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2月3日 マネジメント革命

#ドラッカー #365の金言 #2月3日 #マネジメント革命 #今日において重要なのは肉体労働者でない人たちの生産性である #あなたはどのような成果を生むことを期待されていますか #成果を生むために止めなければならない活動を3つあげてください

1881年、アメリカ人フレディリック・ウィンスロー・テイラー(1856〜1915年)が肉体労働者の仕事の研究、分析、組み立てに知識を適用した。そこから生産性革命が起こった。生産性革命は成果を上げた。その結果、今日では非肉体労働者の生産性が問題となった。

テイラー氏とは、

科学的管理法の発案者で、現代においては「科学的管理法の父」と呼ばれている。彼の提唱した「科学的管理法」とは、、、

生産現場に「管理」の概念を確立させる、という大きな功績を残しました。

また、テイラー氏は

「訓練されて資格のある管理者と、協力的かつ革新的な労働者の間の協力によって、最良の結果が得られる。管理者は、協力的かつ革新的な労働力が、労働者側は、訓練されて資格のある管理が必要である」。

と述べており、

管理についての客観的な基準を作る事で、こうした状況を打破して労使協調体制を構築し、その結果として生産性の増強や、労働者の賃金の上昇に繋がって、労使が共存共栄できると考えた。

 しかし、テイラーの「科学的管理法」は、心理学や社会学の見地からの考察が無く、効率の追求を重視するあまりに労働者の人間性を軽視しているといったヘンリー・ミンツバーグ博士などからの批判がなされました。

確かにテイラーの考え方を元にした「ライン式の生産方式」やストップウォッチ測定による作業工程の計測して、というやり方が、はたらく人の感情を無視したやり方で、ただ単により短時間に、効率よく、が主目的となり、生産性向上のためなんでも行なうやり方だ、と非難もされたことでしょう。

しかし、前述のようにテイラーには「労使協調体制を構築し、その結果として生産性の増強や、労働者の賃金の上昇に繋がって、労使が共存共栄できる」という想いがあっての「管理」という意味です。

科学的、という言葉の印象だけで、から非人間的な印象を与えているのかもしれませんが、学者上がりではなく、現場での製造の実務を経験し、その知見に基づいて実践的に着想したテイラー氏に対して、人間性を考慮していない、という批判が全て、ではないと感じます。


さらに、余談となりますが、このテイラーの考え方が戦後日本に取り入れられたと思われるのが、経団連の前身の日本経営者連盟「生産性運動に対するわれわれの考え方」宣言です。これはGHQからの独立回復後4年目の1955年6月10日に発表されました。

https://www.jpc-net.jp/movement/assets/pdf/domestic_19550610.pdf

(1) 生産性向上運動の目的と意義 国民所得を増加し,雇用を拡大し,生活水準の向上をもたらして,わが国経済の自立を達成するためには,国内市場の拡大とともに,特に輸出貿易の振興が重要である。そのためには生産物の品質を向上し,コストを引き下げ,国際競争力を高めなければならない。生産性向上運動はこの目的のために行なわれるものであって,それは単に,企業内の生産性向上を図るのみでなく,国民経済全体の見地に立って,わが国経済の総合的生産性を向上し,以て輸出の振興,国内生産の増大をもたらし,国民経済の発展,雇用の拡大,国民生活水準の向上を達成するとともに,国際的にも世界経済の繁栄,福祉増大に貢献せんとするものである。
(5) 生産性の向上と労働強化 生産性はしばしば労働の文字を冠して労働生産性という言葉で表現されるが,それは原料や機械が生産物の種類に従ってその種類が違い,いずれも共通の尺度としがたいのにたいし,労働はあらゆる生産物に共通の生産要素であるところから,労働量を基準として,生産物の量(あるいは価格)との割合を示すために労働の文字を冠して用いるまでのものである。すなわちいろいろな生産要素の総合結果としての生産量(あるいは価額)を,それらの生産要素のうち 1 つである労働を尺度として測ったものにすぎず,生産性は,独り労働の変化のみによって動いているものではないのである。何ら労働の能率は変化しないでも生産性は向上するということもありうるのであって,生産性の向上が必ず労働強化をともなわざるをえないとするのは明らかな誤解である。むしろ労働強度という点については技術の進歩とともに労働の質的変化はあっても無駄に使っている労力,無理な労力の使い方,ムラのある労力の使い方を科学的,合理的に使って,余計な疲労や危険,無理な労働負担を少しでも軽減し,労働を簡易化し,個々の労働においても少ない労力,快適な労働でより大きな労働成果を挙げることを目的とするものである。
そのためには労働組織,労務管理,人間関係の改善とともに労働の科学的合理化を図ることこそ,わが国の生産性向上においては最も要請されるところでなければならない。
(6) 生産性向上成果の配分 生産性の向上成果は,原則として,資本,労働者,消費者の三者に分配均霑さるべきである。生産性の向上成果が賃金の改善に酬いられるべきは当然であるが,生産性の向上は, 基本的には資本設備技術の近代化要因に負うところが多いわけであるから,資本の貢献にたいしても,適正な分配は与えられなければならない。企業の自己蓄積は資本への配分というよりは,労資共通の利益のためであり,これによって始めて将来に向かっての生産性の向上,雇用の維持拡大,企業並びに国民経済の発展は実現されうるのである。また生産性向上の成果が物価の引下げを通じ,国民消費者一般の利益に何ら還元されることがないならば, 生産性向上の国民経済的意義はほとんど没却されているといわなければならない。生産性向上成果の以上のような配分をそれぞれどのような割合で行なうべきかは,国民経済全体の見地から当面企業が感じなければならない。(後略)

これによれば、労働生産性の向上こそ、労働者の賃金の改善に、そして、資本、労働者、消費者の三者に均等に分配されるべき、というビジョンのもと、荒廃した国土復興のためにも、国難を乗り越えるためにも、一致団結して、ここは資本家側・経営者側である我々を信じて協力してほしい、ということだったと思うのですね。このビジョンに多くの方々が共感・共鳴したからこそ、他国から「エコノミック・アニマル」と呼ばれるほど長時間残業して働くことを嬉々として受け入れ、やりがいを持って働くことを感じながら、それが家庭を犠牲にすることではあるものの、社会的にも受け入れたわけです。実際、それで右肩上がりで生活改善も為され、薔薇色の未来も描けたわけですから。

それがわが国の「奇跡の成長」=裏返して言えば、自利優先し過ぎたため繰り返し起こる国際的な批判、貿易摩擦と懲罰的関税を課せられ、その分、また国内の労働者に負担を増やす、を繰り返し、もうシステムが持たなくなった74年、オイルショック、80年代の日米貿易摩擦からのニクソン訪中、米中国交正常化、プラザ合意でシステム的に経済敗戦決定、実際は91年のバブル崩壊を機に以降30年に渡る長期低迷の時代を過ごしています。

そして、ちょうど1974年オイルショックで、わが国が経済的に曲がり角にきたタイミングで、ドラッカー博士は「マネジメント」の日本語版をリリースし、経営の羅針盤にしよう、と多くの経営者が殺到しました。

あっ、話がずれましたね。

今日のテーマ、マネジメント革命とはなんでしょうか?「改善」でも「改良」でもなく、ドラッカー博士は「革命」と記しています。革命、とは既存の延長線上にはない意味を含んでいます。

「抜本的な社会変革あるいは技術革新などが比較的短期間で行われること」を博士は革命、と解いたのかもしれません。

知識の知識への適用の段階がマネジメント革命である

テイラー氏が肉体労働者に知識を適用して生産性を改善したこと、を例に挙げて、ドラッカー博士は、成果を生むため、知識を「肉体労働者でない人たち=ナレッジワーカー」にも適用せよ、と述べていると思います。なぜなら

非肉体労働者の生産性が問題となった。

からでしょうし、

成果を生むために既存の知識をいかに適用するかを知るための知識がマネジメントである

(また、難しい表現ですね、上田先生)と記されているからね。

わが国で言えば、1955年に肉体労働者の生産性向上には、いち早く取り掛かることができたから「高度経済成長」を成し遂げ、果実を得ることができたにもかかわらず、肝腎要の非肉体労働者=ナレッジワーカーの生産性向上には失敗し続けたからこそ、製造業からの変化ができず、自動車以外の製造業は国際競争力を失い、撤退撤退の連続。成長産業を取り込めないまま、余力を失い続けて、じわじわと今の苦境へとつながり、「氷河期」の世代を生み出し、未来への希望なき少子化社会へと向かわさせてしまってはいないだろうか。

令和3年、マネジメント革命、今こそ我々が取り組むべき課題として向き合うことになろうかと思いました。


今日もやっていきましょう。


追伸1 

と、まとめましたが、途中なんかスッキリせんな、ということで、原文をDeepL翻訳したり、「ポスト資本主義社会」の原文を見たりしました。

今日のテーマ、原文の “The Management Revolution” は、ドラッカー博士の著書「ポスト資本主義社会( Post Capitalist Society )」のなかの一説です。資本主義からナレッジ(知識)社会へ(“From Capitalism to Knowledge Society”)という文脈で記されています。

第一の革命が18世紀から19世紀半ばまで100年間の「産業革命」、第2の革命が1880年から第2次大戦の終わりまでの70年間がテイラー氏の肉体労働者の「生産性革命」、そして、1945年から90年までわずか50年間で起こった第3の革命が「マネジメント革命」。

組織は、外界(市場(顧客)・取引先・地域社会)とのコミュニケーションを通じて、自社は何者か、何が提供できるか、己を知る。これが「マーケティング」。

また、自らの知識(Knowedge)を外界へ提供して、外界の既存の知識からのフィードバックを得て、己の製品・サービスを改めること、これが「イノベーション」です。

マネジメントは、マーケティングとイノベーションから成り立っています。

かつては資本の大小だったり、工場のサイズなどが競争優位に働きましたが、今や知識社会となり、ファブレスなベンチャー企業が斬新なデザインで商品化してクラウドファンディングで予約販売するという時代になっています。

一組織の知識によるイノベーションではなくて、社会全体の知識が重なり、体系的なイノベーションが起こっています。このダイナミックな営みがまさに社会的に起こっている「マネジメント革命」だ、ということみたいなんだよね。

わが国は伝統的に、圧倒的に優れた「現場」と圧倒的に無能?な「マネジメント層」(例:江戸幕府、大本営、内務省、大蔵省、通産省、経済産業省などの行政官庁、大企業内勤)という大組織をビジョンを持って戦略を実行、経営する「マネジメント」力が弱点です。

先制してリードするも、後半息切れして、逆転負けする、というパターンが太平洋戦争でも、オリンピックスポーツ(バレーボール、WBC野球)でも産業界でも続いています。もはや大企業、大資本よりも個々の知識の時代。ベンチャーや個人事業者の時代です。

逆転負けパターンを終わりにして、一時的な勝利、ではなく、持続的な成功ができる、そんな個人が集まった「個の力で国を支える」そんな時代が到来です。今日もやっていきましょう。


追伸2

余談ですが、現在、終身雇用制度が終了しつつありますね。面白いことに、これはテイラー以前の時代での人事労務が戻りつつありみたいです。かつて行われた

親方・熟練工が経営者から仕事を請け負い、親方は自分の裁量で徒弟・未熟練工達に仕事を割り振るなどして生産を管理する制度。

が再び生まれていますから。それが派遣制度ですね。

パソナのような人材派遣会社が、企業から仕事を請け負い、パソナが職場の人事を管理、なんと仕事を割り振ります。

そうなると、仕事を外注した側の経営者・店長であっても、生産現場の管理・監督をできない、朝礼や社内清掃活動などは業務外とされるので、そこには参加させられない、という状況が生まれています。

先日も、年収300万のプログラマーがGitHubにSMBCの社外秘コードをUP」ということが発覚し、問題になりました。

このプログラマーは派遣社員です。監督責任は発注元になく、派遣会社の管理問題となると思います。

テイラーは、管理についての客観的な基準を作る事で、こうした状況を打破して労使協調体制を構築し、その結果として生産性の増強や、労働者の賃金の上昇に繋がって、労使が共存共栄できると考えた。(Wikiより)

そして、このような未来をフレデリック・テイラー氏もドラッカー博士も望んでいたわけではないであろうことをここに記しておきます。


追伸3 

「成果を生むために止めなければならない活動を3つあげてください」ってすごい質問ですね。

呼吸も、まず吐いてから吸うのです。まずは止めようってことね。今日も喜んで!




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