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名古屋のセーラー服について

こんにちは。
地元愛知県に限らず全国的にコロナ・LGBT・気候変動が主な原因で制服のモデルチェンジする学校が爆増中ですよね。
そしてこのMCブームは「可愛い制服で生徒を集める私立」ではなく、
MCには一生無縁かと思ってた地元の公立中学や、制服に頼らなくても生徒集めが容易な伝統公立高校にも及んでいる事が今回のMCブームの特徴だと思います。
名古屋市とその周辺の自治体で採用率9割以上だった公立中の名古屋襟セーラー服が一気に絶滅危惧種となり、完全に消滅するのも時間の問題でしょう。

白襟カバーセーラー服の元祖とは

セーラー服を全国で一番初めに制服に取り入れた学校は金城学院と一般的に言われますが、主に多くの公立中学校、公立高校で採用されたスタンダードな名古屋襟セーラー服とは一線を画すセーラー服だと思います。いわゆる大きな襟に白襟カバー、きしめんリボンが備わった名古屋市やその周辺地域隅々まで広がったザ・名古屋セーラー服の元祖は「明和高校のセーラー服」ではないかと私は考えています。
明和高校(以下、県一高女)は金城学院がセーラー服を制服に制定した後の7カ月後にセーラー服を導入しました。制定当初から白襟カバーが付いており、県一高女独自のデザインです。そして同様のデザインは周辺他校へ波及していきました。その導入されたセーラー服はほぼ全て白襟カバー付きのものでした。(写真①)
当時県一高女は名古屋の女学校では最高峰でした。開校当初、定員80人に対して受験倍率は5倍もありました。憧れの女学校が早々に採用したセーラー服が他校、他地域の女学校へ広まった背景も容易に想像できます。 
因みにセーラー服を導入した年である大正10年の金城学院の卒業生は36人と当時は規模も小さく爆発的に広まる様な影響力が有ったとは考えにくいと考察されます。
 大きな襟のいわゆる名古屋襟は金城学院が発祥の説がありますが、制定当初から初期の写真を見ても名古屋襟とは言えない大きさで、襟の大きさも個人差があり、関東襟が優勢だったので、発祥というには少々信じがたいと思います。(写真②)県一高女も戦争期に突入し、物資不足で襟がだんだん小さくなり、関東襟ほどの襟の大きさになりました。戦後、徐々に襟が大きくなり、昭和40年代には大きな襟が完成された様です。襟の大きさは学校の意向というより、世相やメーカーの意向に反映しているのではないかと考えられます。(写真③)

写真① 瀬戸高女


写真② 昭和6年金城学院セーラー服


写真③ 入試風景 昭和29年はまだ襟の大きさはバラバラだが白襟カバーのセーラー服は襟が大き目

下記note記事に詳しく明和高校セーラー服の歴史がまとめてあり、一部参照させていただきました。


名古屋私立のセーラー服

 名古屋の私立セーラー服(金城・淑徳・旧桜花・旧中京女子)の特徴で共通しているものが1つあります。それはウール100%素材のネクタイ(スカーフ)です。このウール素材のスカーフは全国的に見ても名古屋の私立でしか見られないのではないでしょうか。(もしウール100%素材のスカーフ採用校があれば教えてください。)
例外的に国立の愛教大附属名古屋中学校も採用しています。モスリン素材のスカーフとカフスにライン入りとこちらは金城学院の影響を受けたセーラー服と思われます。
下記ハネクトーン早川のHPにあるWEBカタログより、ウール素材のスカーフも掲載がありました。素材は「ニッケモスリン」ニッケ社の生地が使用されています。

モスリン生地とは・・・とても薄手で軽いことが特徴です。 また保温性の高い羊毛を素材としているので、薄手なのにとても暖かく、昔は着物や長襦袢として使われていたそうです。
着物の生地にも使われたウール生地との事で、愛知県尾州地方で毛織物産業が盛んである事と尾州ウールと関係性が深いニッケが製造してるのもウールスカーフ文化に影響を及ぼしたのかも知れません。
シルクスカーフやナイロンスカーフと違いマットな質感とややざらっとした触り心地が特徴的です。ナイロンスカーフ採用のセーラー服と比べると何となく高貴な雰囲気があるのはスカーフのお陰かもしれません。
金城学院のYouTubeにあるスカーフの結び方動画がスカーフの質感が良くわかります。
https://youtu.be/_NMSIKry8VA?si=AGZa9QRhEc3HAltb

愛教大附属中のウール素材のスカーフ。つやが無くざらっとした手触り。編目は荒めなのでセーラー服本体が透けて見える。質感分かるかな…

セーラー王国の終わり

 先に述べた通り、名古屋地区の公立中高の礎となった明和高校のセーラー服が着用自由になり、式典用のブレザーもできました。同じく名古屋で初の女学校である市立第一高女(菊里)も、菊里のシンボルでもあったセーラー服をブレザーへ変更(MC)されました。地元の公立中学校の制服がブレザー化され、高校の制服へ流用できなくなったのも、変更の一因であるようです。セーラー服を広めた学校が自らセーラー服を廃止し、周辺の高校にも影響を与えた名古屋制服史の転換期を見守りたいと思います。

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