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2月14日 カリスマ待望は集団自殺願望

#ドラッカー #365の金言 #2月14日 #カリスマ待望は集団自殺願望 #カリスマを警戒せよ #カリスマ性の有無に関係なくあなたの組織でもっとも優秀な人の名を挙げてください

ドラッカー博士ならではである。

20世紀ほどカリスマに恵まれた世紀はなかったし、20世紀の4人のカリスマほど害をなした政治リーダーもいなかった。

と、カリスマの例として、スターリン、ムッソリーニ、ヒトラー、毛沢東の名前を挙げた。4人とも専制主義者、ファシズム、全体主義、共産主義の独裁者で大量虐殺を指導した者たちだ。

重要なことはカリスマ性の有無ではない。正しい方向に導くか、間違った方向に導くかである。20世紀における建設的な成果は、カリスマ性とは縁のない人たちの手によるものだった。

無名のリーダーたちが20世紀を築いたのであり、決してカリスマではない。カリスマは破壊者であり虐殺者である、と全体主義、ファシズムを批判している。

そして、知的労働社会の到来によって、

意味のあるのは実務能力である。

と結論づけている。

「無関心の罪」に陥ってはいけない

ドラッカーが20代で教壇に立つフランクフルト大学で、ファシズム(全体主義)を掲げたナチス党員が全教員を集めて緊急教員会議を招集。ナチスは明日からユダヤ人教員は出ていけという演説をぶち上げて、このような脅し文句で締めくくった。

「俺のいうことを聞くか、収容所に送られるか、どちらかだ!」

演説終了後、著名な教授たちは我が身が安全であればと沈黙し看過ごした。むしろ、ナチスに「私の研究費はいただけるのですか?」とすり寄ったのを目撃した。そして、多くの職員がユダヤ人教員と距離を置いて退出した。

ナチスがユダヤ人への弾圧を始めた際、多くのドイツ人はおかしい、と思いながらも、我が身が安全であればと沈黙したことをドラッカーは「罪」と表現した。

その後、ナチスはユダヤ人弾圧をさらに強化、民族浄化の名の下、ユダヤ人を組織的に絶滅政策・大量虐殺=ホロコーストを行ない、600万人にものぼる殺人をおこなった。

翻って、2021年の現在、香港人、チベット人、ウィグル人への虐殺、虐待が中国共産党によって行われている。わが国から遠くで行われていることで、日本には関係ない、と無関心でいる姿勢は、当時のドイツ人の姿勢と変わらないのではないだろうか。

我が身が安全であれば、経済的に潤うから、と沈黙することが「武士道」なのか、それが日本人なのか、というドラッカーの声が聞こえるようである。

専制(ファシズム・全体主義・共産主義)に対抗するには?

このようなファシズム、全体主義、共産主義に対抗するにはどうしたらいいか、という問題に対して、ドラッカーは名著「マネジメント」を記した。

なんと、「マネジメント」の序文(=まえがき)、そのタイトルは「専制にかわるもの(原文=The alternative to tyranny )」なのだから。

(前略)自律的な組織体が機能して業績をあげるのにとってかわるのは自由(フリーダム)ではない。とってかわるのは全体主義の専制である。(中略)われわれの多元的な「組織体の社会」にある組織体が、責任ある自律性の下に業績をあげるのでなければ、個人主義は失われ、また、自己を十分に発揮するチャンスがある社会も失われてしまう。そして完全な規格化がおしつけられ、だれもが自律性を許されなくなる。われわれは、「好きなことをする」楽しい自発性はもちろんのこと「参加的な民主主義」までも失い、そのかわりにスターリニズムを招くことになる。強力で業績をあげる自律的な組織体にとってかわるのは専制だけである。専制は、競争し合う組織体という多元性のかわりに唯一絶対なボスを据える。専制は、責任感のかわりに恐怖を持ち込む。(中略)組織体に業績を上げさせるのは、経営者とマネジメントである。業績をあげ、責任あるマネジメントだけが専制にかわるもので、専制に対するわれわれの唯一の防御策なのである。(後略)

マネジメントを人間を管理する方法、と錯誤してしまうことから、全体主義への暴走が始まります。暴走を止めるために、無名の実務家でリーダーである「マネージャー」が「カナメ」なのです。過ちを真摯に認め、すぐに改める誠実さを持ったマネージャーこそが社会の全体主義化を防ぐことになります。


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