見出し画像

3月22日 eラーニングの課題

おはようございます、

今朝もドラッカー365。続いていきましょう


#ドラッカー #365の金言 #3月22日 #eラーニングの課題 #メディアはコミュニケーションの内容さえ変える

このNoteは、「ドラッカー365の金言」に記された1日1テーマに対して、自分の感想や想い、そして、私自身の実践について書いたNOTEです。本文そのものを全て引用することはありませんので、ドラッカー博士の論文をお読みになりたい方はぜひ本書をご購入されることをお勧めします。

https://amzn.to/3qUQZtj

“汝の時間を知れ“ ドラッカー


上記は本書の扉の次のページに記されていたメッセージです。これは「時間は無限ではないから集中せよ」という意味かも知れません。ドラッカーの65年以上にわたる著作集を読み続けるほどの時間がない方のために、本書がある、という意味かも知れませんね。

編者のマチャレロ教授は

“最後にACTION POINTとして取るべき行動を示唆した。ここでお願いしたいことは、読者ご自身が「すでに起こった未来」を探すことである。新たなトレンドを見出したならば、ドラッカー学校の伝統に従い、自ら行動していただきたい。“

と記して、本書を実践する書、として欲しいと述べています。

著作権等の関係から、日々のドラッカー論文(つまり、本書の本文)を全文引用することはしませんので、ご関心の方はぜひお手元にお持ちになることをお勧めします。


今日のテーマ:eラーニングの課題
今日のアクションポイント: #あなたの組織にはeラーニング・福利厚生・社員規程などを網羅したイントラネットはありますか #皆に使い勝手を聞いてください #耳栓が必要かもしれませんよ

今日のテーマは、eラーニングの課題。

「メディアは、コミュニケーションの内容さえ変える」

という小見出しの訳は、少し乱暴だろう。

本文は、

The medium not only controls how things are communicated,
but what things are communicated. (媒体は、物事がどのように伝達されるかをコントロールするだけでなく何を伝えるかも重要です。(deepl翻訳) )

これまでの対面、教室における教育をただオンラインに載せるだけでは、eラーニング教育とはいえない、という極めて本質的な指摘です。

コロナ禍によって、大学はじめ教育機関のみならず、セミナーなど対面教育がオンライン教育へと変わらざるを得なくなりました。

もちろん、物理的な接触を避けなくては、と突貫工事でただ講義を録画化して、いわゆる「教育テレビ」的なコンテンツをサーバーにアップして、ログインして見なさい。テストで知識を習得したかチェックする、というやり方をとっている所は少なくないのでは?

ただ、講義を録画してアップロードしただけの旧態依然のやり方では、インターネット技術を教育に活用することにはならない、とドラッカー博士は指摘していると思います。

例えば、YouTubeは、ある意味で、すでにeラーニングになっています。コメント欄を通じて、発信者と視聴者とのコミュニケーションは単発ながらやりとりできます。

さらに詳しく論じ合いたいならば、トピックに際してリンクを貼りslackなどのコミュニケーションツールを活用すれば、不明点を明らかにするなど、課題を掘り下げて議論し合うことも可能です。こうしたこれまでは教授(教える側)がただコンテンツを垂れ流すのみではなく、そこから双方向のコミュニケーションを実施することで、先生と生徒、という縦の関係ではなく、先生も生徒もテーマに対して学び合う、議論ではなく対話を通じて真理に近づく、という本質的な学びの実現がオンラインにはあります。

さまざまな教育ツール、発表ツール、コミュニケーションツールやアプリが発表されているものの、オンライン教育の可能性、潜在能力を十分に発揮できるようまだデザインされてないのではないか、という指摘が「ネクスト・ソサエティ」で、そして、今でもその提言は正しいと思います。

例えば、言語の壁を乗り越えられる翻訳ツールが登場すると、これまでの欧米中心の経済理論よりも、ブラジルの経済学者やウィグルの経済学者といった、これまでは翻訳がなされない為に、なかなか届かなかった理論が広く全世界的に届くようになって、課題への新たな知見が得られ、解決につながる、なんてことも起こるかもしれません。

そんな明るい未来ばかりではなくオンライン世界に広がるコミュニケーション・相互理解への期待が広がる一方で、スパム的だったり、ノイズ的、暴力的なディス・コミュニケーションの問題も生まれています。

むしろ、ノイズの方が大きいのかもしれません。

自由闊達な発言を尊重すべきではあるものの、暴力的・攻撃的メッセージや国家やグローバル企業による発言の「行きすぎた検閲」といった別の問題も発生しています。コミュニケーションが広がったために、ノイズも生まれ、文字面だけで、いや、これまでの民族紛争や同じ民族同士でも抱えてきた怨恨を発散する場として、SNS上で攻撃し合っています。

愛だ理解だでは通じない世界もある。しかし、それでも対話を続けるしかないのかな。ちょっと暗い話になってしまいましたね。

それでも、やっていくしかないですね。


今日もお元気で!いい1日となりますように。


サポートもお願いします。取材費やテストマーケなどに活用させていただき、より良い内容にしていきます。ご協力感謝!