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5月19日 資源としての人材

おはようございます。

昨日の続きです。

#ドラッカー #365の金言 #5月19日 #資源としての人材    #人はコストではなく資源である

このNoteは、「ドラッカー365の金言」に記された1日1テーマに対して、自分の感想や想い、そして、私自身の実践について書いたNOTEです。本文そのものを全て引用することはありませんので、ドラッカー博士の論文をお読みになりたい方はぜひ本書をご購入されることをお勧めします。

https://amzn.to/3sucDVe

“汝の時間を知れ“ ドラッカー

上記は本書の扉の次のページに記されていたメッセージです。これは「時間は無限ではないから集中せよ」という意味かも知れません。ドラッカーの65年以上にわたる著作集を読み続けるほどの時間がない方のために、本書がある、という意味かも知れませんね。

編者のマチャレロ教授は

“最後にACTION POINTとして取るべき行動を示唆した。ここでお願いしたいことは、読者ご自身が「すでに起こった未来」を探すことである。新たなトレンドを見出したならば、ドラッカー学校の伝統に従い、自ら行動していただきたい。“


と記して、本書を実践する書、として欲しいと述べています。

著作権等の関係から、日々のドラッカー論文(つまり、本書の本文)を全文引用することはしませんので、ご関心の方はぜひお手元にお持ちになることをお勧めします。


今日のテーマ:資源としての人材

今日のアクションポイント:  

#成長するものとして人を見てください

#ともに学んでください

#学んだことを使えるようにしてください

働く人たちこそ同僚であり、主たる資源であるとの私の考えに、最初に敏感に反応してくれたのが日本企業だった。

もともと「日本的経営の特徴」と呼ばれるものは、ドラッカーが発見したものか、それともそもそも近世から日本商人たちが実践してきたものなのか、それは不明ですが、本日紹介されている「働く人たちこそ同僚であり、主たる資源である」「人はコストでなく資源である」「共有する目的に向けてともに働くとき、大きな成果が得られる」「マネジメントとは地位や身分ではない」などの文言は今日「人間性経営(=人を大切にする経営)」の原点のように思われます。

今日の提言は1995年に発刊された「未来への決断」に記されている言葉である

けれど、それ以前にも1974年日本発刊の名著「マネジメント」にも

経営者は「労働者」を「問題児」「費用」あるいは脅しつける「敵」として見るのではなく、資源として見なければならない。つまり経営者は、人間の強みを効果的に発揮させることに責任を取らねばならない。(「マネジメント」501ページより)

と記されているし、「マネジメント」以前の1966年発刊の「経営者の条件」にも「強みを生かす」のなかにも記されている。

効果的な経営者は、人間の強みを生かすことを知っている。彼はその弱みを頼ることは間違いであることを知っている。すなわち、成果を達成するためには、われわれは、利用できる限り全ての強みというもの、つまり、同僚のもつ強み、上長のもつ強み、それに我々自身のもつ強みというものを活用しなければならない。強みこそが我々に真の機会を提供する。そして、このような強みを生かすことが組織の唯一の目的なのである。(「経営者の条件」(1966年)134ページより)

つまり、ドラッカーは、長年、人はコストではない、働く人の強みを活かすべき、個々人のできないことに関心を払うべきではない。強みを活かすべき、と唱えてきていた人物です。

経営者は自分自身の職務についての指針を(共に働く人たちから)求めなければならない。経営者は部下に対して上司がより良い、より効果的な職務を果たせるようになるのは、部下の責任であるという考え方を受け入れるように要求すべきである。経営者は、部下の1人1人の職務の中に上司に対する責任と上司に対する貢献を持たせなければならない。(「マネジメント」510頁より)
これを実行する方法の1つは、部下の1人1人に対して、いくつかの簡単な質問について十分に検討させ答えさせることである。例えば「あなたの管理者として、私がどんなことをしたら、また会社がどんなことをしたら、あなたが仕事をするのに最も手助けとなるのかあるいは最も妨げとなるのか」。「あなたの管理者である私が会社のために最良の仕事を助けるとすれば、あなたにできることはなんであるか」。(「マネジメント」510頁より)
このような質問によって、上司と部下の双方が共通の成果を重視せざるを得なくなる。また双方がお互いの関係によって成し遂げようとしているものを重視するようになる。(中略)経営者は部下を自分にとっての「資源」として見るだけでなく、部下にも自分を彼らの「資源」として見るようにと指導するようになろう。(「マネジメント」510頁より)

経営者も労働者もより良い「共通の成果」を生み出すには、質問と対話によって「互いの資源」として尊重すること、と説いています。

つい数年前「株主第一主義からステークホルダー重視経営へ」と米経済団体でも唱えられ、


ダボス会議にも波及しています。

わが国では、この潮流より前から労働現場改善や職場のメンタルヘルス改善を促す「働き方改革」「ホワイトな企業経営」と言われ始めてきましたが、そもそも「人(労働者)を大事にする経営」は1960〜70年代の高度経済成長時から実施されてきた日本的経営の根本だったと思います。

それが、低成長、低迷の30年間を経て、今、あらためて、企業は誰のものか、何のための企業活動なのかがここ数年、改めて問われてきた、という周回遅れのような現象に感じます。

私自身は6年ほど前よりホワイトな企業経営への探求を続けてきました。人を大切にする経営を実践すると、知らぬ間に業績も向上する結果も体験できました。

労働者の能力を最大限に発揮させるためには、企業は監督者(スーパーバイザー)ではなく、経営担当者(マネージャー)を必要としている(「現代の経営」(1956年)下巻187ページ)

雇用に対する疑心暗鬼なく、組織への信頼感が持てたからこそ60〜70年代の高度経済成長は実現できたのだし、90年代以降数回にわたる不況の結果、労働条件の改悪と海外への工場移転を進めた結果、ますます活力のない少子高齢化が進み、結果的に低迷が長引いているようにも思えます。

問題解決よりも機会を創造することと言われます。

今日もやっていきましょう。


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