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12月26日 Return of the Demons 魔物の再現

おはようございます。今日も #ドラッカー #365の金言  から人生と経営を深めて参りましょう。

本日 #12月26日  

テーマは #Return_of_the_Demons  

#魔物の再現

#自由と安全が両立しないならば大衆は安全を選ぶ

 大衆は、世界に合理をもたらすことを約束してくれるものさえあれば、自由を放棄してもよいと覚悟するにいたった。
 自由が平等をもたらさないならば、自由を捨てる。自由が安全をもたらさないならば、安全を選ぶ。自由によって魔物を退治できないとなれば、自由があるかないかは二義的な問題にすぎない。自由が魔物を招くのであれば、自由の放棄によって絶望からの解放を求める。(『経済人の終わり』)

ACTION POINT 
#ときとして社会はなぜ全体主義を選択するかを考えてください

感染症共存社会は、個人の自由を制限する方向へと進んでいるようです。

御田寺圭さんによれば、

“「健康であること」は「あくまで個人的なものであり、人それぞれがなるべく目指しておく努力目標」ではなく「社会のインフラの安定化や秩序の維持のために、個人が必ず達成しなければならない倫理的規範」として格上げされていく“

と、これまでの「公共の福祉」概念が拡大解釈され、憲法が保障する基本的人権が制限されつつあること。

一方で、大衆の方も、

新型コロナ・パンデミックによって「感染拡大を防止するために、市民社会が遵守するべき生活様式」を守らない個人に対する制裁や権利制限を強く求めた人びとは、これまでの時代にはないほど個人が「社会化」されることへの抵抗が低くなった。

「安全のためなら個人の行動制限したほうがいい」と、国家側の拡大解釈を、むしろ、大衆側が喜んで受け入れる、そんな時代に変わったことを指摘している。

社会主義化ととらえている人もいる。


おいおい、学生時代、あんなに日本国憲法13条の基本的人権こそ重要だ、と講義した大学教授や弁護士の皆さん、声をあげないのかい?

むしろ、制限側の方に味方しているんじゃないのかな?

基本的自由こそ、人類不変の価値だったんじゃないのかい?

今後、この「公共の福祉」の範囲は

たばこ、酒、萌え絵(温泉むすめ、松戸警察&松戸東警察が「千葉県松戸市ご当地VTuber戸定梨香など)ポルノ、肉食、糖質、カフェイン、、、

など、クレームをつければつけるほど無制限に広がる可能性も。

 これは、まさに1930年代に、ドラッカーが

自由が安全をもたらされないならば、安全を選ぶ(『経済人の終わり』)

 社会全体が「大衆の絶望( despair of the masses )にとらわれているとみた事象に類似している。

 当時ドイツでは反逆以上に社会の維持発展にとって甚大な害悪を及ぼしつつあった。自由や責任を逃れ、無関心、無感動が支配する時代状況が表れていた。こうして当時のドイツの資本主義社会が、主要な制度主体に正統な権力や市民的活力の創出に失敗したことで、ファシズム、ナチズム、共産主義など合理性を欠く民衆扇動を増進させることとなった。

 疫病蔓延後、人々やマスコミはますます疫病蔓延の責任を行政に押しつけ、「ゼロウイルス」という無茶な解決法を望み、保健所、医療機関への負担を押し付け、自らは「被害者である」というポジションに甘んじようとする小狡い態度が散見される。

 人へのウイルス疾病に限らず、鳥インフル、豚コレラなどウイルス自体は日常も蔓延しており、ただアンバランスな状態が発生することで、急速に疾病流行するというメカニズムが繰り返されているだけである。

 およそ80年前にドラッカーが記していたことが、この2020年以降の言論や行動規制で起こっており、さらに、広がろうとしている点、これからも注視して、自由への過度な侵害について意識的に考えたい。

今日を変えていこう。愛を込めて。

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