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1月26日 A Social Ecologist 社会生態学の視点

#ドラッカー #365の金言  には、人生と経営を豊かにする知恵が込められていると思います。

本日 #1月26日  の話題は #A_Social_Ecologist  

#社会生態学の視点

自分は、「『継続とイノベーション&変革とがどのように社会と文明にかかわっているか』と眺める客観的な視点をも持ち、実践してみなさい」と感じました。

我々は「禅の文化」に親しんでいるせいか、物事を習慣化する訓練が他の民族よりも得意のように思います。早朝に起きて、ただ座禅をする、ただ掃除をする、ただ○○する、それも、やり続けることの中から何かが見つかる、そう信じて実践することを教えられてきました。

確かにその方法で会得すること、体得することも大事でしょう。しかし、この乱気流の中のような時代においては、むしろ、それが弊害になっているのではないか、と疑問の目を持つことも大切ではないかと思います。

つまり、昨日も一昨日も、ずっと昔から同じ場所を掃除しているから綺麗だ、ではなく、日々掃除をやっているから、と、何の疑問も持たずに、ただ習慣的に繰り返すだけで、気づきが得られるのだろうか、という疑問です。

もちろん、日々、同じ作業を繰り返すことの中から、昨日との違いを発見することも少なくありません。機械的な業務ですら、日々気温や湿度が変わり、体調や気分も変わります。ですから、「おや、昨日とは違うぞ」と継続する中で発見する視点も重要です。

ですが、同じことの繰り返しを続けることが目的となってしまって、それで良し、としてしまうことはどうなのだろうか?そこに意識的になって、改善するなり効率化するにはどうしたらいいか、という視点を持つこと。さらには、

作業自体を無くし、新たな機会を得られるようなイノベーションや変革が生まれる方法を発見しよう、と意識的にならないと、新たな機会は生まれないよ、という点にも目を向けるべきだろうと思いました。

あのGMですら、

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同じことの繰り返し、継続だけでは生き残れなかったのですから。ましてや自分のような小企業は、新製品・新サービス開発に力を注ぎ、イノベーション事業に専心することが大切と感じております。

それでは今日のテキストです。

#継続と変革の両立こそ文明にかかわる中核の問題である

 私は自然環境を研究する自然生態学者のように、人間環境に関心をもつ社会生態学者である。社会生態学とは私の造語である。しかし体系としての社会生態学は、由緒ある系譜を誇る。その最高の文献はアレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカの民主政治』。である。姿勢、思考、手法において私に最も近いのは、ヴィクトリア朝時代のイギリス人ウォルター・バジョットである。社会の転換期を生きたバジョットは、当時誕生した近代公務員制度と内閣政治を民主主義の中核として捉え、銀行を機能する経済の中心として捉えた。
 その一〇〇年後、私は他に先がけて、当時新たに出現しつつあったマネジメントを、同じく新たに出現しつつあった組織社会の中核として捉えた。そしてそのすぐ後、大きく興隆してきた知識を中心的な資源として捉え、知識労働者を脱工業化、ポスト資本主義、ポスト社会主義となりつつある現代社会の支配的階層として捉えた。
 そしてバジョットと同じように、継続と変革の両立を社会と文明にかかわる中心の問題として捉えた。したがって私は、バジョットが自らを進歩的社会保守主義者、あるいは保守的進歩主義者とみなしても、保守的保守主義や進歩的進歩主義者とみなしたことは一度もなしといったとき、彼が何をいいたかったかを完全に理解することができた。(『すでに起こった未来』)

ACTION POINT 

#あなたやあなたの組織は変化の担い手 (チェンジ・エージェント)になっていますか。

#変革を行い#かつその変革を安定と両立させるためには何をしなければならないでしょうか

今日の提言は、『すでに起こった未来』(1994年) 終章 ある社会生態学者の回想 299〜300ページより。

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今日を変えていこう。

心を込めて。


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