見出し画像

1月31日 A Functioning Society 機能する社会

おはようございます。早いもので今日で1月も終了です。期待していた1ヶ月となりましたでしょうか。そうであっても、そうでなくても、今朝も #ドラッカー #365の金言  のテキストから、より良い人生への道を進んでいきましょう。

本日 #1月31日  のテーマは

#A_Functioning_Society  

#機能する社会

#権力に正統性がなければ絆としての社会はありえない

 社会が機能するには、秩序を組織化することができなければならない。物質世界に秩序を与え、それを意味あるものにし、社会的政治的権力に正統性を与えることができなければならない。
 社会は一人ひとりの人間に位置づけと役割を与え、決定的な社会的権力を正統のものとしなければ機能しない。前者は、社会生活の基本的な枠組みを規定し、社会の目的と意味を定める。後者は、その枠組みのなかの空間を規定し、社会を確たるものとしつつ諸々の機関を生み出す。
 一人ひとりの人間が、社会的な位置づけと役割を与えられなければ社会は成立せず、大量の分子が目的も目標もなく飛び回るばかりとなる。他方、権力に正統性がなければ、絆としての社会が存立しえない。奴隷制、あるいはたんに惰性の支配する真空が存在するだけとなる。(『産業人の未来』『イノベーターの条件』)

ACTION POINT 

#イラクの新政権が正統であるためには何が必要かを考えてください

#国民一人ひとりに位置づけと役割をもたらすには何が必要でしょうか


本日のテキストは、『産業人の未来』(1965年 未来社) 第2章 機能的社会とは何か 25~26ページより(『イノベーターの条件』は未調べ。)。

 『産業人の未来』 ( The Future of Industrial Men )は1942年、第二次世界大戦中に発表されました。

 ドラッカーは、産業社会がナチズムに取り込まれた教訓を基盤として、自由で平和な産業社会を目指す新しい「産業人(Industrial Men)」と「産業人」による新しい経営学を探究しました。

 機械力によって拡大再生産ができる大量生産工業システムが導入されるなか、経済恐慌によりドイツ経済が崩壊しました。大量の失業者は、社会的地位と社会で己の能力(機能)を発揮する機会を失い、経済上の特権も失い、孤独と絶望の中にありました。

 希望の光に飢えた孤独な群衆に対して、ナチスは「服従と支配への努力すれば平等を与える」と扇動。自由よりも平等を求める大衆に対して、支配力と権限のある地位を多分に与えました。

例えば、「ナチス婦人団体」。

当時、女性、特に婦人の地位は低く、経済的不平等社会となっていました。彼女たちに「ナチ党への貢献・総統への忠誠によって党内地位と機能が与えられる」ことになったため、大衆へと浸透していったのです。

このようなナチスの「束縛と征服を基礎にして機能的産業社会を発展させようとする試み」によって、自由主義国家だったドイツは全体主義国家へと変貌していきました。

ドラッカーがいう「機能的社会(A Functioning Society)」とは、

 一人ひとりの人間に位置づけと役割を与え、決定的な社会的権力を正統のものとした社会

しかし、ナチスの「束縛と征服を基礎にした機能的産業社会」は、明らかにニセモノの機能社会です。

 全体主義を克服するために、我々は機能的社会を、しかも少なくとも全体主義的なニセの社会と同じく機能する社会を改造しなければならない。そして、それは自由社会でなければならぬ。論点を理解し、任務を弁え、その完遂へのアプローチを作り上げることは、平和を獲得するために不可欠であるばかりではない。戦争に勝つための眼目なのだ。(『産業人の未来』21ページ)

ニセモノの「機能産業社会」から、自由で平和な機能的産業社会へと移行するために必要条件として、ドラッカーは3つ挙げています。

第一に、それは産業制度の個々の成員に、社会における機能と地位を与えなければならない。(中略)第二に、産業制度における権力は正当な統治権とならねばならぬ。(中略)最後に、自由な社会においては、政治的支配と社会的支配は分離されねばならぬ。(『産業人の未来』223ページ)

  ところで、1月19日のテキストも『産業人の未来』(1965年 未来社) 第2章 機能的社会とは何か からの引用でした。

個人が社会的地位と機能を持つということが、個人にとって重要であるとまさに等しく、社会にとっても重要である。


こちらもどうぞ↓

今日を変えていこう。

愛を込めて。

サポートもお願いします。取材費やテストマーケなどに活用させていただき、より良い内容にしていきます。ご協力感謝!