詩: 2 夜がはじまるとともに、全員が姿を消したのだ

 夜がはじまるとともに、全員が姿を消したのだ
 線香花火の吐き棄てる、あの
 呪文のような
 遺言のような
 宣誓のような
 熱くおさない赤 と同様
 散り散りに走り
 不可視の紙面に吸い取られていく
 それが人であるならば
 誰かが
 わたしか
 あなたか
 それともまたべつのあなたでもいい
 誰かがそれを取りもどさなくてはならないが
 それがもし、言葉であったなら
 一瞬だけ
 ひそかに光ってからだをほどき
 溶けてなくなるのは、言葉のほうの勝手だろう
 いずれにせよ、あとに残るのは
 もちろん闇で
 闇とはなによりも正確かつはなやかな超越の比喩だが
 超越など哲学が捏 [こしら] えた二千年来の魔法にすぎない
 人が
 闇を愛せるというのは、あきらかに
 昼には見えていたものが見えなくなるからだろう
 つまり嫌いなやつの顔を見なくてすむから、ということだ
 その点、月というのは
 いささか意地の悪い、闇への反逆者だが
 人類史開幕以来
 あそこにも住まう者がいるのだから仕方がない
 死者たち
 彼らの記憶が寄り集まってできた月
 それはいわば地球のたましいそのものであり
 なにしろ生者を照らしだすというのは死者たちの本能みたいなものだから
 ほのかな白桃色をした彼ら死者たちは
 ひねもすクレーターのほとりに座りこんでは
 地球をながめてばかりいる
 おそらくほかにやることがないのだろう
 やりたいこともないのだろう
 せいぜいこの星に光をおくりつけるくらいのことで
 それは怨嗟であったり
 愛惜であったり
 警告であったり
 羨望であったり
 嘲笑であったり
 告白であったり
 予言であったり
 意味のないひとりごとであったり
 論証であったり
 子守唄であったり
 浮気心であったり
 軽蔑であったり
 便所の落書きであったり
 啓示であったり
 祝福であったり
 悪意であったり
 たとえば、幸せな夢
 であったりするかもしれないが
 なんであれ、それはもちろん
 生者の言葉などよりもはるかに多様だ
 狼だから月に吠えねばならないなんてことはなし
 人間だからといって
 かならず生きねばならないわけでもない
 生者の馬鹿げた思い上がりを
 月光は洗い
 そして、わらう

 だが
 彼らだって、ほんとうは
 死んでいなければならない
 なんてわけがないのだ
 星々のあいだを抜けて宇宙のかなたに消えていく
 ひかりの色とおなじ数だけ積み重なった死者たちよ
 あなたたちを追いやったのは誰なのか?
 記憶を焼いたのは誰か
 耳を捨てたのは誰か
 力を崇めたのは誰か
 見ることをやめたのは誰か?

 声を聞きとめるのは誰か?
 夜の消滅と
 朝の復活のあいだに。

 (2021/9/24, Fri.)


(*1): 「夜がはじまるとともに、全員が姿を消したのだ」

 → 管啓次郎『ストレンジオグラフィ Strangeography』(左右社、二〇一三年)、113


(*2): 「超越など哲学が捏 [こしら] えた二千年来の魔法にすぎない」

 →「ミドルトンの村はずれ、湿原のなかにあるマイケルの家にたどり着いた時分には、陽はすでに傾きかけていた。ヒース野の迷宮から逃れ出て、しずかな庭先で憩うことができるのが僥倖であったが、その話をするほどに、いまではあれがまるでただの捏[こしら]えごとだったかのような感じがしてくるのだった」
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』(白水社、二〇〇七年)、171)


(*3):「ほのかな白桃色をした彼ら死者たちは/ひねもすクレーターのほとりに座りこんでは」

 → 青木淳悟「クレーターのほとりで」