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10月19日 Moving Beyond Capitalism 資本主義を越えるもの、 から「45歳定年制」を考える

おはようございます。こちらの続きです

今朝も #ドラッカー #365の金言  から人生と経営を深めていきませんか。本日 #10月19日  のテーマは #Moving_Beyond_Capitalism  #資本主義を越えるもの

#経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行うことは社会的にも道義的にも許されない

 私が支持するのは自由市場経済である。さほどうまく機能しているわけではないが、他よりはましである。
 資本主義に対しては重大な疑念を抱いている。経済を最終目的として偶像化している。あまりに一元的である。たとえば、私はアメリカの経営者に対し、組織内の所得格差を二〇倍以上にするなと何度もいってきた。これを越えると憤りとしらけが蔓延する。経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行うことは、社会的にも道義的にも許されない。そのような行為が組織にもたらす憤りとしらけは、必ず高いつけとなって返ってくる。
 要するに、人間として生き、人間として遇されるということの意味は、資本主義の金銭的な計算では表せない。金銭などという近視眼的な基準が、人生と生活の全局面を支配するなどということは許されざることである。(『ネクスト・ソサエティ』)

ACTION POINT
#あなたの組織では経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行ったことはありますか
#そのような行動はなぜ憤りとしらけをもたらすのでしょうか

 9月の経済同友会の夏季セミナーで、サントリーホールディングスの新浪剛史社長が「45歳定年制を敷いて会社に頼らない姿勢が必要だ」と発言したことをきっかけに、ネット上では批判の声が相次ぎました。

SNSでは「45歳定年なら、まず自分から辞めるべき」と新浪社長が62歳と高齢であることから率先垂範を求められました。また、年収1億5000万円以上、という高収入が一般社員からかけ離れていると言及がありました。

 新浪社長さんのことではありませんが、とある大手企業が、下請け企業に対して「経営健全化のコスト削減のため、納入価格を値下げしてほしいと要求」したところ、下請け企業側は「おたくの役員さんがお辞めになる方がコスト削減になりますよ」とかわしたとか。。。

 つまり、大手企業自身が役員報酬を下げる経営努力もしていないのに、外注先に値下げ要求するな、という話です。今回の新浪社長の発言は、社員に対して値下げ要求した、という意味に取られています。

 ところで、同社の平均年収は1149万円!だそうです。良いっすね!!そして、新浪社長の年収は、同社の平均年収に比べ20倍とまではいかないものの、1.5億/1149万=13倍にものぼります。高給取りの社長はレイオフの話をするより、先にすることがあるだろう、ということから批判が高まりました。

経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行うことは、社会的にも道義的にも許されない。そのような行為が組織にもたらす憤りとしらけは、必ず高いつけとなって返ってくる。

 このドラッカーの提言と、伝統的な日本的経営を行なっている老舗企業の価値観はほぼ同じように思われます。

 なぜなら、100年、200年と続いている老舗企業は、今回のような感染症だけでなく、戦争、天災、大恐慌などが経営を揺るがしてきました。しかし、そんな経営危機を乗り越え、今日まで永続的経営を行なってきた経営者や経営一族は、経営悪化=レイオフ、という手段を取らず、組織を守るため工夫してきました。

「始末してきばる」「人は石垣、人は城、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」(武田信玄)の言葉のように、従業員を大事にし、情をかけ、大事にし、味方になるようする一方、権力で抑えつけれたり不信感を与えると必ず反発にあい、害意を抱くようになることを知っており、同様の考え方を「家訓」に残し、マネジメントの要諦として代々受け継いできた家もあります。

二宮尊徳の報徳思想なども

「至誠(しせい)」を基本とし、「勤労(きんろう)」「分度(ぶんど)」「推譲(すいじょう)」を実行するという考え方で、この「報徳思想」を実践するのが「報徳仕法」です。二宮尊徳は報徳思想を広め、実践することにより、ききんや災害などで困っていた多くの藩や村を復興しました。
至誠: 「まごころ」のこと。二宮尊徳の仕法や考え方、そして生き方の中心となるもの。
勤労: 物事をよく観察・認識し、社会の役立つ成果を考えながら働くこと
分度: 自分の置かれた状況や立場をわきまえ、それぞれにふさわしい生活をすることが大切。また、収入に応じた一定の基準(分度)を決めて、その範囲内で生活することが必要。
推譲: 将来に向けて、生活の中で余ったお金を家族や子孫のために貯めておくこと(自譲)。また、他人や社会のために譲ること(他譲)。

資源の乏しい日本国で、天災、疫病、飢饉、戦争、急な幕府や藩からの借用や寄付などに見舞われることが多い中、商人たちは生き残るため、こうした思想や商哲学を持って、永続するべく努力を重ねてきた智慧を培ってきました。

さらに、明治に入ると、

天は人の上の人を造らず、人の下に人を造らず(「学問のすゝめ」福沢諭吉)

と、自由と平等の概念が広く行き渡り、のちの「自由民権運動」へと続いていきます。

今回の「45歳定年」騒動は、

単に中高年の「働かないおじさん」が問題かつ人件費負担が大きいから、年功序列をやめて賃金を抑制するための新制度として、45歳定年にしてジョブ型を入れよう

という20年前の「成果主義」を導入したのと同じ狙いです。そして、「成果主義」は失敗し印象が悪い言葉になっているので、「ジョブ型」という新鮮なイメージがする言葉を同じ文脈で使おうとしているのでしょう。

ドラッカーはこうも言っています。

人間として生き、人間として遇されるということの意味は、資本主義の金銭的な計算では表せない。金銭などという近視眼的な基準が、人生と生活の全局面を支配するなどということは許されざることである。(ドラッカー)

個人の尊厳は、金銭では測れません。今日もやっていきましょう。

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