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さんじうにちめ(ひほうとわたし)

映画秘宝のDM問題から連なる様々な事象が後から後から変遷している。
問題に対する対応で賞賛されていた人がもう一方の言質によって、賞賛されていた対応も印象が変わってきたり、また一方からの言質で真っ当だとされていた人達が違った印象になってしまったり、さながら内ゲバの情報戦と化している。
そもそもの問題を置き去りにして。

昨年の映画秘宝休刊からの復活、そして今回の問題からの事象を見るにつれ、映画秘宝という映画雑誌の支持率がこんなにもあったんだという感情と、つくづく自分は秘宝文脈とは違う世界線で生きてきたんだと思った次第。

自分が歩んできたカルチャーを振り返ってみると、映画秘宝を定期購読ではないにせよ購入していた時期がある。
しかし、改めて考えてみると映画秘宝を購読していたというよりファッション的に物として購入した部分が大きい。
それは2012年に公開された『桐島、部活やめるってよ』の影響が多分にある。劇中での「今月の秘宝見た?」という台詞に高校時代同じ趣味を共有できる相手がいなかった憧れを映画秘宝を購入するという代替え行為に落とし込んでいたんではなかったのかなと。
購入はすれど書店での立ち読みよろしく気になる記事と写真をパラパラと見るだけで、秘宝ライター達の文章の特徴なんかも把握できていなかった。

映画秘宝の前身となるムック本が創刊されたのが僕の高校時代。
その当時、GONやらマーダーケースブックやらを購読して映画も好きだった身としては当然のことながら出会っていてもおかしくないんだが、何故か全くスルーというか存在すら知らなかった。
高校時代の僕にとっての映画雑誌は日本版ファンゴリアだった。

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毎号買ってた映画雑誌は後にも先にも日本版ファンゴリアだけだった。
大好きなホラー映画がたっぷり紙面を埋め尽くし、井上雅彦のショートショート連載も毎号楽しみだった。
もしかすると何度か書店で映画秘宝を手にとって立ち読みしたことがあるかもしれないけど、読んだことはもちろん購入したという記憶が全くないのだ。

そんな感じで時を経て昨年からの映画秘宝に対する支持率を見るにつけ自分との圧倒的な温度差を感じてしまった。
町山さんに対しても同様で、自分的には映画特電よりも宇多丸さんの映画評の方に影響を受けているし、この二人の評論は直系ではないとも思っている。(町山さんの評論活動の影響を宇多丸さんが少なからず受けているとは思うけど)
所謂秘宝文脈というか、舐めてた相手が殺人マシーンだったみたいな秘宝ミームにしても直接知ったというより間接的に知識として知ったという部分が大きい。

だもんで、改めて振り返ると映画秘宝やそこに連なる文脈ってのにほぼほぼ触れてきてなかったなあと。
高校時代から交わってもおかしくはなかったんだけど、ドミューンの映画秘宝復刊特番を見ていて「ああ、これは並行世界の文化だったんだ」と思ったんです。
昨今特に忌み嫌われている90年代鬼畜カルチャーというものに僕はドップリ浸かっていて、GONやマーダーケースブックやBURSTやウルトラネガティブやTOO NEGATIVEや世紀末倶楽部や。
映画秘宝創刊時にアートディレクションを勤めたドミューンの宇川さんはそこら辺のムーブメントをあからさまに忌み嫌っていて、そこら辺とうちらは一線を画すみたいなスタンスだ。
そういった部分も僕が歩んできたカルチャーとの並行世界感があるんです。

ともあれ、90年代鬼畜カルチャーは今では断罪の対象となっている感があるのだが、カウンターから権威となった映画秘宝も時代の断罪を受けようとしているのは皮肉というかなんと言うか。

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