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ふりふら。

第一話 

 春風がぴゅうと吹いて桜の花びらたちが攫われて舞っている。いつもなら前髪で半分程隠れた視界も、今朝から姉に無理やりにジェルで固められてしまった為、見慣れない眩しい光が直接入り込んできた。
 派手に装飾された校門をくぐると期待と不安の入り交じった感情がふつふつと湧き上がる。着慣れない制服の襟元がなんだかむず痒く感じ、どこか落ち着かない。
 辺りを見渡して気分が少し落ち込んだ。果たして僕はこの高校でやっていけるのだろうか、と行き場のない不安を押し殺し、その足で僕は職員室を目指そうとした。

「あの、どこか探してますか?」
 あまりにも複雑な教室の案内板を眺め、暫し格闘していると不意に後ろから声をかけられた。振り返ると女の子が口元に手を当てて微笑している。肩をびくっと跳ねさせた僕がツボに入ったらしい。
「職員室を探してて。」
「それならその階段を上って真っ直ぐに行った後に右手の階段を降りれば着きますよ。」
 道のりを話しながら手振りで表現する彼女から優しさが溢れ出ている。「わかったかな」と首を傾げながら不安そうにする彼女に礼と会釈をし、階段へと向かった。


「失礼します、松村先生いらっしゃいますか。」
 扉を開けると広い職員室の窓際からひょっこりと手が伸びた。動く度に擬音が目に見えそうな女性が早足で僕の方に向かってきて、にんまりと笑顔を見せる。
「ほいほいまっちゅんやでって西野くんやんな?」
「今日からよろしくお願いします。」
「んもぉしっかりしてんなぁ。お姉ちゃんそっくりやん!」
 きゃぴきゃぴと音が出そうなほど明るい先生は「ちょっと待ってな。」と机に資料を取りに行ってしまった。今度は僕たちのやり取りを見ていた姉が僕の方へと向かってきた。
「優太迷わんかったん?」
「女の子が教えてくれて迷わんかった。」
「へぇ初日からナンパされとるん流石やな。」
「そんなんやないって。」
「お姉ちゃんがセットしてあげたからやな。」
 にやにやと茶化す姉の肩越しに顔を出した松村先生が「ほんま似とるなぁ」と乗っかてきた。
「はいこれ。もう始業やし一緒に教室行こか?」
「お願いします。」
「まっちゅん、優太のことよろしくなー!」
「任され!」
 小気味いい会話がどこか心地いい。少しだけ不安が和らいだような気がしながら、松村先生に着いていく。生徒たちと挨拶を交わす先生の後ろ姿から音符が飛び出ているようだ。俯きながら着いていくことしかできない僕が情けなく思えてしまう。
「緊張してまうよなぁ。これあげる!」
 振り向いた先生はポケットから取り出した飴玉を僕に渡した。「それな、緊張ほぐれるやつやねん」とまたにんまり笑った先生は再び教室に向かって跳ねるように歩き出した。
「あ、校内はおかし禁止やで。」
「え、先生がくれましたよね。」
「えへへ、そやっけ?まぁこっそり食べて深呼吸しーやぁ。」
 口元を隠しながら小さな飴玉を口に含んだ僕は、急速に溶けたそれに少し戸惑いながらも先生の後を追った。


 2-Eと書かれた教室の前でちょうど始業の鐘が鳴った。「呼んだら入ってきてな?」と僕に笑顔で伝え、先生は教室の扉を開けた。
「みんなー、今日から2年生やなぁ。またまちゅのクラスなれて嬉しいですかー!」
 ドッと歓声が沸いた。余程松村先生は人気者らしい。段々と鼓動が早まっていくのがわかる。先生に言われた通り大きくひとつ深呼吸をした。
「そんで今日から転校生が来るで!」
 ほんの数秒前の賑わいがざわつきに変わる。「ほな入っといでー」と合図が出ると、緊張しながらも教壇に立つ松村先生の隣に気をつけをした。クラス中の視線が僕に集中する。最高潮に鼓動を早め今にもパンクしてしまいそうな心臓が余計に胸をつっかえさせた。
「にしのゆうたです」
 突拍子もない高い声が出た。一瞬の静寂が教室を襲う。次の瞬間みるみるうちに顔が熱を帯びていくのがわかった。静寂を切り裂くようにドカっと笑い声が起き、耐えられなくなった僕は松村先生の方を向く。
「効果覿面やなぁ、さっきの声高くなる飴ちゃんやねん!」
「なにたべさせてるんですか!」
「いやぁあんな緊張した顔してたしちょっとくらいええかなぁって!」
 クラス中が笑っているその中で、口元を抑えながら隣の席と笑い合っている、見覚えのある女の子を見つけた。
「はいじゃー西野くんはさくらちゃんの後ろ座ってなぁ。あともっかいおっきく深呼吸しときやぁ。」
 指をさしたのは彼女の後ろの席だった。「よろしくね〜」とクラスメイトたちから歓迎を受けるも恥ずかしさから俯いて横切りながら、指定された席に座る。大きくもう一度深呼吸をして突っ伏すように僕は机にうなだれた。


「職員室見つかった?」
 髪をなびかせさくらちゃんが振り返って声をかけてくる。「うん、ありがとう」と目も合わせず返事をする自分がまた情けない。
「声治ってる。」
「ほんとだ。」
「まっちゅん先生みんなにいたずらしてるから安心してね。」
「暫く立ち直れそうにないや。」
 ふふっとまた口元を抑えて彼女が笑ったのとほとんど同時にホームルームを終え先生が号令をかけた。
「ゆうた、だっけ?俺、リツ。よろしく。」
 右斜め前、すなわちさくらちゃんの隣の席の男子が振り向いた。流行りの髪型に中性的な顔立ちの彼への第一印象は"えっぐいイケメンやな"だ。
「なあなぁ、どこから来たん〜?」
 左隣から馴染みの方言が聞こえ、目を丸くしそうになる。これまた顔立ちの整った女の子が僕を見つめていた
「大阪だよ。」
「一緒や!聖来も大阪やねん〜。」
「だけど関西弁じゃねぇんだな。」
「まだ緊張してて。」
「そのうち慣れるやんな〜。」
 リツが関西弁を真似て「なー」と続けた。どうやら二人は仲がいいらしい。そんなやり取りも、さくらちゃんは笑って見つめていた。


 まだ揃いきっていない教科書たちを聖来に助けてもらいながら、思いのほか退屈にならず放課後を迎えた。終業のホームルームで松村先生から「一回は校舎全部回っといたほうがいいでぇ」と言われたが、聖来曰く超有名スーパー名門学園らしいこの巨大校舎を迷わずに回り切れる自信はなかった。
「西野くん、私案内しよっか。」
「え、いいの?」
「うん。また迷っちゃうでしょ?」
 今回は口元を隠さなかったさくらちゃんが、少しからかうように笑った。
「今朝も迷ってたわけやなかったけど。」
「えーそうかな。お節介だった?」
「ううん。めちゃくちゃ助かった。」
「でしょ。」


 コの字状に連立した3棟の教室を彼女に連れられて回ること小一時間ほど。春の陽気と言えど動き回れば汗ばむこの季節の夕暮れに顔を照らされた彼女の息が少しだけ荒れている。
「これで全部かな。」
「結構歩いたね。」
「ホントこの学校大きいよね。」
「一回で覚えれなさそう。」
「私も一年生の頃覚えるの大変だったなぁ。」
 ぱたぱたと手で顔を扇いだ彼女は何かを思い出したかのように斜め上を見つめていた。
「さくら…さんは高校から?」
「何今の間。」
「いや、なんて呼べばいいか分かんなくて。」
「さくらでいいのに。」
「馴れ馴れしいかなって。」
「そうは思うのに名前で呼んでくれるんだね。」
 また口元を覆った彼女が言った。拍子抜けした僕を見て彼女は少し首を傾げている。
「ここだけの話、さくら、って苗字だと思ってた。」
「ええ!ホントに?」
 俯きながら「うん」と返事をすると、遂に彼女は声を上げて笑ってしまった。
「確かに!まっちゅん先生もさくらちゃんって呼んでたしね。」
「まだみんなの名前あんまり把握してなくて。」
「仕方ないよ。改めまして、遠藤さくらです。」
「あ、西野優太です。」
「ふふ、知ってるよ?」
 視線を合わせる事が恥ずかしくなり上手く彼女の顔を見ることができない。しかし口元を手で隠しながら笑っているのだろうとどこか思えた。

 すっかり日も暮れてしまったようだ。彼女にまた連れられるように教室へと戻る道中、彼女は高校からの編入組であるがリツや聖来は中学からの内部進学であることや、他のクラスメイトのこと。西野先生が姉だと教えると彼女は少し驚いた後に納得していた。お互い荷物を手にして今度は玄関へと向かう。今朝見た白桃に光った桜とはうってかわり、赤く反射した桜のカーペットの上を二人で並んで歩いた。
「西野くんも寮生活?」
「その予定なんだけど手違いでまだなんだよね。」
「大変だねぇ。」
「遠藤さんは寮生活慣れた?」
「もう一年経つんだよ?」
「まぁ確かに。」
「……ねぇ西野くん。」
 数歩先に歩いた彼女がくるっと踵を返しこちらを向いた。唇を曲げたように僕を見つめる彼女にたじろいだ僕は上手く声をかけられない。
「なーんでさくらじゃなくなったの。」
「え、あぁ。ごめん。」
「ねぇほら言って!」
「えーっと、さくら、さん。」
「んー。」
「さくら、ちゃん?」
「んーん。」
「さくら。」
 突き出した下唇をしまい、にぱっと顔を晴らせた彼女は再び体を翻し歩き始めてしまった。軽い足取りから音を鳴らすように歩く彼女の後ろ姿に見とれてしまう。
「そんなに嬉しい?」
「恥ずかしいだけだよー。」
「じゃあ遠藤さんって呼ぼ。」
「あー、西野先生に言いつけよっかな。」
 悪巧みした彼女がはじめて歯を見せてはにかんだ。桜の木の下、夕日を背に僕を見つめる彼女から視線が離せない。釣られるように僕も自然と口角が緩んでいた。
「じゃあ私こっちだから、優太くんまた明日。」
「うん、って今。」
 小走りで寮の玄関へと駆けていく彼女の背を目線が追った。直前で振り返り手を振る彼女の顔が紅潮している。僕が手を振り返したのを見ると、彼女は寮の階段を上って行った。

 春風がぴゅうと吹いて桜の花びらたちが攫われて舞っている。一日中鮮明だった視界に慣れた僕は春の陽気にあてられて心がじんわりと暖まっていた。不安にまみれた転校初日。そんなどこか後ろ向きな気持ちをいつしか振り払って僕は帰路に就いていた。

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