見出し画像

12月12日 Business Not Financial Strategy 財務よりも事業

おはようございます。今日も #ドラッカー #365の金言  で人生と経営を深めて参りましょう。

本日 #12月12日  のテーマは #Business_Not_Financial_Strategy  

#財務よりも事業 です。

#何ごとにも掘り出し物はない

#せいぜいいが値段並みである

 財務分析ではなく事業戦略にもとづく買収が成功する。買収のターゲットは事業戦略によって選ばれなければならない。さもなければ失敗する。失敗の典型がW・R・グレイスのCEO、ピーター・グレイスによる一連の買収だった。一流のアナリストを擁し、株価収益率から見て買い得の企業を買収していった。財務分析は完全だったが、事業戦略がなかった。
 その対極にあったものが、1981年から2001年にかけてジャック・ウェルチがCEOをつとめていたGEだった。とりわけ子会社GEキャピタルによる企業買収だった。証券会社買収の失敗もあったが、全体的には驚異的な成功率だった。そこには事業戦略があった。(eラーニング教材『成功する企業買収』)

ACTION POINT
#あなたの組織がおこなった企業買収を1つあげてください

#それは事業上 ?財務上?いずれの理由による買収でしたか。 

#結果はどうだったでしょうか

1、ピーター・グレース氏、W.R.Grace社とは?

ドラッカーが事業戦略なき買収、と評したW.R.Grace社とは?ピーター・グレース氏とは?ピーター・グレース氏を以下のように評しています。

 彼は優秀な人物だった。彼は1950年代に、財務的に優れた企業買収によって世界的な多国籍企業を作ることを目指した。彼は、優秀な金融アナリストを集め、世界中から株価収益率の低い産業や企業を探してきた。そして、それらの企業をバーゲンプライスと思われる価格で購入していった。買収した企業の財務分析は完璧だった。しかし、事業戦略はまったくなかった。


https://www.grace.com

同社は1854年ペルーで創業され、米メリーランド州コロンビアを拠点とする特殊化学品・材料を製造販売している化学企業。もともと貨物輸送業だった事業でしたが、海運業「グレースライン」を開始、1945年に創業者の孫であるピーター・グレース氏が32歳の若さで代表に就任、海運業を大きく成長させると、その後、

事業彼は社長を48年間勤めました。

彼のリーダーシップのもと、ペルー最大の石油掘削チーム、世界最大の牛牧場、世界最大のカカオ豆会社、砂糖農園、チリの紡績工場、銀、粘土、リン酸塩、錫鉱山を経営。1950年代に事業の多様化を始め、世界的なコングロマリット(異なる業種で経営される多国籍企業グループ)に成長させました。グレースは、900のチェーンレストランを運営する食品グループ、スポーツ用品、ホームセンター、ジュエリー、自動車部品の中古市場、皮革製品チェーンの小売業を所有、ミラーブリューイングを含む肥料メーカー、菓子メーカー、飲料会社も運営しました。さらに遺伝子工学を用いて、オーリジェント・ファーマセカルグループで遺伝子治療事業を開拓、デヴィソン化学会社とダウネイ化学を買収し、特殊化学品分野・素材産業に参入するなど、幅広い領域での事業を指揮しました。

一方で、ベルーでの事業は1974年から次々に国有化され、農園や採掘事業を失いました。また、さまざまな小売業にも進出していましたが、1985年までに次々に売却されました。

加えて、同社の化学事業は、1970年代半ばから、モンタナ州リビー市、トロイ市、マサシューセッツ州において、高レベルの化学汚染が発見されました。排出処理が不適切により、地下水の水質汚染、アスベスト汚染を引き起こし、1982年多くの住民から民事訴訟が起こされました。グレース社は800万ドルしか払いませんでしたが、米国環境保護庁の報告により同社の責任が明示され、大きな社会的批判と損害賠償を負う事となり、2001年破産となりました。

(ドラッカーはこうしたグレース氏の企業買収、汚染を生み出し放置し、訴訟と補償騒動とその対処から「グレース氏には事業戦略がない」と評したのかもしれません)

事業家として大きな成長に貢献したグレース氏ですが、米政治においても、大きな貢献を残しました。

1982年、レーガン政権下において、政府のコストコントロールを調査する、いわゆる「グレース委員会」を組織、連邦政府の無駄と非効率を洗い出しました。1984年1月、「グレース委員会報告書」が議会に提出されました。この勧告に従えば、3年間で4240億ドルを節約でき、2000年までに年間1.9兆ドルに節約を増やすことができることが示されました。この改革がなければ2000年までに国債は13兆ドル増加すると推計され、改革が実行されれば2.5兆ドルに収まると予測されました。提言はいくつか検討され、いくつかの提言は実行されました。その結果、米国債務は、2000年に5.6兆ドルに達し、サブプライムローン危機後の2010年に13兆ドルに達しました。

グレース委員会提言によって、2000年13兆ドル予測の債務が5.6兆ドルで済んだ、収まった、という大きな成果を残した、という方もあるようです。グレース氏は1995年4月21日、81歳で亡くなりました。


グレース社は、日本では建設製品事業を拡大して要るそうです。日本法人はこちら。

 地下水汚染、アスベスト汚染のダメージが大きかったのか、2021年9月、グレース社はスタンダードインダストリーズ社に買収され、グレース一族の支配も終焉となりました。


2、GE、ジャック・ウェルチと彼以降のCEOたち

 一方で、ドラッカーが高評価したのは、GE社であり、そのCEOであるジャック・ウェルチ氏です。

ウェルチ氏はドラッカーをコンサルとして雇っているので、評価が歪んでいるのかな?そう思いますよね?実際はどうだったんでしょうか。ドラッカーの翻訳を長年勤めてこられた上田惇生氏はこう記しています。

GEのジャック・ウェルチは二〇年前、自分がCEOに指名されたら、すぐにしようと思っていたことが一つだけあったという。それがドラッカーに会うことだった。ドラッカーは「お宅ではいろいろな事業をやっているが、もしやっていなかったら今から始めるつもりのものばかりなのか」と聞いたという。この二人の会話から合作で生まれた戦略が、あの有名な一位二位戦略だった。GEは、世界で一位二位でない事業、一位二位になれそうにもない事業からは一切手を引いた。

また、ドラッカーが亡くなった後、ウェルチ氏にエリザベス・ハース・イーダスハイムという女性伝記作家がインタビューした内容について以下のサイトに記されています。

するとウェルチは、最初にドラッカーと会ったときの会話について詳しく語り始めました。そして先ほどの「1位2位戦略」の話を繰り返したのですが、実はそこに、伝えられている表現とは少し違った言葉のニュアンスがあったことが明らかになったのです。
実際には、「あなたの会社のやっている仕事は、すべてワクワクドキドキするものばかりか?」と尋ねたと言います。
対してウェルチは「すべてがそうだとは限らない。なかには淡々とやっているものもある」と答えたところ、ドラッカーは「ワクワクドキドキしてやっている事業以外は、すべて止めたらどうだろう」と言ったというのです。
つまり、ドラッカーは「本気で取り組む仕事は、ワクワクしていてしかるべきであって、そうでないものには取り組むべきではない」と考えていた。
さらにドラッカーは、「ワクワクしながら、意気込みをもってやるような仕事でなければ、お客に対して失礼だ。そうでないものは思い切って止めてしまうか、その仕事を熱意をもってやるところとコラボレーションしたほうがいい」とアドバイスしたそうです。

「P.F.ドラッカー―理想企業を求めて」にはこう記されている。

 ウェルチは、ドラッカーのおかげで、GEが夢中になられないことについては、それに夢中になっている企業とパートナーシップを組むようになったといった。ドラッカーは「GEが本格的に取り組めないものは、どこか他の企業の本業にしてやれないか」といったという。まさに、一度聞けば忘れられないドラッカー一流の言い回しだった。本気になれないのであれば、力もあり、やる気もあるところと組めというのだ。(中略)自らの強みに焦点を合わせ、強みでないことは他社に任せる。GEでは、すでにこの考えのもとに、経営幹部が提携先を求めて世界中を飛び回っている。ひとえにドラッカーが自らの強みに焦点を合わせ、強みでないことは他社に任せるべきことを教えた結果だった。(エリザベス・イーダスハイム著「P.F.ドラッカー―理想企業を求めて 」27〜28ページより)
 1981年から2001年までCEOを務めたジャック・ウェルチは、イノベーションに力を入れることによってリーダー企業の地位を確立した。彼の戦略は、事業は全て世界で1位〜2位でなければならないとするものだった。1位〜2位になれない事業は、強化するか、売るか、閉鎖した。この戦略は、ドラッカーの2つの問いから得られたものだった。1つは「もしまだ手がけていなかったとして、今日その事業を始めるか?」であり、もう1つは「もしNoなら、どうするか?」だった。こうしてウェルチはGEの全事業を見直した。高い成長を見込める事業を買収し、低い成長しか見込めない事業からは手を引いた。そのようなウェルチを「彼にはライオンの勇気があった」とドラッカーは評していた。(エリザベス・イーダスハイム著「P.F.ドラッカー―理想企業を求めて 」108〜109ページより)

 

画像1

 2001年ウェルチの後を継いだジェフ・イメルトCEOは、ウェルチの「吹き飛ばせ!」に従い、ドラッカーの助言を元に「イマジネーション・ブレークスルー戦略」を実施、収益性の低い保険事業を売却。

「10年以内に、GEの売上の90%は中国を競争相手とはしない事業によって上げるようにする。80%は中国に対して輸出する事業にする」と2003年に宣言。2005年には年成長8%の目標を達成。売上高は1500億ドル・利益は183億ドルに達し、イメルトの就任後5年間でゼネラル・エレクトリックは60パーセント大きくなり、利益は倍増した。

 しかしながら、イメルトのCEO在任中、S&P500は134%上昇したにもかかわらず、GEの株価は30%も下落した。

 しかも、不正会計疑惑が発覚。2005年に業績を再修正し、2009年にはSECに5000万ドルを支払って不正会計疑惑を解決することに合意と、その成長は、本当のものか疑惑が生じた。さらにサブプライム・ローン不況となり以来苦境に。さらに、東日本大震災発生後、福島第一原発の原子炉がGE製であったことも経営にマイナスに響いた。イメルトも2017年退任。2017年8月後を引き継いだジョン・フラナリーCEOも、2018年6月28日、値が指数の重量の1%を下回ったためダウ・ジョーンズ工業株平均から外されると、業績低迷の責から、わずか1年でCEO退任。

 そのGEが近年、極度の業績悪化に苦しみ、解体的出直しを迫られている。リーマン危機時にも資金調達難で危うかったが、今回の苦境はより構造的だ。最終損益は2015年、17年と赤字に陥り、18年は赤字幅が228億ドルへ膨張した。再生可能エネルギーのコスト競争力が高まる中、主力のガス・石炭火力発電タービンの需要が減り、15年に買収した仏アルストムの電力事業ののれん代を減損した影響が大きい。介護保険など金融事業の負の遺産も足を引っ張っている。18年末の株主資本は310億ドルで、4年で4分の1に激減。株主資本比率は10%まで低下した。株価は昨年12月までの2年で5分の1に暴落し、時価総額は一時600億ドルを割り込んだ。昨年6月にはダウ平均株価の構成銘柄から外され、10月には信用格付けがトリプルB格まで落とされた。負債圧縮のため、事業売却の加速が不可避となった。リーマン危機後に金融事業(GEキャピタル)を縮小し、メディアや家電、祖業の電球事業を売却したが、17年8月にイメルト氏からCEOを継いだフラナリー氏は石油、鉄道事業の売却に加え、利益柱の1つである医療機器事業も分社化し一部売却する方針を発表した。事業を、火力・原子力の電力機器、風力などの再エネ機器、航空機エンジンの3つに絞り込む計画である。

 2018年8月より、投資家の推薦により、後任はGEの歴史上初の外部出身者であるラリー・カルプ氏がCEOに。

製造業専業へと回帰するというカルプ氏の経営改革もコロナショックの影響を受け、ようやく2021年度に歯止めがかかりそう。

 2021年第3四半期の結果を「GEチームは今期も力強い業績を達成しました。受注高は増加し、利益率は拡大し、全体的なキャッシュ・パフォーマンスは大幅に改善しました。アビエーションは勢いを増し、引き続き回復の兆しを見せています。各チームは、世界的なサプライチェーンの混乱や、米国の生産税控除による陸上風力発電市場の圧力など、厳しい事業環境の中で経営を行っています。このような背景から、2021年のEPS予想を上方修正し、通期のフリーキャッシュフロー見通しを下方修正します。」とカルプCEO。

 ドラッカーが買収を高評価していたGEキャピタルも解散へ(2021年3月10日付 日経新聞)。


 そのGEが近年、極度の業績悪化に苦しみ、解体的出直しを迫られている。リーマン危機時にも資金調達難で危うかったが、今回の苦境はより構造的だ。最終損益は2015年、17年と赤字に陥り、18年は赤字幅が228億ドルへ膨張した。再生可能エネルギーのコスト競争力が高まる中、主力のガス・石炭火力発電タービンの需要が減り、15年に買収した仏アルストムの電力事業ののれん代を減損した影響が大きい。介護保険など金融事業の負の遺産も足を引っ張っている。18年末の株主資本は310億ドルで、4年で4分の1に激減。株主資本比率は10%まで低下した。株価は昨年12月までの2年で5分の1に暴落し、時価総額は一時600億ドルを割り込んだ。昨年6月にはダウ平均株価の構成銘柄から外され、10月には信用格付けがトリプルB格まで落とされた。負債圧縮のため、事業売却の加速が不可避となった。リーマン危機後に金融事業(GEキャピタル)を縮小し、メディアや家電、祖業の電球事業を売却したが、17年8月にイメルト氏からCEOを継いだフラナリー氏は石油、鉄道事業の売却に加え、利益柱の1つである医療機器事業も分社化し一部売却する方針を発表した。事業を、火力・原子力の電力機器、風力などの再エネ機器、航空機エンジンの3つに絞り込む計画である。

 たとえかつて名経営者と言われたウェルチやドラッカーが支持した戦略であっても、時代を経るにつれて成果が上がらなくなれば、それは変化のサインです。

ドラッカーは「あなたの組織が行った買収について考えてみてください。その買収の根拠は何でしたか?財務的なものでしたか?それはどのように機能しましたか?」と今回問い、アクションを求めるものの、数十年先までも有効な判断というものは、カリスマと言われたウェルチやドラッカーであっても難しいものです。

 ところで、2020年から続いている感染症禍によって苦境にあるお店・宿を売却したい、と苦しむ経営者が増えているそうです。一方で企業融資もかなり行われましたので、余剰資金を活用してM&Aを行いたい、という相談も増えています。今日は、その企業買収に関するドラッカーの提言です。彼は金じゃない、事業をみよ、買収による企業成長戦略が描けているか、を常に問いなさい、と語っています。このテーマは明日も続きます。

今日を変えよう。愛をこめて。



サポートもお願いします。取材費やテストマーケなどに活用させていただき、より良い内容にしていきます。ご協力感謝!