いまだに働かなきゃお金が稼げないなんてウソだろ? って思ってる

座っていると心臓の鼓動が指に伝わり、細かく振動しているのが分かる。無一文にはありがたいはずの、久々の仕事。なのに日付が変わっても寝付けず浅い呼吸のままなんとかこの胸のざわめきを鎮めようとしている。

そんな時代もあったけど、今は乗り越えて楽しくやってます。そういう文章はそこそこ見つかるのに対して「そんな時代」真っ只中! 今まさにやっばいでーす! みたいな文章はあまり見つからないような気がする。これはそういうレアケースかもしれない。

本当は大学生が在学中やるような登録制のバイトを、しがみつくようにしてやり続け30代が終盤に差し掛かっている。一人暮らしは常にタイトロープの上にあり、安心したことなどない。自分の周囲だけ見れば同じようになんらかの理由で社会と折り合いが合わず、何の保証もない不定期な単発仕事を繋げてどうにか生きてる人間ばかりだが、そんな場所に長居しない方がいいのは火を見るより明らかだ。

だが、今に至るまでそこにいる。いてしまっている。理由は様々ある。身体のこと、元々の性格etc. しかし世間を眺めれば下には下にがいて、まるで負の天下一武道会みたいだ。だから俺の主張する理由などほんの些細な塵のようなものとして瞬時に相対化され単なる言い訳、怠惰、臆病と認識されることだろう。なぜ努力しなかったんだ? なぜ今から努力しようとしないんだ? 世の中には五体満足ではない人もいるし、飢餓に震える人々も膨大にいる、お前の悩みなんて贅沢だ。もっと自分がいかに奇跡的な、恵まれた環境にぬくぬくとしているか、よくよく考え直し、感謝して頑張るべきだ。

と、そういう真っ当なことを言われると確かにどうしようもなくその通りで何も反論はない。さりとて明日のバイトが怖いことにもまた、なんの変わりもないのである。

今言ったような正論は、とても大きな考えとでもいうか、カメラをぐっと引いて、引いて、長大な見地から見渡すような、大局観、のようなものだ。それは間違っていないことは確かなのだけれど、いつも思うのは今日の俺、明日の俺の具体的な不安に対してあまりにも無力だということだ。ロックフェラーの本を読んで次の日いきなり巨万の富が転がり込んでくるわけではない。そりゃそうだ。だが喉が乾いている者にはまず神の教えよりも水を与えよという外国の格言もある。俺は何より今日、この今日をどうにかやり過ごさなくちゃならない。そんな悲愴な決意するほどのことはやらされないだろ、気楽にやれよと言われ続けて、でもそうはいかなくて、毎日を暴風雨の中歩いていくように生きてきた。もちろん「これは本当じゃない、こんなのは本来の姿じゃない」と必死に唱えながら。

だが今や、立川談志の言ってた「現実がいつも正しいんだ」を実感している。理想の前に金。そんな死ぬほど唯物的な世界が理想の前にとても直接的で具体的な形をして俺に立ちはだかっている。

誰かここまで読んだ人はいるんだろうか。

明日は早い、眠れるかどうかはともかく、寝てみよう。

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