見出し画像

5月26日 知識労働の仕事の定義

おはようございます。昨日の続きです。

#ドラッカー #365の金言 #5月26日 #知識労働の仕事の定義 #知識労働の質の評価は至難に思われる#だが現実は案ずるよりも産むが易しである

このNoteは、「ドラッカー365の金言」に記された1日1テーマに対して、自分の感想や想い、そして、私自身の実践について書いたNOTEです。本文そのものを全て引用することはありませんので、ドラッカー博士の論文をお読みになりたい方はぜひ本書をご購入されることをお勧めします。

https://amzn.to/3sucDVe

“汝の時間を知れ“ ドラッカー


上記は本書の扉の次のページに記されていたメッセージです。これは「時間は無限ではないから集中せよ」という意味かも知れません。ドラッカーの65年以上にわたる著作集を読み続けるほどの時間がない方のために、本書がある、という意味かも知れませんね。

編者のマチャレロ教授は

“最後にACTION POINTとして取るべき行動を示唆した。ここでお願いしたいことは、読者ご自身が「すでに起こった未来」を探すことである。新たなトレンドを見出したならば、ドラッカー学校の伝統に従い、自ら行動していただきたい。“


と記して、本書を実践する書、として欲しいと述べています。

著作権等の関係から、日々のドラッカー論文(つまり、本書の本文)を全文引用することはしませんので、ご関心の方はぜひお手元にお持ちになることをお勧めします。

今日のテーマ:知識労働の仕事の定義

今日のアクションポイント: 
#あなた自身の仕事を定義してください

だが、問題は測定にあるのではない。そもそも仕事が何であり、何でなければならないかを明確に定義できないことにある。

今日のテーマは仕事の定義。サブタイトルとして「知識労働の質の評価は至難に思われる。だが現実は案ずるよりも産むが易しである」としめされているが、よくわからんので原文を見てみる。

Measuring quality in knowledge work sounds formidable. In practice, it defines it self.(知識労働の質を測定するのは難しいことのように思える。しかし、実際には自分自身で定義します。)

仕事の質は、取り組んだ自分自身で定義する、良い悪いを判断評価できる、ということなんでしょう。

形が無いことが多い知識労働の仕事、たとえば、ソフトウエアの開発だったり、広告表現だったりするものは評価はし辛いというか、難しいですね。

今日の提言では公立校の教育と私立校の教育との差が示されていますが、仕事の定義が違うからアウトプットが違うのだ、と説明されています。

そうなのだ。定義が違えば成果は違うもの。同じ定食屋と言ったって、どんな定食屋かは、店主次第で変わるもの。

そもそも仕事が何であり、何でなければならないかを明確に定義できないことが問題なのだ。

あなたの仕事を自分自身で定義してみたらどうかな。

言われたことをただやることも大事だが、それが全てじゃないでしょ。「らしさ」っていうのかな、そういうの出せてもいい場面もあるよね。自分自身で自分の仕事は、こうなんだって定義する部分もあっていいと思うよ。

そんなわけで今日もやっていきましょう。

こっちも読んでもらえると嬉しい




サポートもお願いします。取材費やテストマーケなどに活用させていただき、より良い内容にしていきます。ご協力感謝!