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6月23日 職場コミュニティの力

今日のテキストは、ドラッカーが「自伝でも回想録でもない」と言いつつそれっぽい著書『傍観者の時代』(1979年)の420ページより。

6月23日 Self-Governing Communities 職場コミュニティの力

#職場コミュニティと責任ある従業員という私の考えはマネジメントの権限をおかすものとして拒否された

 マネジメントと産業秩序についての私の仕事のなかでは、職場コミュニティと責任ある従業員という考えが最も独特であり、かつ最も重要であったと思う。職場コミュニティとは、働く者本人たちに、仕事の設計、組織、シフト、休暇、残業、安全、福利厚生など現場の問題について責任をもたせるという考えだった。
 しかし、そのような私の考えは、マネジメントの権限をおかすものとしてGMの経営陣から拒否された。労働組合からも反対された。彼らには敵としてのボスが必要だった。
 だが実際の現場では、第二次世界大戦直後の当時、すでに事態ははるかに進んでいた。

(『傍観者の時代』)

ACTION POINT

#従業員に責任をもたせられるだけの教育訓練を行ない

#実際に責任をもたせてください

「自治的な工場共同体」と「従業員が責任を持つべきだ」という1945年ごろの提案は、当時GMの経営陣からも労働組合からも拒否されたそうです。しかし、GMコンサル後、この提案を含んだ著書『会社という概念』(1946年)はベストセラーとなり、IBMはじめ多くの企業がドラッカーのコンサルを受けて、彼の職場コミュニティと現場社員への権限委譲という提案が広がりました。

 その考え方は、日本企業にも広がりました。1959年以降来日し、開催されたドラッカー講演会に参加したソニー、オムロン、NECなど多くの日本企業では、地方から都会の工場への出稼ぎ集団就職がおこなわれ、それまでの村落の共同体から工場や会社の寮に暮らし、職場に共同体を作って、工場勤務者である彼・彼女らが中心となって積極的に生産性向上に協力したことが、日本企業の躍進に大いに貢献したのです。

 その結果、多くの日本企業が「現場にマネジメント権限委譲すべき」という考え方を採用し、現場で素早い決断が繰り返される中で、生産性を大いに向上させ、60〜70年代の高度経済成長につながったものと思います。

 このことは、ソニー常務小林茂氏の「ソニーは人を生かす」「創造的経営」などで紹介され、逆にドラッカーが小林氏や盛田氏からその実践内容を知り、1974年の『マネジメント』にソニーの事例が紹介されたことでも明らかです。

 とはいえ、1943〜45年にGMがドラッカーの提案を受け入れなかったことに対して、40年近く経った1979年でも、彼がひどく残念に思っていることがわかって、なんだかニヤニヤしてしまいます。

今日もやっていきましょう。愛を込めて。


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