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2月12日 Role of the Bystander 傍観者の役割

おはようございます。今日も #ドラッカー #365の金言  より人生と経営を深めていきましょう。

#2月12日  

#Role_of_the_Bystander  

#傍観者の役割


#傍観者には役者と観客には見えないものが見える

 傍観者自身には取り立てていうほどの歴史はない。舞台の上にはいるが、演じているわけではない。観客でもない。少なくとも観客は芝居の命運を左右する。傍観者は何も変えない。しかし、役者や観客とは違うものを見る。違う見方で見る。彼は観察する。そして解釈する。
 傍観者は自分の目で見、自分の頭で考える。屋根の上から叫んで人を驚かせることは感心したことではない。そのとおりである。だが、私自身はそのことをあまり気にしたことがない。(『傍観者の時代』)

#何がなされるべきかを知るために#あえて傍観者になってください

#そして行動してください 。ただし、 #人を驚かせないよう気をつけてください


今日のテキストは 1979年3月発刊 原題 Adventure of the Bystander 日本タイトル 『傍観者の時代』 プロローグ 傍観者の誕生 3−4ページからになります。

傍観者(Bystander)とは、文字通り、傍ら(by) から観察する人、傍らに立っている(stander)ということなのでしょう。

今だと、付き添いしてくれるけれど、なんもしない、受け答えしかしない?「レンタルなんにもしない人」(以下レンタル氏)的な立ち位置?

もちろんレンタル氏の傍観者としての腕は一流のようです。それは依頼が絶えない彼への同行依頼からも明らかです。

では、ドラッカーの傍観者とは、どんな立ち位置だったんでしょうか。

自ら「傍観者」を標榜していたわけですが、ただ傍らに立っていて、時代の趨勢を眺めていた、という訳ではないことは明らかです。

ジム・コリンズは本書(ドラッカー365の金言)の序でこう記しています。

ドラッカー自身の貢献は広範である。歴史がその洞察の正しさを証明していっている。(中略)ドラッカーの凄さは、簡潔な文章を持って複座すな世界をずばりと切り裂き、真理を明らかにするところにある。禅師の如く普遍の真理を数言をもって示す。読むたびにこちらの理解が深まっていく。

ただ時代を眺めていただけなら、ナチスの台頭を見抜き(「経済人の終わり」)、組織による社会の到来(「産業人の未来」)、知識社会の到来(「断絶の時代」「ポスト資本主義社会」)、高齢者社会の到来(見えざる革命)、ITはツールである(ネクスト・ソサエティ)など時代を先んじて観ることはできなかったでしょう。

また、ドラッカーは、もちろんコンサルタントとしても偉大な存在でした。彼の状況改善策の提案方法は、多くのコンサルとは異なっていて、クライアント自身が自分で対策を見つけられるように質問を重ねていく対話型だったそうです。

「他のコンサルタントと違って、どうしなさい、とか、どのようにしなさい、とは言いませんでした。わたしたちに質問を投げかけ、答えさせたのです。そのうちに、この方法論がいかに有効で賢明なものかがわかってきました。このようなプロセスを通じて、私たちは自力で、彼の伝えたいことに気づけるのです。学んだことを実践するときのことを考えれば、非常に有効な方法です。ただ、最初のうちは、メッセージを理解するまでに時間がかかります。特に、書かれたものから学ぼうとすると、とりわけ困難を感じる場合があるのです」(ウィリアム・A・コーエン「プラクティカル・ドラッカー」12ー13ページより)
“私はまず、今日のマネジメントが直面する最大の問題は何かと聞いた。「彼らが取り組むべき問題は何か」 彼は笑いながら知らないと答えた。だが、知って異ることは確かだった。それは相手に考えさせるための答えだった。知らないといい、しかし、ちょっと違うことを言っておきたい。そのことについてはあとで戻ってこようと言うのがドラッカー流のやり方だった。関係のないことから一回りして、見事な洞察を披露してくれるはずだった。その時も、マネジメントから話を始めることはしなかった。“(エリザベス・ハース・イーダスハイム「P・F・ドラッカー」31ページより)

フレッド・スミス(物流会社FedExフェデックス創業者・会長)氏はこう語る。

“ドラッカーは対象から1000年遠ざかって、広い視野で眺め直し、最後にぴたりと問題点を示す。古今東西の知見から博引旁証して、明らかにすべき点を照らし出すんだ。彼は、もっと大きな文脈から自分の状況を考えてもらいたいんだよ“(ボブ・ビュフォード「ドラッカーと私」37ページより)

直接、関与するのではなく、質問を投げかけ、クライアントや教え子たちに考えさせ、実践させるのがドラッカー流です。

では、そのやり方はクライアントからの評判はどうだったのか?

インタビューに応じたクライアントや教え子たちは、異口同音に「ドラッカーは思考を刺激してくれた。目線を高くしてくれた」といった(エリザベス・ハース・イーダスハイム「P・F・ドラッカー」31ページより)

パワポのスライドを見せながら、自らのアイデアやメソッドを語り、その方法を説得させて、契約にむすびつけていく現代のコンサルとは異なる上に、その貢献も大きなものだったのでしょう。lo].

「マネジメントは人間の活動であって、企業の道具ではない。そして、何より私たちが手にすべきは、最高に機能する社会である。経営書はいかに企業をうまく経営するか、その仕組みとかlきのうとか戦略を扱う。対して文学が教えてくれるのは人です。人がどう考え、行動し、人にとって何が大切かを教える。私の関心は経営もさることながら、それ以上に人にあります」(ボブ・ビュフォード「ドラッカーと私」50ページより)

ドラッカーは、何より人間重視。人の尊厳を中心に据えていました。

「マネジメントには人を自己実現させ、貢献させる責任がある。」

今日を変えていこう。愛を込めて。


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