だらけの朝焼け路地が
 こずえをたずねる風のにおいが
 かがやきを知った白サルスベリが
 恥ずかしいほどの真っ青な空が 
 夕陽を愛する横顔たちが
 街灯の向こう見えない雲が
 真っ赤に狂った月の破片が
 誰の耳にも聞こえぬことばが
 墓穴よりも深い孤独が
 夜の招待が
 夢が
 鳥の声が
 君やあなたやぼくやわたしが
 キーボードが
 こうしてここにもどってきたのだ
 (ぜんぜんたいした長さじゃなかったが)
 このままこの世のすべての名詞をここにならべて心中したいが
 夜はあまりにもみじかくて
 そうできるのは人類史だけだ
 どうせそのうち性懲りもなく
 また はじめてしまうし また はじまってしまう だから
 夜はいつでもこのいまのこと
 朝ははかないあこがれの国 そして
 どんな言葉も終わりになれる
 どんな言葉からもはじめられるように
 この一篇を その証言として
 この一行を その証拠とする

(2022/7/30, Sat.)