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「福祉国家」の本質は、若者が収めた公金を高齢者と役所とNPOによるチューチュー制度だったのか?税・社会保障費の国民負担率48%なんて、もう耐えられないよ、という声が変化をもたらすのかも? 2月15日 Salvation by Society 社会による救済の終わり

今朝4時ごろ、隣の部屋に住む、1人暮らしの高齢者が倒れました。救急車と消防車にパトカーがやってきたのですが、部屋に鍵がかかっていたため入れません。やむなく我が家からベランダ伝いに移って救命活動がなされ、無事救急病院へ搬送されていきました。

1人の高齢者を助けようと、俊敏な救急隊員や消防士さん、警官ら若い衆7〜9人がかりでの献身的な活動と公助精神に頭が下がる想いでした。

しかし、若者7〜9人で1人の高齢者を支え救う。
しかも、その費用も労力も若者が負担しているのです。
今の「社会による救済」という高齢社会制度を象徴しているようにも感じました。

そして、この「社会による救済」制度は、老齢社会となった日本では、もうこれ以上もたないところまで来ています。

人は税や社会保障費を払うために生きているわけではないです。誰ひとり見捨てない社会を僕らはどこまで維持できるんだろう?

おはようございます。

このNOTEは、読むだけで世の中の課題を #ドラッカー #365の金言  を使って、解決できる、そんな知力を鍛える教育エンタメNOTEです。
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さて、

こちらでは、地に足をつけた、私の体験や学びから得た
実践マーケティング記事を1日1本以上をご紹介しています。

ぜひお読みください。

では、今日のアクションポイントから。

ACTION POINT

#あなたの面倒を見るのは
#人事部ではなくあなた自身です
#自らの強みを見つけ 
#自らの期待に応え
#自らをマネジメントしてください
#何によって貢献するかを常に考えてください

 ドラッカーは、「3〜4年ごとに新しい分野を学び続けてきた」、自らを陳腐化しないようブラッシュアップし続けてきた」と記しておられました。しかし、変化の激しい現代社会では、もはや学校で学んだことが、社会では周回遅れで使えない時代。

 学校やオンライン講座などで新しい知識や術を学習して身につける速度よりも、アプリやAI、ロボットのアップデートが早すぎて着いていけない、そんな人が増えています。

 例えば、仙台あたりでも、医師も、開業して数年すれば新しい治療法(しかも、それは簡便で、痛くなくて、患者の負担が少ないそうです)が登場して、それをマスターしていないと患者が「あそこの医師は、いまだに注射打つだけ。術が古くて効かない」と新しい治療法を知っている病院へ患者がうつってしまうそうです。

プロは一生学び続けること、嫌なら引退せよ、そんな時代が到来したようです。

本日 #2月15日  甲辰(きのえ・たつ) 先勝。
2月も後半戦のスタートです。

今日のテーマは、
#Salvation_by_Society (社会による救済)
#社会による救済の終わり

#社会による救済への信仰が終わった後となっては一人ひとりの人間の責任が主役となってもおかしくない

 信仰としてのマルクス主義の崩壊は、社会による救済という信条の終わりを意味した。それに代わるべきものが何かは不明である。それが現れることを望み祈るだけである。禁欲の忍従に留まるのか。知識社会のニーズに応えようとする在来宗教の復活か。アメリカで成長中の大教会か。あるいはイスラムの原理主義か。原理主義を信奉するイスラム世界の若者も、40年前ならばマルクス主義になっていたかもしれない人たちである。あるいは、まったく新しい種類の宗教か。
 いずれにせよ、救済、復活、成長、善、徳が、社会的な目標や政治的な処方としてではなく、人間の実在にかかわるものとして求められるようになる。少なくとも社会による救済の信仰が終わった後となっては、内面への回帰が始まる。個としての人間が中心となる。さらには、一人ひとりの人間の責任への回帰さえ生まれるかもしれない。少なくともわれわれは、そのように望むことはできる。

(『ポスト資本主義社会』)

今日のテキストは、『 #ポスト資本主義社会 』>序章 #歴史の転換期#国民国家を超えて >  #「社会による救済」という信仰(1993年版、39〜40ページ)から。


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