考える精神Ⅱ
自分は、精神科治療や障害者福祉が組織の維持、管理、利益の確保が中心となり、人間中心の人権を主体としたリカバリーを図るという本来の目的から外れているという想いを抱いている。
理想というものがあるだろうけれど、組織に入ると組織のシステムに取り込まれてしまう。
実体が無くなってもその意志は別の形になって生き続ける。実体が不在になった時、見えていなかった(隠されていた統一教会という組織)ものが姿を現したのには驚きをもって受け止めている。
組織が生き残るためにいろいろな意志が合わさり、うごめいている。その隠蔽されている部分は名誉と美化された衣をまとおうとする。
国葬というのは何を目的として動いているものなのだろうか?
それは私たちをどこに連れていこうとするのだろうか?
その意志はどのように動いているのだろうか?
そんなことに恐ろしさを感じていたら、意志というものは自分にも存在していることに気がついた。
その意志はどこへ向かおうとしているのだろうか?
何をしようとしているのだろうか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?