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1月7日 Knowledge Workers: Asset Not Cost 資産としての知識労働者

おはようございます。今朝も #ドラッカー #365の金言  から人生と経営を深めて参りましょう。

本日 #1月7日  のテーマは、

#Knowledge_Workers

#Asset_Not_Cost  

#資産としての知識労働者

#資産の保全こそマネジメントの責務である

 知識労働者は生産手段を所有する。それは頭のなかにあり、持ち運びができる膨大な資本財である。
 知識労働者は、生産手段を所有するがゆえに自由に移動する。肉体労働者は、仕事が彼らを必要とする以上に仕事を必要とした。もちろんあらゆる知識労働者について、彼らが組織を必要とする以上に組織が彼らを必要とするわけではない。しかし彼らの多くは、組織との間に、お互いを必要とするという共生関係にある。
 組織に寄託された資産の保全こそマネジメントの責務である。このことは、知識労働者のもつ知識が資産となり、しかも、それがますます主要な資産となりつつある今日、何を意味するだろうか。人事管理上、いかなる意味をもつか。最高の知識労働者を惹きつけ留まってもらうには何が必要か。彼らの生産性を高め、組織の業績に結びつけるには何が必要か。(『明日を支配するもの』)

ACTION POINT
#最高の資産として処遇することによって
#最高の知識労働者を惹きつけ留まらせることに努めてください

ドラッカーの経営思想の根本にあるのが、「人を中心に置かなければならない」ということ。彼は数々の名言を残してくれている。

「企業は人である」「マネジメントとは人に関わることである。その役割は、人が共同して成果を上げることである。強みを発揮させ、弱みを意味なくさせることである」「従業員を消耗品のように扱うべからず」「人は資産」「企業とは民主主義の推進機関である」

 あらゆる局面において、人間的要素を重視した。民主主義が機能して、はじめて人は、生計の資、成長の機会、貢献の場、生きる目的を持つことができる。(中略)大量のレイオフが日常となった人間味の薄れつつある社会において、ドラッカーはクライアントの家族のことまで気にかけていた。(エリザベス・ハース・イーダスハイム著「P・F・ドラッカー〜理想企業を求めて」139ページより)

仁徳天皇(257〜399)以来、中江藤樹(1608〜1648)、石田梅巌(1685~1744)、二宮尊徳(1787〜1856)などの偉人の教えもあり、私利私欲を拡大しようとする藩主に対しては一揆や陳情で、幹部の上から目線の指示命令に対して、明治の自由民権運動、大正デモクラシー、足尾銅山裁判、226事件と現場が主導し運営を進める考え方、民を大切にする、人を大切にする、民が中心になる、という考え方がわが国では伝統的に浸透しています。

ドラッカーは、日本について調べる中で、日本社会が伝統的に有してきたこの価値観に、戦後の高度成長の一因をみたように感じます。

2000年代に入り、改革だ、なんだとするたびに、日本企業が持っていた長期の競争力である、組織所属の安心感、人を大切にする経営という「強み」を失わせるような、そんな議論になっているように思えてなりません。

その改革、本当に長期の競争力維持のために必要なのか?と常に問いかけながら、今日も生きています。愛を込めて。

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