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目的は経済発展じゃない、と政府が言う時が危険では?? 6月28日 Economic Progress and Social Ends 経済発展の目的

おはようございます。

#6月28日  
#Economic_Progress_and_Social_Ends
#経済発展の目的

#経済発展はそれ自体が目的ではない

#人間の目的達成のための手段にすぎない


 資本主義体制の経済的側面の可能性に関するかぎり、近代資本主義の化身たる巨人ヘンリー・フォードが正しく、資本主義の墓堀り人たる学者が間違っていた。しかし、そのフォードにしても、彼を批判する者たちと同様、経済発展はそれ自体が目的でないことを忘れていた。それは、人間が目的を達成するための手段としてのみ意味をもつ。
 経済発展は、社会目的の達成を約束するかぎりにおいてのみ望ましい。約束が幻想であることが明らかになれば、手段としての価値は一転してなくなる。
 社会秩序および信条としての資本主義社会は、経済発展が自由で平等な社会における個人の自由と平等を促進するとの信条にもとづいている。資本主義以前の信条では、私的な利潤動機は、社会的には有害なもの、あるいは少なくとも中立的なものと見ていた。そのため、個人の経済活動を意図的に狭い領域に閉じ込め、社会的に意味ある領域に与える影響を最小限にしようとしていた。

(『「経済人」の終わり』)


ACTION POINT 

#経済的な発展を求める過程において
#一人ひとりの人間の成長をはかってください

 本日のテキストは、ドラッカーの『「経済人」の終わり』第2章 大衆の絶望 より(『ドラッカー全集(1972年)第1巻 29〜30ページ)

『「経済人」の終わり』は、1939年発表(日本では1963年)ドラッカーの処女作。

 1933年ドイツファシズム、ナチズムの台頭した原因は、経済的メリットのみを追求し、「経済第一」で合理主義的に行動する「経済人」の社会が、1914年第一次大戦、1917年マルクス主義の登場、1929年世界大不況、資本主義の行き詰まりと巨額の賠償金請求によって「マネー第一主義」が崩壊。

 経済が意味ないとなった価値観の後に、登場したナチズムの全体主義社会では、経済的な満足、報酬、対価が、一切を非経済的なもので置き換えらえた非経済的産業社会となりました。それをドラッカーは「「経済人」の終わり」と称したのでしょう。

 従って、今日のテキストは、「経済第一」だけが目的になってはダメだ、という話ではなくて、不況、戦争によって、これまで「経済第一」でやってきた大衆が絶望し、ファシズムが「経済ではない非経済だ」として、軍需産業で仕事をさせたり、国へのボランティア活動を強いたことを批判しているのです。

 100年前、スペイン風邪、世界大戦で巨額の賠償金を背負うことととなったドイツ、ドイツ経済は不況で失業増。国防が失業者を吸収。国家へ奉仕せよとボランティアが盛ん。そして、ナチズムという全体主義国家へと進んでしまいました。

 今の私たちもコロナ感染症の流行、ウクライナ戦争、コロナ不況、失業率上昇、で経済ガタガタ、被災すればボランティアをと復興の資金を出さずボランティアを募る政府、政府が運用するから個人の預貯金は投資せよ、と国民が蓄えてきた資産を投資という名のギャンブルへ吐き出させてようとする政府、、、似たような状況を感じませんか??

なぜ貯金するか、というと、年老いた時の将来が不安だから。政府に任せておいたら、どんな目に遭うか、それを国民は知っているからです。デンマークや北欧の国家は国民に対して信頼がありますが、敗戦時にデノミをしたり、売国する政治家がいたりする政府を信頼できないからではないかしら??

今日を変えていこう。愛を込めて。

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