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考える精神Ⅱ

WHO地域精神保健サービスに関するガイダンス
精神科治療が診断と薬物療法を中心とする「生物医学モデル」が、人間中心の、人権に基づくアプローチを妨げるものとして位置づけられ、オープンダイアローグを含む22の実践が人権とリカバリーと促進するグットプラクティスとして紹介されている。
WHO

自分は、精神科治療や障害者福祉が組織の維持、管理、利益の確保が中心となり、人間中心の人権を主体としたリカバリーを図るという本来の目的から外れているという想いを抱いている。
理想というものがあるだろうけれど、組織に入ると組織のシステムに取り込まれてしまう。

日本の集団社会は「全員が自分の責務を果たすことで社会全体が機能する」もので、「比較的スムーズに生活できる」。
ところが、「日本人の多くの人は、実は集団社会のためになる営みのみに関心があり、社会的な議論、マイノリティ、自分の身の回りの人などには関心がない」。そのため、「人と違ったり、成功できなかったり、ルールやヒエラルキーに適応できない人は、このシステムのなかでは急速に、かなり孤独な状態に陥ってしまう」
(中略)
日本では「政治家は主に業界団体や宗教などの強力な組織に支えられており、そうした組織が支持者をまとめて動員することもよくある。その一方で、有権者ひとりひとりのことや、その関心事は、あまり真剣に受け止められていない。
COURRiER JAPANより

実体が無くなってもその意志は別の形になって生き続ける。実体が不在になった時、見えていなかった(隠されていた統一教会という組織)ものが姿を現したのには驚きをもって受け止めている。
組織が生き残るためにいろいろな意志が合わさり、うごめいている。その隠蔽されている部分は名誉と美化された衣をまとおうとする。

国葬というのは何を目的として動いているものなのだろうか?
それは私たちをどこに連れていこうとするのだろうか?
その意志はどのように動いているのだろうか?

そんなことに恐ろしさを感じていたら、意志というものは自分にも存在していることに気がついた。

その意志はどこへ向かおうとしているのだろうか?
何をしようとしているのだろうか?


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