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ナレッジワーカーの政治的無関心には理由はマネー 10月27日 Political Integration of Knowledge Workers 知識労働者の政治性

おはようございます。このNOTEは、読むだけで世の中の課題を #ドラッカー #365の金言  を使って、解決できる、そんな知力を鍛える教育エンタメNOTEです。

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本日 #10月27日  

テーマは、
#Political_Integration_of_Knowledge_Workers
(ナレッジ・ワーカーの政治的統合)

#知識労働者の政治性  というタイトルです。 

1989年発刊の #新しい現実  掲載の論文です。
7章 #新しい多元社会の出現  118〜119ページ?

そもそも、「多元主義」ってなんだっけ?

 非共産圏において、先進国の社会と政治は、いずれも多元化した。(中略)今日に至るも、理論は、組織化されたパワーセンターはただ1つ、政府だけであるとしている。しかし今日、先進国では、社会にも、政治にも、パワーセンターが無数に存在する。しかも政府の外部に、政府から独立して存在している。

 社会の新しい多元主義は、機能と成果に焦点を合わせている。それは、富の創造、教育、医療、あるいは子供たちに価値観を与え生活態度を教えることなど、各々が独自の社会的役割をもつ単一目的の社会的機関から成る多元主義である。
 この社会の多元主義における社会的機関は、非政治的である。(後略)

同書、105ページより

 多元化した現代社会のため、多数の社会的機関がそれぞれの社会課題の解決を担っている。ナレッジワーカー(知識労働者)である多くのビジネスパーソンたちは、それらの社会的機関や組織で成果を上げる機能に向いていて、権力に視線は向いておらず、統治や支配には全く関心を持たない、とドラッカーさん。

 政治的多元論は政治世界を説明するとき「国家対個人」の図式に代えて「国家対集団」の図式を提示した。多元主義は複数の集団による競争によって全体社会の利益の調整をはかることを目的とする。それは国家と個人の間に中間団体を設定することで政府機能の肥大化を防止する自由主義の理念に合致するものであった。また集団間の競争を公開することで民主的なチェック機能も果されることになる。

 多元的国家論〜政治的多元主義ともいい、国家主権の絶対性を否定し、権力や権威を他の多くの職能団体にも分割しようとする理論である。この国家論にあっては、国家(政府)は部分社会や集団と並列的またはそれに近い関係に位置づけられ、これらと同様に、ある特定の目的や利益を追求する団体とみなされる。このような理論は、20世紀の初頭に主として英米諸国で唱えられたものであり、この学派に属する思想家としては、イギリスではメートランド、フィッギス、ラスキ、ラッセル、コール、アメリカではマッキーバー、フォーレットなどがいる。

 第1次世界大戦後,主としてイギリス,アメリカで主張された政治理論。古典的多元主義 classical pluralismともいう。国家の絶対主権を否定し,各集団の機能を基礎として主権を分割することにより,個人の自由を回復しようとした学説。 E.バーカー,H.ラスキ (以上イギリス) ,R.マッキーバー (アメリカ) ,L.デュギー (フランス) らによって主張された。その内容はほぼ次の点で一致している。
(1) 国家を共同社会,全体社会とみなすことに反対し,一つの部分社会,結社とみなした。
(2) 国家は他の自発的結社と同様限られた目的を追求するにすぎないとした。
(3) 国家は各種の自発的集団の異なった機能を調整する役割をもっている。ただし各集団の固有領域や特殊利益は不可侵であって,国家は全能的統制権をもつものではないとした。
この理論は国家と結社とを本質的に同一種類の集団と規定し,国家を含む諸集団の相互関係や構造を取上げたことにより,政治学を従来の法学的な国家論から解放し,より一般的な社会理論へと接近させることとなった。この方向は,その後科学的政治学や行動主義に継承された。 (→多元主義 )

https://kotobank.jp/word/多元的国家論-93143

 政治権力を使って、法を整備したり、善悪を裁判所で決めて物事を解決へと進ませる民主主義的解決方法には時間がかかる一方で、利害関係者が寄り合い、メリット・デメリットを金銭的に解決へと動く企業や組織。そこで働いているのは、知識労働者。彼らたちが商談しながらどんどん時代を進めていく。そりゃ、政治的権力よりも、マネーの方が強いわ。

全体主義の前に「経済人は終わった」と論じたドラッカーですが、マネー第一主義で現実は動いています。その按配を間違えないように。やっていきましょう。


#知識労働者とは同じ1つの階層である

 今日の知識労働者は、多数派でありながら、いかなる政治勢力とも無縁である。農民でも労働者でも事業家でもない。組織の一員である。しかしプロレタリアートではなく、搾取されているとは思わない。全体としては、年金基金を通じて随一の資本家である。部下をもち、同時に上司をもつ。
 収入の多寡はあるにせよ、また、企業、病院、大学のいずれで働くにせよ、経済的社会的には同じ一つの階層である。企業の経理から病院の経理に移っても、位置づけに変化はない。仕事が替わったにすぎない。
 そのような身分は、経済的にも社会的にも特定の生活文化を意味しない。今日のところ、彼らのための政治的なコンセプトはない。政治的に結集すべきものもない。

(『新しい現実』)

ACTION POINT
#知識労働者の登場がもつ政治的な意味あいを考えてください


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