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194日目(餅投げ)

気候も昼間はあっったたたたたたたたたかくなるけど、朝晩は涼しくなってきた今日この頃。
シーズンもオウタムになってきましたね。
秋になると、そういや子供の頃ってよく餅投げがあったなあと思い出す。
僕の住んでいた人外魔境でも小学生の頃は子供にとってタダでお菓子が拾える一大イベントの餅投げはしょっちゅうあった記憶がある。

新築の棟上げの時に行われる餅投げを最後に体験したのは、実の兄貴が実家近くの土地に家を建てた時だからもう20年以上前の話。
その時はもう社会人になっていて施主の身内ということもあって二万円ほどの餅代と引き換えに、上界から下界の物乞いへ餅やお菓子や酒との引換券やらを投げ散らかしたのは最初で最後の体験だった。
子供の時に親戚の棟上げに上がったこともあったような気もするけど記憶にあるのはそのくらい。

たまにex.実家付近の地元を車で通ることがあるが、僕が住んでいた7年前から比べても空き家が増えた印象。もしかすると僕が住んでいた頃も空き家が増えていたのかもしれないけど、離れてみると余計に目を引いてしまう。
僕が子供の頃に餅投げへ行った家々はまだ残ってるんだろうか。そんなこともわからないくらい地元の記憶は年々薄れていき、たまに通りすがると昔の記憶との変わりようにビックリする。

そういや小学生の時に住んでいた親父の個人タクシー事務所からほど近い場所で餅投げが行われるという情報を掴んだ僕は意気揚々とその場所へ行った。
受け損なうとダメージを喰らう餅なんかには目もくれず、小袋タイプのサッポロポテトやポテチやらを盗賊の如き動きで掻っ攫い、持参のビニール袋一杯の戦果をあげた。
餅投げ特有のハイにさせる高揚感のせいで気づかなかったが、餅投げが終わった途端一気に便意がビッグウェーブのように襲ってきた。
餅投げ現場からタクシー事務所までは徒歩で数分。子供の朧げな腹痛センサーでも「もたない」ことは明白だった。肛門を締め、競歩で歩む。タクシー事務所まではもたなくても、手前にある体育館のトイレならギリいけるかもしれない。体育館のトイレが見え、人生で初の凄絶な戦いの終焉も見え、体育館のトイレのドアに手をかけたところで事切れた。

人は誰しも多かれ少なかれ「糞を漏らす」ということを経験しているはずだ。
肛門も緩ければ腹具合も常に悪い僕ですが、履いてたズボンがパンパンに膨らむくらいの糞を漏らしたのは後にも先にも、あの餅投げの帰りだけだ。

秋が来れば餅投げを思い出す。
餅投げを思い出すと便意が来る。

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