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1月28日 マネジメント無視の実験

#ドラッカー #365の金言 #1月28日 #マネジメント無視の実験 #ヘンリーフォードは事業にマネジメントは必要ないとの信念ゆえに失敗した #あなた自身従業員を助手扱いする経営者になっていませんか #あるいは助手扱いされるだけの従業員になっていないでしょうか #従業員に責任を持たせることで収益性を上げる方法を3つあげてください

自動車王、と呼ばれたヘンリー・フォード氏の成功と失敗について、ドラッカー博士の見解が語られています。

フォードの失敗と成功とは、フォード社の興隆と衰退と、彼の孫ヘンリー・フォード2世の手による、同社の復活の逸話である。

(1)1905年、無から出発したヘンリー・フォードは15年後に世界最大の規模をもち、最も収益力がある製造会社を作り上げた。(2)フォード自動車会社は、1920年代の初めに、アメリカの自動車市場をほぼ独占的に支配するまでになった。また世界の重要な自動車市場のほとんどにおいて指導的地位を占めるまでになった。(3)それだけではくフォード社は、利益から約10億ドルの現金を積み立てることさえできた。(4)しかし、わずか数年後の1927年に、この難攻不落と思われた企業帝国に斜陽が訪れた。フォード社は、指導的地位を失い、かろうじて市場第3位という哀れな状態を続け、その後20年間、ほとんど毎年欠損を続け、第二次大戦中もその競争力は低迷を続けた。(5)1944年、創立者の孫であるヘンリー・フォード2世が弱冠26歳で、これといった訓練も経験もなく会社を引き継いだ。その2年後、フォード2世は、祖父の旧友たちを大なたをふるって追放し、全く新しい経営陣を導入して会社を救った。(マネジメント 29経営管理社の必要性 より)

本日、大事なことと感じたのは、今日の3つのアクションポイント:

(1)あなた自身従業員を助手扱いする経営者になっていませんか (2)あるいは助手扱いされるだけの従業員になっていないでしょうか (3)従業員に責任を持たせることで収益性を上げる方法を3つあげてください

あなたは、従業員を助手扱いする経営者になっていないか?あるいは助手扱いされるだけの従業員になっていないでしょうか?

この2つの問いは非常に重要と思います。助手扱いする側もされる側にも問題があるという指摘は鋭い。

企業オーナー兼経営者が全ての権限を握り、恐怖によって組織を支配し、自分の指示命令に従う「助手」だけで良いとした経営スタイルから、マネージャー層によって経営するスタイルに組織改革したことで、フォード社のみならず、ドイツ・ジーメンス社、日本・三菱も復活したとドラッカー博士は記しています。(「マネジメント」29章 経営管理者の必要性より)

つまり、マネージャーはトップマネジメントからの権限委譲を受けて、企業オーナーの職務を代行する存在ではない、と。

驚いた!今の今まで、マネージャーとは、企業所有者(オーナー)からの権限委譲を受けて、オーナーの職務を代行する存在、だと思っていた。だが、ドラッカー博士の定義では、それは「助手」であり、マネージャーではない、というのだ。

では、マネージャーの仕事は何か。それは、“経営すること“だ。すなわち、

「他人の仕事に対する責任ではなく、企業の成果に対して貢献する責任」である(マネジメントより)

オーナーのため、ではない。企業の成果のためだ。

企業という組織体のため、そして、それは従業員のためであり、取引先のためであり、お客様のためでもあり、地域社会、ステークホルダーのために、人の強みを発揮させて効果を上げることである。これらの利害関係者に対して貢献する責任を持つものがマネージャーの仕事と職務だというのだ。

経営管理者は、「部分の総和」よりも大きい真の「全体」を創造しなければならない。つまり投入した資源の総和よりも大きなものを生み出すことのできる、生産的な実体を創造しなければならない。この点、オーケストラの指揮者と似ている。指揮者の労力、ビジョン、リーダーシップによって、それぞれの楽器の音が総合されて生きた音楽演奏となる。しかし、指揮者は、作曲家の楽譜を手にしているだけで、いわば解釈者にすぎない。しかるに経営管理者は指揮者であると同時に作曲家でもある。(マネジメント 31経営管理者とその仕事 より)

マネージャーはオーナーの助手、権限委譲者ではない。企業経営者、経営陣の一人である人の強みを発揮させて効果をあげなくてはならない。ということで、マガジンもよろしくです。

今日もやっていきましょう。

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