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考える精神

ここ数日間考えていること                   
令和4年7月13日

児発管になってからのこの半年必要最低限の引き継ぎしかなく、わけもわからないままコロナ対応を何度もやり、新人だらけにされ、数年分の不備書類の訂正と整理をして…と頑張ってきたのにボーナスは難しいだって。
他店舗の業績が悪いのがこっちにも響いて、頑張った報酬がないのは納得できないよ 
黒猫さん

そうか…。心理業務、何もしてないけど、僕がいるだけで1年約430万円も加算になるのか。保護者対応と予約調整と雑務しかしてないよ。何か凄く悔しい。残業もしまくってる。低単価で雇い、高利益かつ使いやすい。そりゃ辞めるって言われたら止めるよ。
通りすがりの野良猫ですが…

 生きがい、使命をもって働くことを誇りとしているのに。多忙な業務と人間関係の辛さにぶち当たる。精神的に追い詰められているというのに、その責任は自分で学ぶしかないと個人の努力と突き放される。休暇を始め労働環境は改善せず、慢性的な人員不足で業務量の負担は変わらない。
それに見合った給与も保証されていない。仕事や生活の場に搾取が溢れ、医療、福祉、教育もその矛盾に取り込まれてしまう。

そんなところからの政治改革への希望が参議院選挙にあったはずであったが残念な結果。正しいと思うことがマイノリティになっているのが現実。
自分や周りの人達が幸せになるためには、どんなことをすればいいか、選挙でどう変えてゆくことができるか少しは情報をたどればわかってくるはずだという文脈はどうしても通らない。

今の世の中、矛盾のある社会でいいのかという問いかけに対して、人はやはり属している組織の意向に従わざるを得ないだろうし、ましては自分の1票が世の中を変えることはできないというあきらめもあるだろう。人は疲れ切って、希望する、改革するという意識にまで至っていない。
メディアをうまく取り込むというのも思い知った。テレビやネット、SNSの情報というのはこんなにも人を取り込んでしまうものだとは、良識があれば話を聞くだろうという希望はメディアの流す、大きな声にこんなにももろく崩れてしまう。
また今回のことが起こるまでは、保守政党の支持をゆるぎないものにする力が他にもあるとはあまり意識していなかった。

「伊藤は幸運な爺だ。死ぬ時と、死ぬ場所を得た為めに世界的になったと同時に不朽の人となってしまった。のみならず、かかる死に依って彼れの地の欠点はすべて忘れられてしまった」 文学者の見たる伊藤公の死 木下尚江

「アベさんに対する銃撃について思うこと」という小出裕章氏の文章がある。(2022年7月9日)

アベさんが銃撃を受けて死んだ。悲しくはない。アベさんは私が最も嫌う、少なくとも片手で数えられる5人に入る人だった。アベさんがやったことは特定秘密保護法制定、集団的自衛権を認めた戦争法制定、共謀罪創設、フクシマ事故を忘れさせるための東京オリンピック誘致、そしてさらに憲法改悪まで進めようとしていた。
彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争ができる国への道づくりだった。 アベさんは弱い立場の国・人達に対しては居丈高になり、強い国・人達に対してはとことん卑屈になる最低の人だった。朝鮮を徹底的にバッシングし、トランプさんにはこびへつらって、彼の言いなりに膨大な武器を購入した。
彼は息をするかのように嘘をついた。森友学園、加計学園、桜を観る会、アベノマスク…彼とその取り巻きの利権集団で、国民のカネを、あたかも自分のカネでもあるかのように使い放題にした。
それがばれそうになると、丸ごと抱え込んだ官僚組織を使って証拠の隠ぺい、改ざん、廃棄をして自分の罪を逃れた。その中で、自死を強いられる人まで出たが、彼は何の責任も取らないまま逃げおおせた。
私は彼の悪行を一つひとつ明らかにし、処罰したいと思ってきた。 私は一人ひとりの人間は、他にかけがえのないその人であり、殺していい命も、殺されていい命も、一つとして存在していないと公言してきた。アベさんにはこれ以上の悪行を積む前に死んでほしいとは思ったが、殺していいとは思っていなかった。悪行についての責任を取らせることができないまま彼が殺されてしまったことをむしろ残念に思う。
多くの人が「民主主義社会では許されない蛮行」と言うが、私はその意見に与しない。すべての行為、出来事は歴史の大河の中で生まれる。歴史と切り離して、個々の行為を評価することはもともと誤っている。
そもそも日本というこの国が民主主義的であると本気で思っている人がいるとすれば、それこそ不思議である。 国民、特に若い人たちを貧困に落とし、政治に関して考える力すら奪った。
民主主義の根幹は選挙だなどと言いながら、自分に都合のいい小選挙区制を敷き、どんなに低投票率であっても、選挙に勝てば後は好き放題。国民の血税をあたかも自分のカネでもあるかのように、自分と身内にばらまいた。
原子力など、どれほどの血税をつぎ込んで無駄にしたか考えるだけでもばかばかしい。日本で作られた57基の原発は全て自由民主党が政権をとっている時に安全だと言って認可された。もちろん福島第一原発だって、安全だとして認可された。
その福島原発が事故を起こし、膨大な被害と被害者が出、事故後11年経った今も「原子力緊急事態宣言」が解除できないまま被害者たちが苦難にあえいでいる。それでも、アベさんを含め自民党の誰一人として、そして自民党を支えて原発を推進してきた官僚たちも誰一人として責任を取らない。もちろん裁判所すら原発を許してきた国の組織であり、その裁判所は国の責任を認めないし、東京電力の会長・社長以下の責任も認めない。どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らずに済むということをフクシマ事故から学んだ彼らはこれからもまた原子力を推進すると言っている。
さらに、これからは軍事費を倍増させ、日本を戦争ができる国にしようとする。 愚かな国民には愚かな政府。それが民主主義であるというのであれば、そうかもしれない。
しかし、それなら、虐げられた人々、抑圧された人々の悲しみはいつの日か爆発する。今回、アベさんを銃撃した人の思いは分からない。でも、何度も言うが、はじめから「許しがたい蛮行」として非難する意見には私は与さない。
心配なことは、投票日を目前にした参議院選挙に、アベさんが可哀想とかいう意見が反映されてしまわないかということだ。さらに、今回の出来事を理由に、治安維持法、共謀罪などがこれまで以上に強化され、この国がますます非民主主義的で息苦しい国にされてしまうのではないかと私は危惧する。

多分。意思半ばにして光となった人物は将来において、その偉業が称えられるのだと思う。

戦争は、人々を悲惨のどん底に落とすだろう。死者も多く出るだろう。それでも生き残った者が評価することがすべてになるのだと思う。歴史は大多数勢力が持つ力によって未来に評価されるだろうなと思った。

 そして今回浮彫になった。統一教会(世界平和統一家庭連合)の存在。
 現実におかれている苦痛、精神的な病、DV、トラウマ、虐待、それからの救済、希望、信念、信条から誰しも信仰というものを持っていると感じている。
 その気持ちをある団体は取り込んでしまう。その搾取行為でさえも、政治と癒着することで団体の安全を確保しているという構造。

宗教に騙されるなんて、と思う人は多いだろうが、私見では宗教に騙されない人の方が少ないと思う。宗教から身を護るには、可能な限り宗教を身近に体感しながら、「なるほど宗教はこうやって人心を規定するのか」と冷めた目で突き放すという体験が必要だと思うが、そういう機会はなかなか無い。
宗教は我々の心をわしづかみにするナラティブの束であり、教理と修行がこれを強固なものにする。自分の頭で考えて避けられるほど生ぬるいものではない。さらには教義や組織のガイダンスそのものにナッジ的な側面があって、これに従って生活すると人生に良い影響が生まれることが多い。疑うのは困難。   中村大悟

何十年にもわたって、凄腕弁護士や、大学教授、哲学者など、強固な理論武装で牙城を切り崩そうとしてきたのに、未だに、誰も成功したことがない。
それどころか、過去の戦歴はマニュアル化され、より、高度な理論武装と洗脳手法の糧となってしまっている。
 無理ですよ、あんなのと対峙するのは。       
えるちゃん@ちごちゃんズ

一般イメージではカルト宗教信者って見た目からして目がイッチャッてて、話しも支離滅裂に『このままでは世界は滅亡するんです!』とかすごまれるんじゃないかと思われているし自分も思ってたが実際はむしろ『普通にいい人そう』な人が多く、『自分に満足して生きてる安定感』みたいなのすらある人が多い。
『入信するかはあなたの選択だし強制はできないが、縁あって話す機会があった君に一つだけ私がお願いしたい事があって、それは自分を大事にして幸せになる事はいつも諦めないでほしいということです』
 ↑逆にこういう『嘘がない誠実さに見える発言』を照れずにやれるのがカルトの怖さと思う。
 実際に普通に出会う信者は世の中で普通に会う人より安定してて優しくて良い人も良い。
『彼らが嘘なく優しく誠実に自分は生きていると思える楽園』を維持する為に背後でかなり強引なお布施ビジネスが動いているというがカルトのよくある構造だと思う。倉本圭造

絶望しかないのだろうか?心ある人間にとって未来に希望はあるのだろうか?対話には何がなし得るか思いながら、ふと吉本孝明氏の「共同幻想」という言葉が浮かべている。

世の中は常に自分の上位互換のような人がいるように感じます。これを考えると自分という存在は必要なのかと悩みます。みなさんはどのようにこれを解決していますか?
-僕より上手いベーシストは掃いて捨てるほどいますが、どんなに上手なプレイヤーも、演奏をしなければ価値が出ません。
今夜このバンドでお客さんを楽しませられるのは、僕しかいません。上手いあの人も、同時にあちこちで演奏できるわけでなないのです。
「今この場にいる」それが自分の最大の価値だと考えることにしています。それは他の誰にも物理的にできないことだからです。鈴木聡

 少なくとも悲しみを感じつつ今考えている自分がある。考えることが今できることであり、充分な時間が与えられているという幸せがある。どんな未来があるのだろうか。

考える精神は、だれのものでもなく、不滅です。

池田晶子

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