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10月16日 Legitimate Power in Society 権力の正統性

おはようございます。このNOTEは、読むだけで世の中の課題を #ドラッカー #365の金言  を使って、解決できる、そんな知力を鍛える教育エンタメNOTEです。

こちらでは、地に足をつけた、実践マーケティング記事を
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本日、 #10月16日  
#Legitimate_Power_in_Society#社会における正当な権力 )
#権力の正統性

今日のテキストは、戦時中の1942年に発行され、わが国では1965年初版発行された #産業人の未来  第2章 #機能的社会とは何か  1965年版では 31ページ より。

 ドラッカーの功績の1つが、ナチズム分析です。現代の産業社会が、どうして、ナチズムのような野蛮で奇形的な精度を作り出したのかを「経済人の終わり」「産業人の未来」の2冊で掘り下げます。
 そして、そこから得た教訓を手がかりとして、現在社会を再びナチズム的な全体主義社会たらしめないで、自由で平和な社会として発展させるには何が必要かを探求し、その答えとして、個々の人間の持つ優れた点を活かし、大切にする「自由闊達な工場」であり、企業や組織、そして、NPOの発展に未来の可能性を見出したのです。

 今でも学校は、現代産業社会に適合する人材を多数輩出するための育成機関として機能しています。個性的な教育よりも、知識を詰め込み暗記型で、決められたことを、決まった通りに行うことができる人材を輩出することが求められています。

 1人の「大谷翔平」、1人の「あいみょん」よりも、10万人の工場勤務者、介護従事者の輩出を正しいとする価値観の中にあります。

 ところが、その価値観では、もう日本社会がもたないことが明らかになってきました。節約節約プライマリーバランスを重視する財務省のやり方では、日本の成長発展に寄与しない、と指摘されているにもかかわらず、その価値観をチェンジさせることができず、閉塞感ばかりが募っています。

 彼らに「正統性」はあるのか?

1年前、こんな記事を書きました。

 そして、今一度、彼らが何の権限があって、我々に物申しているのか?NHK党ではありませんが、「ぶっ壊す」と叫んでみたくもなります。ただし、責任ある大人としては、ぶっ壊した後の尻拭いまでしっかりやっていくんだ、という決意を持っておくことが肝心と思います。

 目的と手段が逆転したり、反対運動が目的となってしまうリベラルの運動のようなものになってしまっては、意味がありません。

#決定的な権力が正統性を欠くとき社会は社会として機能しない

 権力の正統性は、人の本質と目的についての理念によって規定される。正統な権力とは、社会のエトスによって正当化される支配権である。もちろん、いかなる社会にも、その社会の理念とはかかわりのない権力が多数存在する。人間存在の目的にかかわりのない組織も多数存在する。自由社会には無数の自由ならざる組織が存在し、平等社会にも無数の不平等が存在し、聖人社会にも無数の罪人が存在する。
 しかし、ある社会が自由社会、平等社会、あるいは聖人社会として機能することができるのは、われわれが支配権と呼ぶ決定的な社会権力が、自由、平等、あるいは聖性を標榜し、諸々の制度がそれらの実現のために機能している間のみである。ここにおいて、制度的構造が正統な権力の構成要件の一つとなる。

(『産業人の未来』)

ACTION POINT

#イラクにおけるフセイン後の正統な権力を考えてください
#どのような自由ならざる制度#平等ならざる制度が残ると考えますか

今日もやっていきましょう!

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