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3月29日 Why Management Science Fails to Perform マネジメント・サイエンスの陥穽

おはようございます。今朝も #ドラッカー #365の金言  からスタートしましょう。

本日 #3月29日  のテーマは

#Why_Management_Science_Fails_to_Perform  

#マネジメント・サイエンスの陥穽

そして、今日の金言は

#部分は全体があってはじめて意味をもつ

 マネジメント・サイエンス(経営科学)は、一つの前提をもたなければならない。企業とは有機体であるとの前提である。企業とは、共同の事業へ自らの知識、技能、心身を投ずる人たちからなる高度なシステムであるとの認識である。樹木のような生物的システムであれ、企業のような社会的システムであれ、システムはすべて有機体である。
 したがって、部分の改善や効率化が全体の改善につながるとはかぎらない。部分の改善や効率化がシステム全体に害を与え、場合によってはシステムそのものを破壊することさえある。システム全体を強化する最善の方法が、ある特定の部分の弱体化、つまり曖昧化や非効率化であることさえある。重要なことは、技術的な効率ではなく、成長、均衡、調整、統合の結果としての全体の成果である。
 部分の効率に重点をおくことは、システム全体にとって有害である。道具の正確さを追求して、全体の健全性と成果を犠牲にすることにもなる。(『変貌する産業社会』『マネジメント-課題・責任・実践』)

ACTION POINT 


#全体の成果をあげるためには手を抜いたほうがよい活動はありますか 。


#それは何でしょうか

今日のテキストは、『マネジメント-課題・責任・実践』>40章 経営者と経営科学>経営科学が実績を上げられない理由(1973年版 下巻218〜219ページ)より。

日本の組織では、個人よりも全体のことを考えるスタッフや管理職が多い、と聞いていますが、現在のような乱気流時代となると、誰もが、自分の目の届く範囲だけ改善すれば全体が良くなる、と「部分最適」の考えに陥りがちです。しかし、「全体最適」こそが企業力だ、「全体最適」の視点を!という話が朝礼でなされたりします。

ですが、思いますに、日本の企業や組織は、全体最適ばかりを強調するがゆえに、本来つけるべき個々の社員・スタッフの実力がついていない、ということが企業力を弱めているんじゃないかな、とも感じるのです。

もちろん、「全体最適」な話は大事なのですが、いわゆる、「忖度」「自粛」「全員横一列」が強すぎて、「飛び出る釘」が他国よりも少なすぎる、という日本社会への批判もあります。

「飛び出る」には、個々人も実力がなければメジャーリーグで活躍することはできません。私たちは、皆メジャーリーガーとして活躍できるのに萎縮して活躍の機会すら失っているとしたら、もったいないです。

こちらを読んで、↓


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